日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

カレーの歌

2019-02-25 | リブレリア
読み終わったのは穂村弘のエッセイ。



歌人の文章はリズムがあってあっという間に読み終わった。ふわふわと軽く読了感良し。
穂村弘を読んでいたからか、このところニュースをみながらしみじみと思い出す一首がある
どこでみかけたか覚えてないけど穂村弘選 詠み人忘れの歌
 
 
 
病院で今のうちにと渡される君の得意なカレーのレシピ
 
 
池江璃花子選手の白血病のニュースにつづいて堀ちえみ舌癌の公表。
立て続けに公表された二つの病。
なんで私がという絶望とこれから予想される苦労を想像するに胸がふさがれる想い。
それでもそこをくぐりぬけた先駆者、経験者の強みとノウハウをもってさらなるご活躍と希望になっていただきたいと切に願う。
公表する勇気と使命感は病と闘う人に薬となり、社会を変える。
あたしのような人間にすら届く生きる意義。
 
 
 
著名人がプライベートの最たるものである自分の病名を公表するようになったのはいつからだろうかと思えば、逸見政孝氏のがん公表会見を思い出す。
あれ以来、多くの著名人が病を公表し、無事に復帰したり、鬼籍に入られたりした。
逸見政孝氏のような売れっ子が休むには果敢な決断と大義が必要だったから、ああいう会見という形になったんだろうけど、いまはもっと個人的な思いから病気を公表してるような気もしてる。
闘病の証として、希望、慰め、情報の共有と提供と使命感からであるなら本当にすごいことだと思うのだ。
公人というメリットを最大限につかって自身の闘病の励みとしてもらいたいし、その恩恵としてあたし達一般人が得られるものもあるね、きっと。
 
カレーのレシピさえ渡すことができない身としては暴飲暴食を慎むことしかできないし、病気に負けず!としか思うことができない。
だからこそ詠み人忘れのこの短歌、31文字からあふれでてくるものが多すぎる。
病院で、カレーで、今のうちで。

美味しいカレーを家で食べる幸せは重い。
 
 

餅を買った理由

2019-02-16 | リブレリア
内容はともかく(そんなことを言える立場か、アタシ)小気味よく読ませるテンポのいい文章構成だと心から尊敬している北大路公子。
もちろん内容も素晴らしくて好き。絶賛。
毎日、一度は目を通すほど。(なぜなら*トイレ本だから)
*トイレ本とはトイレのみで読むことが許された本のこと。

世間では昼酒と雪かきネタにそこまでの絶賛がいるかという異論も噴出するだろう。
盲目的と指をさすがいいさ、それを甘んじて受け入れる事を宣言することで事の収束を図りたい。
さて、そんな半径5mをドラスティックに生きている(イメージの)北大路公子の新刊がそろそろ出てないかなとチェックしたら 「父がー」となっていて過去のツイートをさかのぼる事半年あまり。


がーん。






あの公子父が、お亡くなりになったようで意気消沈。
知らなかったよ。
もう、新しく父ネタが生産されないと思うとしみじみと悲しい。
TVでおみかけしていた俳優が亡くなったというニュースより人ごとじゃない。

ということで哀悼の意を表しまして、6個入りの餅を買いました。
これからネロネロに煮込んで雑煮としよう。

餅を買う理由。
2月にもなって雑煮を食べる理由。
そしてgoogle検索に北大路公子といれると 「北大路公子 父」とでた理由。




公子エッセイを読んだことがない人にオススメする理由。
さすがの父!









流れ落ちる雫のくくり

2019-02-07 | ホーム
益子で川西沙知の器を買った。drop シリーズのもの。
流れ落ちる釉薬が雫となっている、それはそれは美しい器。
ガラス質の釉薬がとろりとしたたり落ちた刹那を真空パックしたかのような小さなカップ。
お茶を入れてもいいし、お菜を小鉢仕立てにしてもうっとりな佇まい。



納豆すら瑞々しい。
勢いはないけど、先だってのカイリーのご尊顔であれ、川西沙知の器であれ、美しいものを美しいと言えるあたしの美しい心に乾杯という具合に酒器としてもよい。


茶碗で冷酒

最近、サボり気味である家事全般であるけど、家で好きなものを美味しく食べるのは至福とも言えるひと時であり、そこをいかに愉しむかというのは食器を買う最大の理由と原動力になるのだから、頑張って仕事しよーぜと自分に言い聞かせる。


これがあたしのKylie Cosmeticsであり、drippy lipであり。
Kylie Cosmeticsのビジュアルより滴り度高め。









流れ落ちる雫は汗か、涙か、ヨダレのどれか。
乾燥が激しい季節ではありますが、アタシはなんだか水分量が多い、潤いのある人生。
羨むなよ!