日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

3枚のハンカチ

2009-07-26 | ドレステリア

ハンカチって乙女ゴゴロをくすぐるアイテムだとおもうんですよ。
カワイイなと思うとつい買ってしまう。
お値段も手頃ですしね。
あたしの場合はもっぱら手を拭くためだけのハンカチですが、上手に使えば用途は多い。

究極の美意識を持った中原淳一
名前は知らなくてもこの絵を見れば分かる人もいると思います。


外見の美しさもさることながら生活のすべてに「美しさ」を追求した人。

「ハンカチ」についても
「ハンカチは三枚は必要です。」とおしゃる。
以下、彼の 「あなたがもっと美しく生きるために」という本より抜粋。


あなたは外出の時に何枚のハンカチを持ってお出かけですか。
もしあなたがいつも一枚しか持って出ないのに、今までに大困りをしたということがなかったのなら、それはほんとうに幸運だったといわなければなりません。

中略


一つは大型のもので手を洗った時に拭くためで、もう一枚はできるだけきれいなものにして、これは食事によばれた時にヒザの上に置いたりするために、それにもう一つはちょっと顔の汗をふいたりするものです。

ハンカチは一度手をふくとすぐにぐっしょりとぬれて黒く汚れてしまうのでちょっと訪問さきで出された果物の皮をむいたりする時に、そんな汚れたハンカチをヒザの上に置いたのでは恥ずかしい。
「ちょっとハンカチをかしてください」などとだれかにいわれた場合に、「あら、こんなによごれているんですけど、よかったら・・・・・」などと、うすよごれて、おまけにしっとりとぬれたハンカチを出さねばならないのでは困ったものです。

さらに「ハンカチであなたを美しく」では


ハンカチは手をふいたり、汗をふいたりするものだとだけ考えてはいけません。
イヤリングやネックレスなら、今日はどれをつけていこうかと鏡の前であれこれとうつして見ては迷ってしまったりするのに、ハンカチの方は何でも手あたりしだいだという人が多いのではないでしょうか。
洗面所で洗った手をふくだけなら、それはなんでもいいのだけれど、バックからちょっと取り出して、口元をそっとおさえたり、ヒザの上にひろげて果物の皮をむいたりする時にあなたのドレスをパッと引き立てるような色のハンカチだったらどんなにあなたを素敵にみせることでしょう。


中略


一枚のハンカチは、あなたのよそおいをもっと美しく見せる大切なアクセサリーだということを忘れないで欲しいと思います。
そして、そんな細やかな心遣いがあなたの人柄まで優しく女らしく見せるというもの

 

え~と残念ながら今のあたしは訪問先で果物の皮をむく機会は皆無に等しいし、出先にはたいていエアータオルなるものがあります。
なのでハンカチはなくても何とかなってしまう。(これは極論。)
しかしだ、どうやってもあたしの生活スタイルにおいては間違いなく「ハンカチ 3枚」はいらんな。
そしてアクセサリーのようにハンカチを選ぶ習慣も残念ながら持ち合わせてない。

初めてこの文章を読んだとき、ただただスゴイと驚く。
こんな高尚かつ繊細な美意識が存在することにびっくりしました。

ハンカチにも気を配るというということ。
ガサツなあたしにはなかなか難しいのですが小さい気配りの集大成が自分を形作るものだとすると、確かにハンカチごときなんていってられません。
たかがハンカチされどハンカチ。
カバンからでてくる小物ひとつでも性格わかりますもんね・・・。

確かにオシャレだなと思う人はぶれない審美眼を持っています。
身につける全てのもの、そしてその人に関わる全てのものにちゃんと気を配っています。
ドレスをまとってタオルハンカチでは確かに興ざめです。
細やかな気遣いが女を磨くということなのですね。

ちなみに「ハンカチは3枚・・・」のエッセイの中でさらに中原先生はもう一、二枚多くてもいいと書かれています。

3+2=5

5枚のハンカチ・・・・
あたしの解決策はこちら



les Briqua'a* braqueのハンカチコート
これなら5枚以上あります。
大量ハンカチです。
うっとりですよ。
ああ、ハンカチは奥が深い。




 


 


ザ 適当

2009-07-24 | Weblog

このところ、鬱々として梅雨に戻った天気のような日々が続く。
早くばしっと晴れた快晴に戻って欲しい。
なんだか身も心もカビてしまうよ!

そんな時には我が師匠に教えを請うとしよう。
ココロのカビには高田純次
あたくしが師と仰ぐ「適当」のお手本。

 

この場当たり的なやっつけ感が好きです。
周囲に言わせれば既にあたくし、名人級の適当さを持ち合わせております。
これ以上、適当な人間になってどうする!とお叱りを受けそうですがね。

「適当」って大切な事だと思うんだよ。
物事を柔軟に対処する方法でもあるし、
処世術の奥義だとも思う。

おおげさ????

まあ適当に受け流してやってください。

ほうら、受け流せたあなたはその適当さによって人としての包容力もあがります。

ちょっと申告。
先日、友人に会う。
その時にあたしの「適当さ」が露見しました。
お恥ずかしい・・・。

あたくしその友人に「余裕がないとみっともない!」と言っていたのだ。
うへい。
そんな事、言ってたんだ・・あたし。
お恥ずかしい限りです。
確かにがむしゃらにつっぱしっている渦中の人には見えなくなってしまうこともある。
それを伝えたかったのだと思う。(多分)
時間的余裕
精神的余裕
体力的余裕
能力的余裕
あまりに余裕がないといろんなクオリティーが下がってしまうと思うのだ。
いい仕事も出来ないし、生活の疲れがたまると健康の問題も抱えかねないし。

なのにだ

「みっともない!」なんてね。
もっと言葉選べデスよ。
今になって思う。

ごめんね。
適当に話しすぎていたかも。
しかも言った事すら覚えてないし。
これが正真正銘の「場当たり的」です。


卒業後、初めて会う同級生にはいたっては
「○○部だったよね~。」
「そう、そうだった!」
なんて相槌打っておきながら
「俺、△△部だけど・・・」

「・・・・・・・・・・。」
あ~すまぬ。
適当に同意してみた!
しかも名前、間違って呼んだし。

あちゃ~

 

繰り返し申し上げますが、ワタクシ皆様の深い愛情とお心遣いに支えられて生きております。
あたしの「適当さ」に負けないよう、適当にあしらってやってください!

平身低頭 抱腹絶倒
笑い飛ばして乗り切っていこうと思う。 




 



 


他人のアラ

2009-07-22 | Weblog

このところ考える日々が続く。

何をすべきか。
何をどうしたいのか。


 難問をつきつけられました。
そして、現実を見せ付けられました。
いかに自分が努力をせず、自己満足で仕事をしているかを知る。
「頑張っているのだ!」と思っていても所詮、自己評価なのです。
かといって「貧乏くじ」をひきたくないという思いもついてくる。

あ~あ、こうやって思ってしまうこと自体なんだかな。
愚直なほど誠実というのはなんと難しいのだろう。

通常、仕事というのは「何事も無い」のが当たり前。
もちろんトラブルや難問をいかに解決していくかというのも大切ですが、その前に問題が勃発しないようにしていくのも大切な事。

だた、なかなかそこは評価されにくい。
電車がダイヤ通りに運行していることも
信号が常にちゃんと点滅する事も
いつ行っても同じ味のラーメンが食べられることも。
当たり前すぎて気にもなりません。

だけどホントに「当たり前」でいいのか?
そこにはルーティンワークとして数々発生するであろう問題を取り除いている人がいるのだ。
「当たり前」を支える人たち。

縁の下の力持ちになるにはなんと難しい事なのか。
人としてぶれない「芯」をもっていないと出来る事ではありません。
それでね・・・・人ってよく見てるのよね・・・。
見なくていいところがしっかり見られています。
人のアラって目立つのよ。

本日の写真は幻の高級魚 「アラ」のフルコース。
ちょっとしたシャレです。

自分に対する戒めとして大いに反省、言い訳少し。
やっぱり、努力している人には勝てません。
自分のアラを直すべく努力ですよ、努力。
ホントあたしなんか「アラのフルコース」ですわ。 オホホ





 

 

 


かくも愛しき

2009-07-22 | Weblog

今週はバタバタの1週間でした。
なんだか長い1日であっという間の1週間。
梅雨も明けて暑いし、暑いし。
多分、この暑さも疲れを助長させる要因だと思われます。

ライブに行き
ヨガに行き
図書館に行き
同窓会に行き
久方ぶりの友人と会う。

改めて盛沢山な日々でした。
暑さだけじゃないなこりゃ。

ちなみにここまでは言い訳です。
頑張って言い訳したのはこの記事をアップするのが遅くなってしまったから。

お土産を頂きました。
ウ ウレシイ!!!
あまりの嬉しさに思わずパチリ

カワイイ テントウムシはトートバック。
Mrs.ファーブルのあたしにはもってこいの虫柄です。

そしてこちらも頂きました。
写真というスーベニール。

 

ああ、なんて有難い。
かくも愛しきスーベニールです。

お土産ってね、贈り物ではあるんだけどそれに時間を共有させてもらえるというオマケがついてくるようでウキウキしてしまう。
お土産話もお土産写真も然り。

時々、切に「旅」にでたいと思うのだ。
悲しくなっちゃうぐらいに「出かけたい願望」が強くなってしまう日も。
距離を移動するだけで好奇心を常に刺激される環境に放り出されるというあの感覚に出会いたいのだ。

人間、好奇心がなくなってしまったら終わりだな。
して、この友人。
好奇心のカケラを上手に拾ってきてくれる。

これって「才能」です!
あたしはそのおこぼれにあずかると・・・。
彼女にかかるとなんでもない日常も大切に日に変わります。

脇目もふらずがしがし歩くのもいいがちょっと周りを見渡すと案外、側に好奇心を刺激するスイッチはあるのかもしれません。
現実逃避もいいが愛しき日常を大切に!ということで。




 


 


シルクロードの火薬庫

2009-07-12 | Weblog

先週の大きなニュースといえばウイグルの問題。
新聞を読んでいたら興味深い記事に目が留まる。

朝日新聞 7月11日付 「天声人語」

抑圧された民族感情の渦巻くこの地は「シルクロードの火薬庫」とも呼ばれる。そこがまた火を噴いた。炎は大きい。胡錦濤(フー・チンタオ)主席はサミットへの出席を取りやめ、急きょ帰国した。去年のチベットといい、封じるほどに噴き出す中国の少数民族問題である▼死者は少なくとも150人、負傷者も合わせれば千人を超すという。自警団さながらに、こん棒やパイプを持ってデモをする漢族の写真が紙面にあった。憎悪の充満した一触即発の危うさが、遠い地から伝わってくる▼古くから漢族は、西域にエキゾチックな宝物を求めてきた。現代の宝は豊かな地下資源だという。政治を仕切り、富を求めて増え続ける漢族に向くウイグル人の反感は膨らんでいる▼この自治区には『西遊記』にも登場する、「炎の燃えさかる火焔山(かえんざん)」がある。孫悟空が芭蕉扇(ばしょうせん)であおいで炎を消す場面は名高い。ひるがえって今回の騒乱である。民族の声たる炎を、中国政府が力ずくの弾圧という「扇」で消すことがあってはなるまい。

 

この問題は本当にデリケートで日本に住んでいるあたしには理解できない多くの問題を含んでいます。
陸続きの一部の地域がつねに緊迫した情勢なんていうことは今の日本でありえない訳です。
東海道にも中山道にも火薬庫は存在はしません。
休火山の富士山はあっても炎燃え盛る火焔山もありません。

しかし、ウイグルに火焔山があるとは知りませんでした。
西遊記は玄奘三蔵の旅日記である大唐西域記を基に虚実入り混じる伝奇小説です。
その中にでてくる火焔山は炎もえさかる山で三蔵法師一行の旅を妨げる難所としてでてくるわけです。
唐の時代から西域の入口として複雑な背景をもつ旅の難所だったのでしょうか。
真偽の程はわかりません。
しかし最近の暴動のニュースの中でも圧倒的な数の死者がでてしまいました。

タイでも
チベットでも
こんなに死者はでていない。

記事にあるように炎を消すはずの「芭蕉扇」(=「武力」)が炎をさらに煽ってしまうものにならない事を祈るばかりです。
そしてシルクロードの火薬庫がシルクロードのオアシスとなりますように。


 


キーワードはCHANGE

2009-07-05 | ドレステリア

またこんなんをみつける。

何だか分かる?

こうすると分かりやすいです。

すばり、ネックレス。

こういうの大好き。
長めのフリンジが動く度にしゃらしゃらと揺れます。
アクセサリーというと金、銀、プラチナにダイヤなどの素材を思い浮かべますが
実はどんな素材でも身を飾る事は可能なんですよね。

石、ガラス、金属、陶器、布、ニット、貝、木。

そんな中で最近お気に入りの素材は「布」。

布のアクセサリーは同じ洋服を効果的にそして劇的な変化をもたらしてくれます。
キーワードは「CHANGE!」。

最近、気に入って4枚も買ってしまったGAPのTシャツ。
半袖のワンピースの下に来てもいい。
カーディガンを羽織ってもいい。
もちろん一枚で着てもいいのだが・・・そりゃつまんないでしょ。

お気に入りのイラストがばしっと入ったものもいいですがアクセサリーで遊ぶただのTシャツが大変身。

画期的です。
経済的です。
臨機応変です。

一枚の洋服がアヴァンギャルドにもドレッシーにもなってくれます。

ついでにこのところ出番が多いのがこちら。
シュラッグ

ネックレスより大振りでストールより邪魔でない。
ついでにジレのようなかっちりさも無い。
もっともっと選択肢が増えて欲しいアイテムがシュラッグです。
首にするのはネックレス。
腰にはベルト
肩にはシュラッグ。

これからブレイクの予感。
どうよ。
ジレより丈が圧倒的に短いので着やせ効果も狙えます!
目線を上にしっかりもっていってくれるからね。
アクセサリーというにはちょっとインパクトがありますが、これも一種の布アクセサリー。
お花が咲いたように見えるのはヨーヨーキルト。
大きさの違うヨーヨーがつながっています。
ニットでもワンピースでもTシャツでもこれを羽織るだけでホントに印象がかわります。
便利、便利。

このところ、大振り布アクセサリーを求めセールを徘徊中。
ただこういうのはセールでなかなかお目にかかれません。
買う人と買わない人がはっきり分かれるため、残ってしまえば真っ先に値下げ対象の商品になるはずなんだけどね。
ごちゃっと置かれちゃうと手にすらとってもらえないモノに成り下がってしまう。
上手に発見するのも醍醐味ですが、ちゃんと合わせる洋服を想像してゆっくり買い物して初めてわかる良さがあるのです。

買い物って難しい・・・。
買い物道を究めるにはもうすこし散財と時間がかかりそうです。



まるで花屋のように

2009-07-04 | Weblog

「この季節、紫陽花がステキです。」
「南国の大振りの葉を一枚だけ、合わせるもいいですよ。」

花屋さんに行くのはとても楽しい。
生命力の一番高い時期の花たちがぎゅっと存在する空間はパワーに満ち溢れていてそこに足を踏み入れるだけで癒しです。

この花とこの花そしてこちらのグリーンをあしらって・・・。
そうやって花束が出来ていく様は楽しい。
同じ花をえらんでも合わせる花を変えれば全く別の花束が出来上がるし。
不思議なものです。花束は。
花屋さんのセンスにも多いに左右されます。

このセンスはね多分、洋服やアクセサリーをつくる人と同じセンスだと思うのです。

やっぱり「そうなのだ!」と納得した次第。

とっても美しいラリエッタ、アクセサリーストールに出会いました。
「BOUQUET BY VIVIANA UCHITEL(ヴィヴィアナ ウチテル)」

 

お花屋さんみたいなアクセサリー屋さんがコンセプトです。
ひとつひとつ手でつくられた花たちはシルクであったりニットであったり。
それぞれの花を束ねてひとつのブーケを作るように出来上がる。
詳しくはこちらを読んで欲しい。

Bouquet by Viviana Uchitel



そしてあたしの手元にきたブーケたち。

首元を彩ったり、ベルトにしたり、ヘッドドレスにしてもいい。


花屋さんもそうデザイナーもそう、あたしも同じ。
想像力というのは人を豊かにする最上の要素。
想像力をフル回転させてドレスを着て、アクセサリーもつけてみます。

 

うん、美しい。

さすがにドレスまで予算オーバーなのであたしはシンプルなワンピースに合わせます。

このストールはすでにイメージごとに何本かになっていますが、お花屋さんみたいにイメージを伝えて束ねてもらったり、自分でブーケをつくるように花をチョイスしたりする要領で選べたらすごく面白いですよね。
組み合わせて初めて分かるよさというのもあるはずです。
そんなアクセサリーショップないかな・・・。

期待!!