日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

ひかえめな小さな家はSmahus/スモーヒュース

2016-03-17 | ホーム
このところまさかの幸運つづきで我ながら驚いているところ。
これを可視化するにはやはり御神籤だろうと鼻息荒く、つかみとったそれは



大吉、一歩手前の中吉



これからのもう一段、高みに上がれるか
頂上から、早くも降下をたどっていいるのか、それは心持ち次第。
大吉手前の中吉なのか
大吉過ぎての中吉なのか。


運というのは無尽蔵にあるわけではなく、限られたものをどのタイミングと配分で使いこなせるかなんだと思う。
これをコントロールするのだと、言い聞かせてみれば停滞期も滞りなく過ごせる?どうなん?

貯めこんだ運は思いがけず爆発してくれると嬉しいけど、結局、努力というものが=運の貯め期でその後の幸運は=結果であることを、薄々感づいているのだけど、やっぱりそこからは目をそらしがち。
さらに言えば、努力という言葉だけでは乗り越えられない現実というものもあることも知ってしまっている場合には運貯め期を悶々とやりすごさなければいけないのである。


悩める子羊や、生き迷える猩々であるならば、時には天啓や護符なんぞももってみたくなるのは、ごくごく自然な流れともいえなくはない。
運を呼び寄せる、つまり時間を一度リセットしたいと思った場合、思い立って、意気込んで、闇雲に言い聞かせて「運」を買うことにしている。




手に入れた運、17日の幸運
アトリエルンド(atelje rund)の小さな家(Smahus/スモーヒュース)
小さな家型のキャンドルホルダー Smahus
窓から洩れて、こぼれたのは希望の光。








毎年、数分で完売してしまうこのスモーヒュースが、今年はSCOOPで抽選販売の方式が採用されており、運を貯めこんでいる信じて疑わない災難つづきのあたしは、これを買うことにしたのであった。
抽選にもれたならば、もれたで運をため込んでいるのだと言い聞かせはするけど、目の前に小さな家が赤々と輝いていると、やはり災難はこのためにあったのだと納得できる。
金運財布や幸運の壺、まさかの健康布団を大枚はたいて買ってしまう人の気持ちがわからなくはないけど、悪徳セールスはそこにつけ込んでくるのでくるので、気をつけたいところ。


ひとつひとつ手作りでつくられる小さなお家は、数がつくれないということで幻の逸品にその名を連ねている。
そのひとつが幸運にも手元に届いた訳だが、さて?
中吉の御籤のご選択は如何に?

果たして大吉級の幸運が目の前に鎮座している状況において、中吉の扱いは大吉一歩手前の中吉なのか、大吉過ぎての中吉なのか。


ご宣託の子細は

苔むせる 山の岩が根 千代へても 動かぬほどの 心ならまし
心を決めていろいろとさわがず、迷わず、今までの事をつとめればよし
何事にも手をだしてはいけません。 つねにひかえ目にしてことをなさい吉

願望 ととのう 物に迷うてはいけません
失物 物にかくれて出ず
旅行 よろし
争事 控えたるがよし
恋愛 良い 父母に告げよ
病気 気遣いしすぎるな



ということは今まで通り、ひかえめがよろしいようで。
Smahus/スモーヒュースのもれる明かりのように



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尖ったサボテンの気持ち

2016-03-16 | ホーム
衝撃の叢のサボテンとの出会いから早いもので3年。
地道に地を這うような低空飛行で持続している我がサボテン熱。

仙人掌
仙人の掌(たなごころ)と書いて仙人掌(サボテン)と読む。
サボテンなんて気安くカタカナで書いちゃいけないような漢字の組み合わせ。
ついでに覇王樹(はおうじゅ)とは仙人掌の別称であるから
サボテン=仙人掌=覇王樹となるわけで、「あたしは覇王樹を買った」という文章を小説などで見かけた場合、これは針が特徴の植物 「サボテン」を買ったのだなと理解しなくてはいけない。


サボテン=仙人掌=覇王樹


サボテンは見かけの通り、字面も強そうで、威厳に満ちたものであったことを知ったのはついさっきなんですけどねという具合のサボテン熱ではありますが、実は1年ほどになりますが我が家ではサボテンを飼っておりますの。
草花(ここでは儚い命の切り花を含まない)を育て続けると(ここがポイント)、育てているというより、もっとペットに近いような飼っているという感覚が生まれてくるのである。
長い時間を一緒に過ごしてきた重み、成長を見守る過程において、子育てよりは軽いながらもワンコとか、ニャンコと同様に「飼う」という行為の対象としてサボテンを加えたい。
するとだ、水を替えるときには「すぐ終わるからちょっと、ガマンねー」とか、「あら、お水美味しいのぉ」とか声かけちゃう変態になってくるわけよ。
だって、草木って人間の言葉がわかるっていうじゃない?
水を替えればなんだか嬉しそうだし(サボテンが!)、部屋が寒ければ寂しそうだし(サボテンが!)、新鮮なお水はやっぱり美味しいらしいし(サボテンが!)。


くるくるとかわるサボテンの表情や感情がわかるのはきっと愛情のせい!
そう、それは愛情のせいとと言い切りたいのだが、真相はterraのおかげに違いない。


terra





サボテンをまさかの水耕栽培にして、根っこまで見せちゃうと、気持ち悪さや、とげとげしさが薄まり、奇妙ながらも個性ある生き物に見えてくるのである。
新鮮な水にかえると根っこから気泡があがってごくごくと水を飲んでいるのがちゃんとわかる。
植物の表情は土の下、根っこにあったのですねえ。
尖ったサボテンのとっつきにくさも水面下では健気な純情さが満ち溢れているのである。
強がったように見せて、実は繊細な覇王樹様
ツンデレの魅力にもあふれた愛しき仙人掌君

モテの大きな要素の一つがギャップなのだそうで。
あなたのおそばにもサボテンはいかがでしょう。
恋に裏切りはあっても、サボテンは裏切らない。
かけた愛情の分だけ、貴方に応えます。
それが尖ったサボテンの素直な気持ち。
携帯とかで疑似恋愛するより、サボテンと恋愛したい。
二次元の彼氏なら、三次元のサボテンの方が愛おしい。

目下、飼うというより、恋愛中という域。低空飛行だけど。
恋愛は低空飛行の方が長続きするらしい。
是非そのお相手は根っこまでカッコイイterraのイケてるMr.サボテンでお願いしたい。










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文鳥文庫 小説をひとひら

2016-03-13 | リブレリア
音楽を一曲。
アルバムの中から一番売れているあの曲をあたしは買う。
いやいや、その曲ではなくしっとりと心にい沁みるあの曲を一曲買うのはあなただろうか。
音楽をデータで買う人にとっては、決して珍しくない行為なのであろう。
CDを現物で買うことしか頭にないあたしは、ジャケットや音楽の並び順もふくめて一つのものとして音楽を10曲とか20曲とかまとめて買っているわけで、曲単位で買うという発想は全くない。

だから音楽に限らず、これをコマ切れで買うという発想は思いも及ばず、驚いた。
小説の短編、これを一編のみ買う。


文鳥文庫
長くても16ページ。





蛇腹折りになったページの両面。
文学の王道の小編小説や隠れた掌編小説の名作がラインナップ。
文庫本がアルバムなら、そこに収めれれた小説は曲ということなのだろう。
華やかで技巧的な一編、一曲。
胸にしみるひそやかな一編、一曲。
ユーモアにあふれた軽やかな一編、一曲。


アナログ世代には画期的なデジタル世代の発想で売り出された王道文学。
古臭かったはずの文学への新鮮なアプローチ。
デジタル世代のアイデアに脱帽して小説を 二編 各150円

宮澤賢治 「注文の多い料理店」
幸田文 「雪もち」

計300円。






音楽と同じ、アルバムで買うより若干の割高感。
アナログ世代のあたしにはこの紙切れのような形態では物語がちょっと頭に入ってき辛い感じがするのだけど、いつかこうやって文学を買うのがスタンダードになる日も来るのだろうか?



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今日に想う、久遠

2016-03-11 | Weblog
哀悼の想いあるのみ。
時間だけが流れていく気がしないでもないが、時が生み積もることもあると思うのです。
失くしたものは多いが、得たものもあると心にかけて。


久しく途切れず、滔々と続くもの 「久遠」
東日本大震災の記憶は死ぬまで消えないからこそ、1年目と5年目の心持ちは違うはず多分。









年を重ねるごとに冷静になってきたからなのでしょうか、これを日常と呼ぶからなのでしょう、おかげで年々、涙脆くなるのです。








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くしゃみにまみれてミモザの日

2016-03-08 | Weblog
気持ち悪いほど生温い陽気。
コートなんてまったく必要がなくて、ここぞとばかりオシャレして出かけたいのだけど、いかんせんマスクだ。
マスクマンなのだ。花粉症がひどいのだ。
息切れはするし、お肌テカテカだし、鼻は痛いし 耳もイタイし。
しかも、鼻をかみすぎて皮膚が弱っているところに、風邪菌がついたらしく、鼻くそのようになっている。
鼻くそのようにみえるのだが、これはちゃんとヘルペスなのであって、断じて鼻くそでは無い。
「鼻くそではないぞー!」と大声で呼ばわりながら歩くわけにもいかないのでマスクをしている。
なので痛くならなくてもよい耳までが痛い。
この際だから、マスクついでにメガネまでしてフル装備


(花粉フル対策 イメージ図)


ここまで完璧なマスクをしていながら肝心な目および鼻が露出しちゃっているという残念感、まさにあたしが、今びしばし感じているこの春のうららかな陽気に対する残念感がこのマスク姿なのである。


花粉症もツラいがマスク姿もツラいのです。
頭ぼーっとするし、息切れするしおしゃれじゃないし。
どんなに悪態をつこうがくしゃみは止まらず、鼻くそをつけたままで マスクマンで荒むこの頃。
反動でせっせと花屋に通っている。
家に花粉を持ち込む荒療治と意気込んで


(花粉に立ち向かう勇気の心象風景)


本日、3月8日は 国際女性デーでありミモザの日
ミモザをたっぷり買い込んで、ピンクのチューリップとパステルカラーのヒヤシンスも追加して。
家の中にそこはかとなく花の香りがただよっている。
今日は女性であることに誇りを持ち、自由を謳歌し人生を楽しむ日でもあるようなので
あと数時間ですが、羽を伸ばして女性であることを楽しもう。←という詭弁
ミモザの香り及び、花粉ついでに埃(誇りという字を当てたい)が漂うくしゃみが止まらない部屋で。←結果、掃除をさぼったツケがこれ












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レネレイドの繋がる季節のネックレス

2016-03-01 | ドレステリア
ミモザの花は春の予感を告げ、
ラベンダーは初夏の訪れを知らせ、オリーブの実は秋の足音を立たせる。
季節は輪になって繋がっている。

季節の移ろいは一本のチェーンになっているという事はつまり、ネックレスになっていて首周りを彩る事ができるという事だ。

アクセサリー
私を飾るもの、彩るもの、オマケ的なぁ。
では、飾りましょう、彩りましょう、オマケりましょう!
レネレイドのネックレスを。





どのモチーフも外れ無しで、あわよくばsaleになるんじゃないかと期待したネックレスを定価で買った。
びた一文、まけられてない容赦ない定価でだ。
季節は移ろえど、バイブレーションは浮き沈めど、結局は一本に繋がっていることを再確認するために。
ダメには良いが、低には高が繋がっている。
人間、万事塞翁が馬、。
ついでに金欠、金満も交互に繋がっているはず。
安定の高水準か、低水準かは人各々だけど。



ちなみに現在のわたくしめは
運気は下り坂の予感を告げ、
業務放棄の訪れ間近で、金欠が足音を立たせている。
でも、首周りは華やかだから、このネックレスを浮上の兆しとなるはず。

浮上の予感、
浮かれ気分間近で、
幸運の足音が聴こえる、




予定で、願望。
まじで!
  




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