日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

むふふな東海道中膝栗毛

2018-12-26 | Weblog
年の差 20歳のメンズカップルがあちこち騒動をまき起こしながら
日本国内を面白おかしく旅をする物語ということをちゃんと教えてくれていれば
一発で覚えたであろう「東海道中膝栗毛」
そんなことは知らないから、古典やら歴史の教科書に埋もれてしまっていた作者「十返舎一九」
 
「東海道中膝栗毛」が今年話題のおっさんずラブな設定で江戸のガイドブックやグルメ本としても重宝されましたということを授業で教わっていればそれは大層なインパクトで滑稽本、東海道五十三次 お伊勢参り 黄表紙 十返
舎一九もまるごと覚えてテストもばっちりに違いなかったのですが、いやはや、いやはや。
もうこれらが答えになるテストなんてうけることは金輪際ないから、手遅れ感が半端ないですが、学校の先生もいじわるで、大事なことは教えてくれないのですね。 大人ってやつは。
週末、東名道を行く静岡旅へ。
寒くなっておいしい静岡おでんで一杯やるのが最大の目的だけど、せっかく行くのならもう少し観光しようと足をのばしたのは「丸子宿」。


丸子宿
東海道の20番目の宿場町
名物は「とろろ汁」
 
歌川広重の「東海道中五十三次」の浮世絵にもいまでいうところのJRのポスターよろしくにも弥次喜多コンビが入り込み丸子宿 丁子屋をアピールしてるし



著名な俳人 松尾芭蕉が丸子宿のとろろ汁のキャッチコピー(俳句ともいう)を請け負っている。

梅若葉 丸子の宿の とろろ汁by松尾芭蕉
 
ポスター映像が蜷川実花、キャッチコピーは尾形真理子(まさかのマリコつながり!)のルミネの広告みたいな感じか?いやもっとビックネームのコラボともいえる?
TVの全国版CM規模の認知度で金をかけた贅沢な広告をかけていたともいえる丸子宿。

今をときめくイラストレーター(といってもいい?浮世絵師)や文筆家(小説家や俳人)をつかってあの手この手のブランディングは功を奏して、戦国期から今に至る400年、丸子宿といえばとろろ汁、とろろ汁といえば丸子のきってもきれない関係がつづいている。
電通、博報堂が真っ青になって歯噛みするくらいの効果である。
おかげで平成最後の2018年 現在も、丸子でとろろ汁!は不動の定番であって日本各地からの客でにぎわっている。
丸子のとろろ汁 丁子屋のみ、そこだけ局地的にほんとにそこだけの賑わいなのである。


 
白みそをきかせたとろろ汁。




久しぶりにお店で食べるとろろ汁のおいしさに舌鼓をうち名物に美味いものありと、旅の楽しみをのみくだせば、昔の旅人もこの味を楽しんだんですとのアピールがそこかしこにあり、確かにおいしくて、ナベカマの底にへばりつくような「東海道中膝栗毛」の記憶をこそげてみれば、弥次喜多コンビはBL設定で時代の寵児ともいえるクリエイターのとろろ汁推しに驚いて、丁子屋以外はあんまり見るところがないけど行ってよかったねと思う旅の空。
車でいくしかないけど、あたしは助手席で寝るだけだからねと、とろろ汁の他に
焼きとろ、揚げとろもオーダーして、酒もたのんで・・・大人ってやつは、子供より楽しくて困ってしまう。



学生の態ではなーんも面白くも興味もない「東海道中膝栗毛」だけど、
美味しいとろろ汁&酒、しかもムフフな設定であったのねと大人の目線でたのしめば旅はかくもおもしろき授業なり。




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究極のダイエットのノウハウあります。

2018-12-10 | リブレリア
相変わらずどうしようもないものを食べている。
飽食の時代と叫ばれながら、栄養失調やこ食(個食、孤食)など食にまつわるネガティブな話題は多い。
もちろんあたしもご多分にもれず貧相な食事で朝は適当、昼はパソコンをみながら何かをつまむ程度、その反動に夜は頑張った一日のご褒美と称して自分の好きなものを食べる日々。 


いいね!不健康。 いいね!高カロリー。
目先目下の誘惑に負けて栄養学的な食べ合わせなんてなにそれ?
 自分の体は自分の口から採ったものででしか養えない道理に無駄な抵抗を試みる。
究極のイメージトレーニングとばかりにおいしそうな食事を求めてネットサーフィン。意識高い人の結果をみて妄想。時間と手間さらには金をかけきれる人はいつだって向こう側の人。
だからこそ健康食品のCMがこんなにあふれるわけで、せめてもの罪滅ぼしのように青汁やサプリに手を出すのだろう。
それでも老いはTVで特集される健康によい食品にバズり、若きはインスタ映えする食べ物に踊る。
皆んな食べることに付加価値を求めて必死だ。
それでいて体重増加防止もしなきゃいけないのだから、「食べる」にまつわる問題はジレンマが深い。
食べるという行為は人間として切り捨てることはできないからこそ身体と精神の両方の充足が重要といえる。
 


食事が貧相になればなるほど、身も飢えるし、心も飢える
 心の場合は飢えるというより荒むといったほうがよいかもしれないけど。
だからこそせめても読書ならぬ「読食」。
お手軽サプリのように荒んだ精神に本を一冊。 
そしてスゴイことに、いま流行りのロカボならぬノンカボも実践できるというわけ。
究極の0kカロリーであり、(誘惑にまけなければ)ダイエットにもなる「読食」。
本で味わう美味しい食事、精神で味わうハイカロリー。霞。

0kカロリーながら美味しく味わうのにうってつけなのはdancyu の人気連載が一冊になった「私的読食録」。






まさに食を読みこなすための案内書。
食という切り口でまだ出会っていない名著に出会うきっかけとなるし、美味しいものと本を愛でる文筆家の巧みな文章も味わえるという趣向。
唐突にポテトサラダが食べたくなっちゃうし、夜中に蕎麦湯が飲みたくなるし、
電車の中で至急、削り氷あまづら入れて、あたらしき金鋺(かなまり)に入れたるものを欲す。
dancyu の紙面で前月の内容を忘れたころに読むより、次々とコース料理のようにくりだされる美味しい文章は読みごたえがあってそれだけでくちくなる幸福。
食べ応えのある美味しい文章というのに出会った満足感は、食後の満ち足りた幸福感にも似て、荒んだ精神へ直球で届く、味わいをそのままに。

レシピ本を買いまくって、視覚で食事をする方法も、視覚&思考で足りない栄養素を補充する方法も、どうよ究極のダイエット法であり至高の0kカロリーの宴。  
テレビで究極のダイエット法ですとか紹介してもらったら、効果抜群でどんな人も(誘惑に負けなければ)間違いなくやせるし、本屋もウハウハじゃない。
 
 
 
「読食」のハウツーを上梓して印税
本屋からのマージン
「読食ダイエット」のカリスマとしての営業
健康寄与への健保組合からの功労金 などなど


いま、読食ダイエットの元祖として儲かる気しかしない 。



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