日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

残りの半分はくりた陸の『ゆめ色クッキング』

2017-10-30 | リブレリア
少し前にネットのニュース(yahoo?)だったかでみかけたくりた陸さんの訃報も思い出す。
すっかり忘れていたけど、好きだったあの頃を思い出してホームシックみたい。
昨日の残り。
あたしの少女漫画の50%を占めるもの。

心配といえば、今日の晩御飯、いや、違うなそんな心配事すら皆無で宿題めんどくセーとおもうことぐらいのお気楽な実家育ちのあの頃。
鬱陶しいと思いながらも親の絶対的庇護のもとぬくぬくとしていたあの頃が懐かしい。
悩み事なんてなくて、妄想力でぶわんと膨らんだうららかな日々。
思い出すことすらない平々凡々な日々。
そこからきらっと湧き出てきたのがこの「ゆめ色クッキング」。
本当に好きだったなあ。
唯一、お小遣いで全巻揃えた漫画本。
過去を振り返らないことにしているのに、無性にセーラー服とかが懐かしい。
実家にママーって帰りたい。
お茶をすすりながら、母と羊羹でも食べたい気分。


くりた陸の「ゆめ色クッキング」は夢見る料理と、恋らしきものと、年上の憧れの王子、可愛いお菓子にトドメは純白の姫様ウエディングドレス、もう少女マンガ要素のおせち料理状態。
四角いお重(紙面)に恋だの、甘さだの、可愛いが隙間なく詰め込まれている。
しかも伊勢海老の代わりにクッキングがどーん。





一度は憧れません?お料理上手。




昔からやっぱり料理本関連が好きなんだなあと自分のぶれない嗜好を目の当たりにして、今のこの現状を憂う。
あの純粋な悩みなき、くるくると好奇心のみで生きていたあたしはどこに?




石のとれたブローチ

2017-10-29 | ドレステリア
さらさらと鉛筆が動いている。
迷いなく描かれる線から生まれてきたのは、目に星をもった女の子。
小首をかしげながら、大きな目であたしをみている。

あたしの知っている限りすべての可愛いさを、詰め込んだ女の子が生み出される指先が不思議でしかたなかった。キラキラを振りまくディズニーの魔法みたい。
もっともっと描いてとせがむと、どんどんでてくる可愛い女の子たち。
なぜ、その人は飽きもせず何枚も、幾人もの女の子を描いてくれたんだろう。


友だちと呼ぶには年の離れた妹みたいなHちゃんの家に遊びに行く。
彼女はHちゃんのママであって、母の友人でもあったから、いつだって何人かの大人と子供がいたはずなんだけど、思い出すのは小さな部屋に彼女とあたしの2人。
静かな光景。
飽きもせず、絵を描いて、飽きもせず、その指先を見ていた。
しんとして、鉛筆の走るさらさらという音が、聞こえるのみ。


可愛いものが好きで、描く絵のように華があった彼女はあの時、何歳であったのだろう。
今のあたしよりもうんと若く、憧れの姉のようで、Hちゃんのママという存在より確固としている。友達のママというより、自分の友達のような親近感があったのだ。
もうHちゃんと遊んだ記憶は曖昧だけど、その人の柔らかなパーマがかかった髪とピンクのセーターは、はっきりと思い出すことができる。
彼女と呼ぶにはおこがましいけど、あたしとHちゃんの年の差より、あたしと彼女の方が年の差が近くなってなっているから許していただこう。

彼女からもらった青いトルコ石とクオーツのブローチ
おもちゃではない初めてのブローチ。
今では石もとれてしまっているし、アンティークにもなりきれていない古いだけのブローチだけど、とっておき。



「使って」と渡されたブローチは宝箱に入れられて、今でもあたしのジュエリーBOXのなかにひっそりと眠っている。
宝箱経由のジュエリーボックス行き。
いつだって大事な物入れのなかでも特別扱い。


強い雨、週末、暗く寒い日曜日の揃い踏みでうんざりしながら、少女漫画な妄想世界に浸かって生きている三浦しおんの抱腹絶倒なはずのエッセイを読んでいて、そういえばあたしの少ない少女漫画の記憶の半分が彼女の絵だったことを思い出して、笑いどころではなく、古いブローチをしみじみと思い出したのだ。
Hちゃんも大きくなり疎遠となって、もちろんママである彼女とも顔を合わせる機会なんて皆無で、お互いがお互いの存在を思い出さなくなった頃、彼女の訃報をきく。
なにかと苦労の多い人生だったようであると伝え聞いた。

こんな日に少女漫画ときくと、まっすぐに正面をむいて微笑む女の子の絵を思い出す。
目には大きな星がひとつ、小さな星がふたつ。
そして、そっとあのブローチをおもうと、悲しみに鬱々とするより、深閑とした透明な何も描かれていない白い画用紙のような気持ちになる。
彼女の描く乙女の瞳のようなクオーツにトルコ石。


嬉々と貰って帰ってきたあの絵は、いまどこにいってしまったのだろうか。
月曜日の空はこんなトルコ石の空の台風一過になるだろう。




とらやの甘いねこ

2017-10-22 | トラットリア
とらや 「甘いねこ展」
六本木 とらやミッドタウン店のギャラリーで猫をモチーフにした和菓子がお披露目されて早、幾年。
この度、目出度く再販の運びとなりまして、お目当のねこを飼いに、いや買いに。

東京ミッドタウン店ギャラリー10周年記念 特別展「ギャラリーの記憶 2012-2016」


どの猫も甘い。
ひだまりでふわふわと丸くなる三毛猫はきんとん製になって「うたたね」



白猫のひくひく動く小さな耳は外郎で「すませば」
誰だったか、小さな耳をパリパリのせんべいにしてと書いていたけど、同じ猫の耳ならあたしはこちらがよい。
白いつややかな和菓子。
しっとりとしてひくひくとして、歯を立てかじるように大切に食べる。
猫の耳とはそういう食べ物であろうよ、きっと。




そして猫が沢山、ねこ羊羮 「にけ」
切るたびに猫が増え、2匹、4匹、8匹
黒と白の二毛ねこと見ればねこにしか見えないけど、スタイリッシュすぎる意匠に和菓子の奥深さが覗く。



三毛ではなく二毛
枕草子の一節、「猫は 上のかぎりくろくて、腹いとしろき。」
黒と白のニ毛柄の猫を、煉羊羹と道明寺羹で表しましたとさ。


このどれもを愛でたくて、味わいたくて、でも空想。
甘いねこは日だまりに丸まった幻の御菓子で、食感を想像しては溜め息をつき、猫を見ては口いっぱいに頬張って、甘さにきゅんきゅんしたかったこの四年。
特に『にけ』
今まではNI KEと聞いていの一番におもいだすのはサモトラケのニケ
NIKE(ニケ)とくればNIKE(ナイキ)ね。
NIKE社の由来はこの勝利の女神 ニケに由来するとか。
ギリシャの女神、ニケの彫像。
絶世の美女に違いない女神様ではあるがサモトラケのニケ 首なし。



ニケときいて、サモトラケのニケなんて思い出しもせず、この羊羹のみがどーんと登場するようになって、思い起こせば四年がたった。
不完全だからこそ完全なニケとはサモトラケのニケだけでなく、この和菓子にも言えることで、味わうことができなかったからこそ、私的垂涎の逸品の座に君臨していたともいえる。

口の中の大きなキャラメルをみたいな「に」と、ぺっと吐き出すような音、「け」
みけより甘さと投げやり感が混在していて白黒がはっきりついている。
唯物的な可愛らしさよりグラフィカルなツートンをもってくるあたりが虎屋の意匠の本領。
だからこそあたしは虎屋の和菓子に絶大なる信頼をおく。
いつの頃か、にけ
NIKEより羊羹。

栗の物語

2017-10-08 | トラットリア
秋は夕暮れ。
否、秋は食欲、秋の栗。
夕日の差して山の端いと近うなりたるところに、三つ四つ、二つ三つなど。まいて栗の連ねたるが、見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、夜の酒(ささ)にほっこりとした味わい、はた言ふべきにあらず。

と清少納言も書き残こしているとか、いないとか。


今年はまさかの栗ざんまい。
江戸の時世から芋・栗 ・南京は女子衆の好物で、季節を味わうものだから、せっかくだから頂いとくの体で食してみれば喰わず嫌いであったようで、栗がこんなにも美味しもので季節のお楽しみであったことにしみじみ。
でんぷん質は酒(ささ)に合わないとは思い込みで、旬の味覚がきりりと冷えはじめた空気に、冷酒にぴったりでねえ。
いとおかし、いとおかしと鹿に紅葉、菊に盃、栗に酒。

でも、栗は甘い菓子より、お出汁と塩味で頂きたい。
ないしは栗本来の甘味のみで。

季節先取りで出かけた長野 小布施の小布施堂。
栗の時期になると栗菓子 朱雀を求めて朝4時から並んで50人待ちなんてひょえ〜な状況を回避して、甘い栗は興味ないとばかりにお目当は小布施堂の長月のお膳。
栗の茶巾 餡掛け。
栗本来の甘味がお出汁の旨味とよーく合って辛党も満足。
ほのかな塩味が栗の甘味をひきたてて「塩梅」は「塩栗」と書き換えてもよいんじゃないかと思うくらい。







ここまで栗が美味しいと、朱雀食べてみたくなる。
故に、今日の栗。 栗菓子。
秋の夜長にちょうどよい物語のような味わい。

今は昔、おじいさんは山に栗を取りに、おばあさんは川のそばの栗拾いに行きました。
その栗を蒸して、そーっと取り出して、きんとんに仕立てて、一粒一粒、鬼皮に戻しましたとさ。









食欲の秋であり、読書の秋であり、栗の秋。



消える猫とわきだす猫はポール&ジョー

2017-10-07 | ドレステリア
消える猫をポールとして、湧いて出てくる猫をジョーとして、ポール&ジョーのリップを手に入れたい。

PAUL & JOEのコスメライン PAUL & JOE BEAUTEが猫ブームにのっかって猫好きさんの物欲をがっしり確保して大人気。
先日、伊勢丹に行ったら、ピンクオーラを発している居並ぶ面々のお目当てがポール&ジョーの猫リップだったのだ。




クリスマスコフレだったかで即刻完売の猫型リップが定番で買えるようになって、もちろん限定目玉品も用意されたISETAN ポール&ジョー 「circus」と名付けられたイベントが大盛況。




猫も杓子もの浮かれっぷりにあてられて、あたくしも嫌がる相方を引き連れて並んでみたの。
この世の男と女の力関係の象徴か、はたまた優しい殿方が増えたのかつっこまないけど、男性陣も粛々と列にくっついていて興味深い人間観察もできるという趣向。
スタッフに男性(イケメン・・・・なんの作戦?)を用意する周到さ。
女子はイケメンと猫が好き。
そういやあ、先日、友人としゃべっていたら、「女子はパクチーと星野源が好き」という名言をきいて膝を乗り出したのだけど、伊勢丹でパクチー&星野源を用意したら、売上アップに効果絶大だと思うけど、いかがでしょう、伊勢丹さん。
個人的は猫&イケメンより、パクチー&星野源の方が魅力的。
で、星野源はイケメン?という問題。
個人的には木村拓也は確かにイケメンで、星野源はイケメン寄りだと思いますが、圧倒的に好きなのは星野源で、ついでに言うならば星野源より岩合光昭氏の方に魅力を感じるあたしは猫なんでしょうか?
にゃーお。


手に入れたい猫型リップの可愛さといったらナイわ。
猫型リップになっているのはスクレドールというキラキラグロスみたいなやつとトリートメントリップにしたのも作戦の妙。
定番中の定番と人を選ばない汎用性からプレゼント最適品でもある。
自分用に、プレゼントにもいっぱい買ってねというメーカー側の策略にきっちりハマっていこうではないか!
悔しいけど。
という可愛さなのであるが、よーく考えたら、考えなくてもわかるけど、使いはじめた途端からそれは猫でなくなる運命に。
猫だから食いついたのに、食いつきどころがあっという間に消えてしまう運命のポール。
残念感ハンパなしと思っていたら、そういう声が多かったのか、ジョーが進化を遂げていた。
金太郎飴みたいに使っても、使っても猫の顔がでてくる仕組みに!



「ジョー!すごいぞ!」と声をかけたいあげたいクリスマスコフレがポール&ジョーから発売される。
毎年、完売のポール&ジョーのクリスマスコフレ。
発売当日、午前中で完売の予定だそうですが、今年も決戦は10月18日予約開始!
消える猫とわき出る猫 両方手に入れたい女子。
女子は猫とイケメンが好き、パクチーと星野源も好き!
自称女子なら、買う?買わねば?