日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

苦労の甲斐は月のビール

2024-04-21 | Weblog

旅の荷物はいかに軽く、コンパクトに行けるかというのが重要である。
人によって1泊なのに大荷物、国内2泊でキャリーケースという方にいらっしゃるのは存じ上げていますが、個人的には圧倒的に小荷物派でありたいと願う。


荷物がすくなければ、忘れ物やなくしものをして意気消沈することもなければ整理整頓が下手なのもばれることはない。
重い荷物でひーひーすることもなければ、空いているスペースをおみやげでうめることもできる。
大荷物の反対語としての小荷物にはメリットしかない。

もちろん小荷物の失敗談がないわけではないけど。
海外で買ったものが機内に持ち込めず、預入荷物のためのバックももっていなかったので苦肉の策として、現地のスーパーの袋の口をしばって預け入れにしたのだが、それが荷物受け取りのレーンに流れてきた様ときたらまるでゴミ集積所のぽつんとおかれたゴミである。
ロック(セキュリティー)は取っ手部を固結び。ー
せめてものあがきで二重にしたスーパーのビニール袋はしわしわでどうひいき目にみても飛行機につまれていた預入荷物には見えない。
まごうかたなきゴミの体である。


周りのなにアレ?の視線をあびつつレーンからのピックアップの恥ずかしさは忘れもしないよ。
ゴミ袋を受け取って、その場を足早に立ち去るしかないじゃーん。


それ以来、海外に行くときはおみやげに何を買っても持帰れるよう預け入れにするキャリーをもっていくことにしている。
それからというもの心置きなく水物類を買い込むことができるのだが、キャリーがあるからと油断して買いすぎてしまうことに。

ここでしか買えないかもしれないアレやコレ。
友人のおみやげにもしたいし、自分もほしいとなるとついね。 つい欲望のまま500mlのビール6本とか・・・・。


他に買うべきものはあるだろうし何でーと自分でもおもうけど。
台湾旅の帰路は一種の筋トレかと思うぐらい重い荷物が出来上がったのだ。
ツライ、運動嫌い、何で?自分のアホさ加減を呪いながらキャリーと共に帰宅したのでした。


でも頑張って持帰ったビールはとてもよいおみやげになった。
台湾産のフルーツを使ったビールはおいしく、缶のデザインも秀逸でまさに土産物好適品。
頑張って持って帰ってきた甲斐があったわーと満足。
台湾らしいフレーバーもあり〼

薹虎精醸 Taihu brewing 

 

 

本来はここでおわるのが旅行記であるのだが、そういかないのが体験的旅行記である。
オチはまさか日本にもお店があって神楽坂で買えるという事実。
台湾以外で出店して唯一の直営店が神楽坂に!!
あんなに重い思いをしてもってかえってきてこれだよ。国内でもあるあるなんですけどね。

 

気を取り直して、神楽坂まで買いに行ったのは買ってきた以外のフレーバーのビールも飲んでみたかったから。

 

どうみてもこれはセー〇ームーンですよね。
その名もMoonlight YUZU

月がきれいにみえる「中秋節」のころに台湾で出回る柚子のビール。

月とセーラームーン。
中秋節と柚子。
すべてが完璧に計算された柚子のビール。


会社帰りに台湾おつまみとビールが楽しめるお店を知ることができたのが何よりのおみやげ。 
わざわざという勿れ、苦労が最高の土産になるのであるから。

 

 


あたたの知らない阿給の世界

2024-04-19 | Weblog

「グルメ」は旅の目的地を決める大いなる選択肢。
ミュシュラン的な名を馳せる高級グルメ、地方のB級グルメ、老舗の有名店どんなお店に行くかを吟味することは旅の行き先を決めるのと同義語になるのだから。

ブリア・サヴァランの名言をもってして
「あなたがどこの店にいこうか教えてほしい
あなたがどんな旅をするのか当てて見せよう」

食い意地には人の本性が宿るからな。
自分の好きな食材ありきで考える。
蟹、茄子、じゃがいも、たまご 鯖。
自分がどんな人間であるかを告白するようで
恥ずかしいのだけど好きな食べ物№1「油揚げ」


どのくらい好きな食べ物かというと
①マツコの知らない世界の「油揚げの世界」の回の出演することが(脳内希望的観測で)決定している
②油揚げ用のお皿がある
③油揚げに課金を惜しまない
④マツコの知らない世界の「油揚げの世界」を録画したのにみられない(←先をこされてくやしい)
⑤日本全国の油揚げに飽き足らず、油揚げの活躍を世界に飛び出して見届けに行く

そうまさに世界の油揚げ探求する旅にでかけるくらい好きなのである。
ならば出かけるべきは淡水である。


今回、台湾旅のハイライト「淡水」
台北の王道は一通りまわり、高雄にはいった、台湾新幹線にのったとなれば淡水に行かなくてどこへ行くのだ。

 

MRTの終点で旅の中日にはちょうどいい距離
にある淡水は観光スポットも豊富であり、台北にはない魅力のグルメスポットでもある。


そして特筆すべきは
淡水の名物=あたしの大好物
淡水の名物グルメ「阿給」である。

読み方はずばり「アーゲイ」。
日本語の油アゲの「アゲ」に由来する名前がつけられた油揚げ料理。
日本統治時代の名残で日本人が食べていた油揚げが淡水料理としてとりいれられ、地元に根付いたグルメとして愛され今に至る。

油揚げに手を加えた春雨をつめ、魚のすり身で蓋をして蒸し上げる。
みた目ボールのようでなかなかの重量感
これにソースをかけて食す。

Wikipediaによる補足をすると
1956年楊鄭錦文によって生みされる。
類似料理はいなり寿司


油揚げを愛する人間として是が非でもいかなくてはいけない場所が「淡水」なのだ!
この阿給はなぜか台湾全土にあるわけではないようで淡水のみが一大提供スポットとなっているようで、
美味しい台湾グルメの中でも異色かつ、絶対期待を裏切らいないであろう「阿給」を求めていざ!!

 

阿給を売りにしているお店は何店舗かあるのだがこちらが地元一番の有名店。
老牌阿給創始店


観光客や地元の人がひっきりなしに出入りしている。
遅い時間にいくと売り切れの悲運に見舞われることもあるという。

この日は生憎の雨。
雨の中、傘をさしてテイクアウトを待つ人多くいて、イートインとあわせて忙しい繁盛店。

淡水のもうひとつの名物「魚丸湯」と一緒というのが定番オーダー。
魚丸湯=さかなのつみれ入れスープ
つみれはぷるんとして美味しい、味は薄め。
いかにも台湾のスープ。緑の器。 阿給はオレンジ色の器。


阿給に箸をいれてみれば
中から春雨がお出ましになり、チリソースでHOTに食べるのが淡水流と気分もアゲ↑
もちろんスパイシーなしも選択可。

食事というよりはスナックに近く、小腹を満たすにはうってつけである。
日本の油揚げより薄めで硬め。
その食感と春雨のつるんとした春雨がパンパンに入っており、万人受けする味である。
当たり前か、、、油揚げだもの。
丸いなにかにチリソースをかけただけのような見た目でいてなかなか手がこんでいる。


これスキ!とあっという間に食べ終わって
店の前の道をもうすこし奥まですすんでいけばさらに阿給店を発見。
なんとこの通りはアーゲイの中心、阿給通り!!
食欲自慢には食べ比べで食べ歩きをして頂きたい。


淡水で食べるべきは台湾カステラより阿給(アーゲイ)である!
好物の物を食べに行く旅の楽しさといったらない。
マツコの知らない世界、次の「油揚げの世界」いや「好物を食べに行く旅の世界 油揚げ編」の案内人はあたしだ!


このあたしだ!!


開け、サードアイ  

2024-02-25 | Weblog

旅は旅感というものがあって、使っていないと鈍るもので、特に海外旅行は旅感が取り戻せないと楽しみきれないのだと実感した。

出かけた先、コロナ明け初海外の台湾へ。

 


 お財布とケータイだけ持って近所のスーパーに行くように海外旅行に行きたいけど、桃園空港から台北市内へのMRT乗り場に行くだけでなんだか手間取って、海外旅行のめんどくささみたいのを思い出してしまったのだ。

本来なら、その面倒さが海外旅行の醍醐味のはずだったのにね。
それすら忘れていたことにコロナの期間がいかに長いものであったかを思い出す。
海外旅行は国内旅行より一期一会感が強くなるから、絶対に後悔はすまい!やり残しはするまい!と情報収集だけはする様にしていたはずなのに、久しぶり海外だーということに舞い上がり情報収集しすぎて散らかって、不完全燃焼。
行ってから現地でなんとかしようというのは旅感すらも発動できないものなのである。

 

旅感というのは地理的なこと(←普段は方向音痴)でもなんとなーくこっちじゃない?というのもあるし、もちろん動物的感覚でこれ以上、この道を進んではいけない引き返そうということもある訳で、逆も然り。思いがけないところで息を呑む光景や、思いがけず欲しいものに出会えた幸福にも辿り着くこともある。

それは全て日常生活では使わない第六感的な「旅感」のなせる技である。
サードアイの開眼を感じる瞬間に出会うための海外旅行と思うあたしはどんだけぼへーっとした日常をおくっているのか。

スーパーで何を血迷ったかキライなセロリを買ってきてしまったことに家で気づいて愕然とするくらい半眼な日々。
サイフを忘れるサザエさんよりヒドイ。
台所で日に日に濃くなっていくセロリの香りの行き場がない以上に、自分の所業に対する残念感も行き場がない。

 

というわけで←どんな訳で?セロリをなかったことにして台湾弾丸旅へ。
旅感冴えるサードアイを開きに行ってきます!

 

 

 

 


転びようがない原っぱで

2023-12-20 | トラットリア

もう何も考えずに、考えられないし、考えたくないとの極みでぬくぬく寝転んだ視線の先のTV。
思考も音もうわ滑っていくような状況で見ていないはずのテレビ番組に釘付けになった。

王様のブランチのひとコーナー「おかずくらぶ」
横澤夏子と仲良し滝沢カレンとどなたかの3人が今流行りの俗にいうバズリ鍋を食べに行くというもの。よくあるバラエティの一コマである。

 

なのに思わずメガネを取り出し、正座でガン見!


大した情報でもあるまい何がそんなにと思われる向きもあるのだが、何がって、滝沢カレン語録である!

滝沢カレンは独特の言葉選びに定評があるのは周知の事実だが、改めてしみじみと向き合ってみると四字熟語にしろ、あだ名つけにしろ、豊富な語彙力と、正確な観察力、なるほどとおもわせる洞察力にユーモア。この人マジ天才とおもわせる類まれなセンスが光る。
正しく、芸事に秀でた芸能人であると納得するのである。
ぱっとこういう頭の回転で物事を考えられたらいいなあと羨望の眼差し。御宣託にも似た貴重なお言葉を聞き逃すわけにはいかぬということで、メガネまでかけてさー。

今回の御宣託は映え鍋を食べに行き、この鍋をどんな状況で食べたいかということを滝沢カレン語録で紹介するということであった。

 

1、ふく竹 明太もつ鍋

2、モダン韓食堂 チャドル3合サムハップ

3、山芋の多い料理店 自然薯とろろ鍋

 

バズリ鍋を仲の良い女同士で姦しく食べるという状況にあるということをお含みおきいただいた上で問う!
美味しいよねー、さてこの鍋をどんな状況で食べたらさらに良いのか?

 

ワタシならね、、、、
急に冷え込んで、身も心も凍ってる木曜日の職場忘年会。

金曜日じゃないからハメ外して飲めないし、職場忘年会だから気を使うけど、
普段自分が行かないような店で、美味しいねの一言で当たり障りのない会話をしつつも、それなりにちょっと楽しいという状況でこういう鍋を食べたい。

 

さて、これが滝沢カレンマジックにかかると、、、

 

ここぞとばかりに生命線が短いと言われた時に、、、

どうしようもない会場で新曲を歌ったのに誰とも目があわなかった時、、、、

 

転びようがない原っぱで右足をねんざしてしまった時、、、、

 

おい、どんな時だよ。

転びようない原っぱという舞台で食べるべき鍋があるとは、世の中まだまだ知らないことが多すぎる。
さすが思いもつかないようなシチュエーションであり、ツッコミどころが満載だけど、説明をきくとなるほどと思わせ、思わず笑ってしまう。

 

明太もつ鍋はこれから飛び立つはずの卵の生命力を自分に入れることによって長生き!=パンチのある食材を楽しんでということか?チャドルなんたらは、(最後の真ん中で作るケランチムを見て)たまごが受け入れてくれるあたたかい目にいやされる、ようやく目があったという状況を楽しんでとケランチムのおいしさをアピールし、自然薯鍋は自然薯はつよい!体調万全、体調管理、復活!してまた公園に行ってほしいと自然薯の健康食材にフォーカスしている。

 

いやあ、訳わかんないけど一理あるとおもわせる何か。
すごいすごいと思っていたけど、あふれでるセンスにあてられて、あわててAmazonで買ったもの

「カレンの台所」

 

ついでにお店も予約してこの本と鍋を肴に爆笑しながら忘年会シーズンを乗り切りたい。
次回、転びようのない原っぱから祭りあと、ないしは唐揚げの物語に続く。

 


結局、秋田県(犬)!

2023-10-21 | Weblog

秋田県でいったことがあったのは角館、大曲。
こんかいはじめての秋田市内観光旅であった。

旅の準備段階ではいくのなら食べ物がおいしい新米の時期がいいというぐらいの軽い気持ちで旅先に選んだ秋田県であったが、行くのなら秋田犬冬毛の時期一択としたいと心の声をおさえて秋田旅のハイライト。

 

 

秋田市内はグルメレベルが総じて高く、名店が多い。
海の物、山の物、そしてなにより米は美味く、水がうまいから米水=日本酒がうまいのは当然で、酒がうまいところにもって食材も美味ぞろいとなればもう。言わずもがな。

 

うまい①

夜の鳥海山の眺め

 

 

うまい②
朝からラーメンの贅沢

 

 

 

そして知らなかったのだが藤田嗣治の大作がみられるのである
秋田でみるからこその一枚。

 

とどめは紅葉、先出し。
関東より一足お先の紅葉である。
すすむにつれ、ますます深まる紅葉。

 

昼の鳥海山からの眺め

家の近くのイチョウの木が日に日に色づき、ある日気が付いたら足元に黄色い葉の絨毯がしきつめられたはっとするという紅葉もいいけど、わざわざ足を延ばして「山、紅にそまるとは」と本歌取り。ちなみに本歌は「かわくれないに水くくるとは」である。

 

 

 

秋田犬より随分と雑な感想になったけど秋田県(犬)の魅力をお裾分け的備忘録。
まとめ、いや仕上げはこちらから。

秋田県 観光プロモーション サイト
こちらももれなく秋田犬推し。

お顔をなでなでしつつのクリックでサイトにとびますー

 

ひっーカワイイ!

そしてやっぱり秋田県は「秋田犬」に表記変更を!


こりずに秋田県(犬)!

2023-10-21 | Weblog

生秋田犬をみるとそのぬいぐるみ具合に黄色い歓声が上がることが必至であるが、日本犬の中でも大型になる秋田犬の登録数は多くない。
柴犬人気からみてもっと多く飼われていそうだけど、現在の登録数はおよそ2800頭。
思いのほか少なく絶滅危惧種といってもいいだろう。
これでなかなかお会いできない訳もわかったところで、その貴重な1匹に会えた幸運にひたっている。

 

まさしくわたくしのアイドル様

 

 

 

 

 

その名も高貴な「北捷蓮」様である。
漢字だけフリガナなしでは読めないし、関取みたいな名前だし、しかも「号」の文字。
車でいうところの「台」?それとも人でいうところの「さん」みたいなもの?

 

北捷蓮(ホクショウレン)ちゃん メス
思い出した関取はホクセンホウ(北青鵬)
共通点はホクのみでしたけど。

 

 

毎日、1匹がご主人さまと一緒にご出勤され、その愛くるしさをもって民草をひざまづかせている秋田犬ふれあい処。

近くには秋田犬ステーションもあるけど、こちらではもふることは許可されていないから、いくのなら絶対に千秋公園にあるふれあい処をおすすめしたい。

 

あいくるしさと賢さ担当の秋田犬、
元気と勢い担当は係りの方々(笑)そして無料!
去年の夏に寝そべって、暑さにぜーこぜーこしている土佐犬をみるのに500円/人とは大きな差があるような気がするのは仕方ないのかな?犬の気性もありますからね。

 

 

冬に強いはずではありますが、ご主人様をはじめ人間様の方が寒くて辛くなっちゃうからか年内、お犬様たちのご出勤は~10/31迄。

 

季節がすすんできりたんぽ鍋ともふもふ犬で暖をとる楽しみは潰えたけど、秋田の一番いいところを堪能したからまた行こうと思っている。

 


秋田県(犬)!

2023-10-19 | Weblog

なんでも秋田犬をつければいいとおもうなよ!

 

ではなく

 

なんでも秋田犬をつければいいとおもうよな!!
ってなことですっかり秋田びいきになりまして。

 

秋田犬イラスト入りバス
秋田犬写真の看板
秋田犬ラベルの日本酒
もちろんこまごました雑貨、王道のぬいぐるみまで。

秋田犬まみれの秋田駅前
これから、いの一番に出かけたいのは秋田犬ふれあい処

 

きりり

 

 

 

ちらり

 

ぺろり

 

 

 

ひーっ、カワイイ!!

いやあかわいいのなんの!
この子がいたら行きたくない会社にうきうきと行ける
Blue mondayってなんですか?

不毛な休日出勤も、極寒の冬の立ち合いも、アホみたいな日差しの夏の外回りもそれを「おさんぽ」いうのならよろこんで!
普段は気配を消すことにしている会議でも、お世話係任命会議なら前のめりで参加いたします。どんなに理不尽なクレームも「拒否柴」ならぬ「拒否秋田」なら、とことん最後までお付き合いをする所存。
高いお金を払ってコンサルを入れ、ソリューションだのイノベーションだのいうのなら同じお金で「秋田犬」!

はあ、精神衛生上こんな最上級なことってあるのかしらと夢見るぐらい「職場に秋田犬」でいろんな問題を解決してくれるに違いない。

 

ちらりと目があうだけでモチベーションUP
犬時間にあわせなきゃいけないから効率UP
ぎすぎすしたオフィス環境ももふもふで改善
商圏を荒らす同業先には「ワン」と一喝

いいことしか思い浮かばないー
秋田旅に行きまして、一番のハイライト秋田犬!
秋田県の表記は今後、「秋田犬」にした方がいいのではないかとおもうのです。

 

観光ポスターすらも被写体として完璧!

 

 


バナナ 3kg

2023-10-17 | Weblog

重い、重すぎる。

何がって? 

 

ぼっかりとあいたおとし穴のような暇時間をもてあましている。日々、鈴虫頭でいろいろなことを考えているつもりだけど、忙しさを口実に決まって結論は現状維持というところに集結させ、落とし前をつけることに決めているのになまじ時間があるだけに正解なんてないはずの雑事に答えが欲しくなってしまう。

 

堂々巡りで結論がでないものも、自分の力ではどうやったって解決できないことも、忙しいからこそ、目の前のやっつけ仕事にかくれて「なかった」ことになるから心置きなく問題の先送りができるのである。

考える時間がありすぎるというのも残酷で、なんとかなるんじゃないか、努力したらもしかしたら状況が変わるかも、努力ってなに?その前に何に向かって努力?具体的には・・・と考え続けないといけないこと甚だしくつかの間のご褒美のようなヒマ時間もあっという間に苦行タイムへ。

 

重いのは思考である。

 

 

そんな苦行タイムからアウトプットされた文章というのは、収拾のついてない思考のなかからもれ出てくるものだからとりとめがなく、どんどん長くなって gein weightである。 長文デブ。何がいいたいのかわからない、当初、何を考えていたのかすらわからなくって混迷の極み。

 

重いのは思考であって、そこからモレ出た文章である。
重い、重すぎる。
何がって、体重である!

 

夏の疲れがでる頃であるが、食欲が疲れ知らずになっており、ダラダラと食べたい口になっているから、食べすぎになっているようで自分で自分の体が重いのがわかるくらい。つまり太りましての一文に行き着くのにこの長文。とどのつまりは太りましたのご報告を気高く高尚に。

 

せめてもの救いはよしもとばななの近況を評した書評コメントを読んでいたらよしもとばななさんのブログは長文で、やっぱり文章がうまい人・書き手のブログはエッセイ寄りになってくる長いという趣旨の感想をよせていてなるほどと思う。

近況報告を含む、日々のことをつらつらと書き連ねていくわけだが、どう思った、こう思った、こうしたい、ああしたいというのを書きなぐったものはどうしても長くなっていくのは必然で、それをエッセイというのだとしたら、エッセイだとしてよんでもらえたなら、駄文も救われるのではないか。そう願う。イメージはまだ青いバナナ3kg。喰えないやつ。
理想体重に似た、希望的観測。

 

←欲しいバナナ

 

 

 


何を見ても、何も思い出せない。

2023-10-16 | リブレリア

角田光代「いつも旅のなか」
ひさしぶりの再読、ひらいたところからぽつりぽつりと。
そこでみつけた一文。

 

「何をみても何かを思い出す。」

 

文章の連なりのなかでのささいな一文ではあるのだが、はてどこであったか・・・記憶のなかで何かこつんとひっかかる。
まさに「何をみても何かを思い出す」の例ではなかろうかと思うけど、思い出せず。 

思い出せないとき、困ったときのGOOGLEである。安直な方法(こうやって人間は退化していくという典型的ダメパターンのお手本ともいう)で、でてきた答えは アーネスト・へミンウェイの一文 「何をみても何かを思い出す。/Igass everything remains you of something.」求めていた上の回答がでてきて、「あれ、まあ」である。

 

 

ヘミングウェイといったら教科書には必ずでてくる有名な小説家で、「老人と海」や「誰がために鐘はなる」の作品名も時にテストの答えとしてでてくるからしっかり記憶はあるのだが、読んだことはない。
あたしに同じく、知識としてしっているが、読んだことはないという人が大半であろう。こんなところでヘミングウェイ先生とまみえるのも何かの縁だろうからと早速と本を買ってみたのだが読むきっかけをつくり、読むべしとした短編「何をみても何かをおもいだす」を買ったはずが届いた本には入っていなかった・・・・というオチであって沼は深いのである。

 

記憶沼に沈んでみるとはじめてこの一文を見たのは京都 恵文社の有名店長であった堀江篤史のブログタイトルであった。

「何を読んでも何かを思いだす。」

心に残るタイトルで、ブログも楽しみにしていたことを思い出す。知る人がみればこのタイトルがへミンウェイの短編のタイトルをもじったものであり、読書のプロである堀江氏のセンスのよさも気が付けたのだろうけど、今更ながら元ネタにたどり着いたわけだ。

知らないというのは勿体ない。 
もし、知っていれば堀江氏はちゃんとヘミングウェイを読んだことがある人だということに気が付けたのだから。

さて、冒頭の角田光代のエッセイである。ああこの人も「何かをみても何かをおもいだす」人であり、ヘミングウェイを読んでいるのだなと思って、どの話だったかな・・・とペラペラとページを探したのだがどういうことかまったくその一文に出会わないのである。

こんなことってある?

カバンの中に入っていた本は2冊あり、一方は壇一夫の「美味放浪記」。

もしかして本を読んでいた途中のネットサーフィンでみかけた一文とおもったけど、角田光代=「何をみても何かをおもいだす」→ああ、そういうところが角田光代らしく好きなとこ!と思ったから調べはじめたはずなんだが、読み返しても、読み返してもその一文がみつからないのである。

角田光代 「いつも旅の中」、「何をみても何かを思い出す」とGOOGLEに問うても答えはでてこず。

非常にもやもやとしている
「何をみても何も思い出せず」
こうなると無知の方がましであると言わざるを得ない。
誰かたすけて!


美術館ミステリー 「信濃のコロンボ 失われた時を求めて-敦煌の砂埃と長野の霧に消えた女」

2023-09-27 | ギャラリー

ブログを書いていないが故に時系列がめちゃくちゃで、なんなら時空を飛び越える話で恐縮ではあるが、先だっての「ツタンカーメンの青春」展にいったときに長野県立美術館の新装開店(?)で行われた「スーパークローン文化財」展をおもいだしたのだった。

スーパークローン文化財
文化財の保護・保存・活用」という観点で文化財を周辺の環境までも含めて再現したもの。
流出や消失した世界中の文化財を最新のデジタル技術をつかって精密に復元する技術

 

劣化・損傷は経年という要因だけではなく、急激な気候の変化や戦争や紛争という要因もある。
その場にあってこそのものもあるし、物理的に動かせないものが圧倒的に多いなかで、保存・補修をスーパークローンという「技術」で補うことは本当に大切なことだ。
美術館の使命として保存・補修そして活用と、時に矛盾すらはらむ状況をいかに乗り越えて、この「財」を後世に正しく継承していくかが問われている。
本物より本物らしくすることによって得られる技術、ついには技術そのものを継承していくことになるわけで、偽物だといってしまえばそれまでだけど、偽物にも大義と思うのだ。
ツタンカーメン王墓の副葬品のレプリカもそれはそれは見事であったもの!
彼の者を「彼」とよばせる人間味と親近感そして王様とは権力のシンボルであり、やっぱり富は権力は同義だと納得させるものたち。
技術によって複製がオリジナルを超えて意義をもつ。
当初の意図や意匠をみることができるのはスーパークローンだからこそのもの。


さて、長野県立美術館のスーパークローン展示をさらに印象深くしたのが展示会開催の理由であった。
なぜにこけらおとしがスーパークローン展だったかということを知って、美術館にまつわる秘密にふれたようで、美術館という場所がいままで以上に興味深い場所となる。

 

 

 

それはまるで、美術館ミステリーシリーズ 「信濃のコロンボ 失われた時を求めて-敦煌の砂埃と長野の霧を消えた女」。


プロローグ
濃い霧がでてきた。視界はあっというまに白濁して隣にいるはずの人の姿もみえない。
霧はさらに濃くなり、周りの世界とどんどん切り離されていくなかで、空を見上げくっきりと浮かび漂う雲を食べたらどんな味がするだろうと夢見たころ、
頬を撫でていく風を感じながらわた菓子のようなふわふわの雲のうえで昼寝をしたいと願っていたころをおもいだしていた。

霧がうごき遠ざかる足音がきこえた。そしてうなり声のような一陣の風。
その風でわたしは霧ではなく、敦煌の砂埃に視界を奪われていたことに気が付いたのだった。
つつむような霧ではなく、なにもかもをのみこみ隠す砂。 

「そこにいるのは誰?」
風のやってきた方に顔をむけるとそこにはマメクロゴウチのワンピースに身を包んだ女が一人倒れていた。
手には食べかけのマドレーヌ・・・・・・・・みたいな。

 

 

新しい美術館の最先端の建築、すばらしい設備で最高のアートを提供するという理想を阻むゆゆしき事態、難問、大いなる事件がおこるのである。
それは誇るべき新しい美術館という箱の多くは鉄筋コンクリート造であり、つまりコンクリートが使われている。
躯体に打設したコンクリートや仕上材からアンモニアなどのガス成分で文化財や作品が変色をさせてしまうことがあるらしい
だからすぐには展示品搬入を避けるのだという。その時期約一年。
多くの人にすばらしい美術館を文化財や作品とすぐにでもとどけたいのに、一年間は枯らし期間として貴重な美術品等の展示ができないのである。
立派な美術館に美術品がないなんて事件以外なにものでもない!!

 

そこへ中村梅雀がコートをはためかしてさっそうと登場するかのごとくの救世主 スーパークローン。 


どんな難解な問題でもさらっと解決するコロンボのおでましである。
つまりスーパークローン展とは本物は展示できないが、本物以上の本物であり、美術館の使命を体現しうる展覧会となるということである。
美術館が本領を発揮できない不毛の時間をなくし、特別に企画された展覧会でアート界に爪痕をのこす展覧会。
何より、新しい美術館を早期開業させたいという思惑にもぴったり合致し、世界各地の至宝を集めた奇跡の展示ともなれば集客のネタもバッチリ!

とまあこんなあんなで記念すべき初めての展覧会としてスーパークローン展は開催されたのである(多分)
BGMは中島みゆきの「地上の星」ナレーションは田口トモロヲでお送りするドラマであり、
原田マハの小説のごとく。なんなら本家のコロンボも登場させとく?

 

すごいねーなんて赤子レベルの感想で展示をみてしまうけど、舞台裏やら準備段階を考えると展覧会ってなかなか壮大なプロジェクト。マドレーヌをたべなくても記憶と情景が解き放たれていくんだから。


行きたいと思った展覧会にはちゃんと行かないと後から後悔することになるのだよ。
日本全国各地にある立派な美術館をみて箱もの無駄遣いなんてことを1mmも思ってはいけないのだ。
最近アフター5に出かけるなんて、根性および体力がない夏バテ気味の自分に発破をかける必要あり。
ホックニー展は11/5 山口晃は11/19迄 ミヤケマイは今月中!

ちなみに文中に登場した霧は長野県立博物館アイコン作品である中谷芙二子の《霧の彫刻#47610》。
美術館の制服はマメクロゴウチのワンピース。

  マドレーヌは売っていない。

 


そして長野県立美術館は東山魁夷画伯の作品を展示している「東山魁夷館」を併設しており、こちでは真筆の幽玄に出会える。 
もうスーパー救世主となったクローン美術品には出会えないけど、本物に出会える場所になった長野県立美術館にまた行きたい!