日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

あちら側の田中智 『face to face』展

2018-05-27 | ギャラリー
田中智 「face to face」展 @銀座 ポーラ ミュージアム アネックス



行きたい、行かねばと思いながらの最終日。
ふらりと出かけて見れば、まさかの120分待ち。
どんなディズニーランドかという話ですが、まさかの展開に恐れおののいて、GINZA SIXへ買い物逃避。
さてはそろそろ列も短くなっているに違いないと夕方に再び、POLAの前へいけば
まだまだ列は勢い衰えず、60分待ち。
晩ゴハンも食べて、最終入場は19時半の直前、本日3回目の執念で会期最終の最終でのぞいて見たらまさかの30分待ち まだまだ大人気。

さて、この30分をラッキーと見るか、アンラッキーと見るか。

三度目の正直だし、いつ行っても同じ係りの方が入場整理していたことに敬意を評して粛々と列の最後尾へ進む。
一緒に行った相方にはあたしの執念に呆れ、尊いチャレンジ精神を小馬鹿にするけど、
3Fのギャラリーと外まで並んだ行列をこの暑い中、階段を昇り降りしながらさばいている人達の働きっぷりを見たら、30分の待ちなんて幸運以外なにものでもない。

ラッキーな30分は瞬く間に過ぎ去って、

目にしたのは
くしゃみ一発で吹っ飛ぶ作品の数々。





















無意識に息を止めざるをえない極小の食べ物たち。
寿司なんて飯粒一粒より小さいの。
目を凝らしすぎて涙が出そう
この人も人間の限界にチャレンジするあちら側の人であったことが判明しました。
あちら側の人のこと

無謀、無理、無駄も突き詰めれば芸術に昇華され、神レベルの仕事に到達していく。
ミニチュアにこれほどまでのクオリティーって無謀(無理、無駄とも入れ替え可)であるという言葉は飲み込むしかない まるで唾を飲み込むが如く。



言い訳大賞

2018-05-24 | Weblog
いろいろな意見があるようですが登山家の栗城史多氏が志半ばでエベレストでお亡くなりなったというニュース。

ツライ

この間、たまたまみたTVで超人レースにとり憑かれた人達の特集をやっていて、心身のツラサなんかものともせず、そのハマりっぷりの馬鹿馬鹿しさに大笑いしながらみたのだけど、いとも簡単に?亡くなってしまう次元でこんなことが繰り広げられているかと思ったらゾッとしてしまったよ。
エベレストも同じ。
そこには虹の谷というところがあって、どんな夢の世界かと思いきや志半ばで散った登山家達のカラフルな登山ウエアが虹のようにひろがっているのだという。
朽ち果てることもなく、待つ人の元にかえることもできない累々とした屍。
それを目印にして、目指す頂とはどんな世界であろうか。
こんなツライ世界でどんな心持ちであろうかと思うのだ。
なぜ山に登るのかと問われ、確かに「そこに山があるからだ」としかこたえようがないほどの憧れと情熱と使命感をもって向かう世界の頂が死の世界ということか。
極めれば極めるほどクレイジーな世界である。

やり遂げた人の辛さをぬくぬくと映像で笑ってなぞるぐらいが正常なのかも。
だってナミビアのサハラ砂漠のグレイトレース優勝者 飯野航氏が超人レースになぜ挑むのかと問われ、出てきた答えが「ダイエット・・・・・ですかね。」
確かにダイエットはツライ、灼熱の砂漠を200km走るような心象風景ではあるけど、実際に走っちゃえという考えにたどり着く人はそうそうおるまい。
そうですね、ダイエットになりますねと共感するより、ナゼそうなると唖然とするmcに共感する人の方が多いだろう。




赤く灯る居酒屋の入口を見つめながら、運動後のビールだけを目指してランニングマシーンで歩いているだけの自分に自画自賛レベルには、こんな人達がいるということに呆然とするけど、これほどまで過酷でツライ状況で頑張ってる人がいるなら、まだまだあたしは頑張れる・・・・・・と



思った方いいのか、どうなのか。
ついでにダイエットってなんだという話。


全く感情移入ができないし、比較対象にもならないから、笑うしかないのだけど
エベレストに挑戦し続けて亡くなった栗城氏をはじめとして、過酷な状況に自分の身を投げ出す人達の活躍をみて、何かしら心うごかされているのだからきっと意義のある挑戦なんだと消化する。
無理をしないと越えられない壁があるのは事実だし、無理をしなければ日常生活だって成り立ってはくれない。
エベレスト登山級に仕事がツライこともあるし、日本300名山一筆書き並みに朝の起床はツライ。
時に家事だって、育児のツラサだってサハラ砂漠を250km激走に値する。
皆んな挑戦者であり冒険者。
どこで自分のリミッターをはずすかという価値観の違いだけだ。


でもこれだけは言える!
断言しよう!
彼らの生き様をみて学ぶことは「無理は禁物」。
心より思う。
だから、あたしは無理をせずジムのかわりに、飲み会に行くことにしますという言い訳を使います 明日。




想像で餃子を炊きなさい

2018-05-04 | トラットリア
オノ ヨーコの『グレープフルーツ』という作品をご存じであろうか?




詩的であり、独創的でもあるオノヨーコのメッセージが読み手の想像で完結するというアート作品であり、イマジンの元ネタでもある。
ジョン・レノンはこの作品にインスパイアされてイマジンを作ったとされている。
命令口調でストレートに読み手に届けられる言葉はこうだ。


立ちつくしなさい。
夕暮れの光の中に。
あなたが透明になってしまうまで。
じゃなければ
あなたが眠りに落ちてしまうまで。


想像しなさい。
千の太陽がいっぺんに空にあるところを。
一時間かがやかせなさい。
それから少しずつ太陽たちを空へ溶けこませなさい。
ツナ・サンドウィッチをひとつ作り食べなさい。



この本を燃やしなさい。
読み終えたら。



想像しなさい。


想像しなさい。
茹でるのではない、炊いた餃子を。
食べ尽くしなさい。


想像しなさい。
その楽しさを。
その味わいを。

想像で餃子を炊きなさい。


ええと、宇都宮で呑みまして、
とても小洒落て美味しいお店に連れて行っていただいたんですが、
うっかり料理の写真を撮り忘れましてね。残念無念。
「炊き餃子」の美味しさを自慢シェアしたかったものですから、
せめてもオノ ヨーコの「グレープフルーツ」風にと思ったわけです。
焼きでもなく、蒸しでも、水でもなく「炊き」餃子。
もう、想像していただくしかないのです。
餃子を炊くしかないのです。
心のヨーコの言葉のままに。





行きなさい。
もう一度。





写真を撮りなさい。
次回は。
美味しそうに。





止めなさい。誰か!
あたしの心のヨーコの暴走を。
ちなみに炊き餃子が食べれるのは宇都宮 ムナカタというお店であります。