日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

勝負の行方

2008-07-29 | Weblog

このところ夕立というよりはものすごい嵐のような雨がふっているようです。

神戸での河川増水事故。
金沢では浸水事故まで。

暑い時期の「雨」は天然のクーラーがわり。。
暑い国のスコールも日本の夕立もちゃんと意味があって、自然の仕組みの中で生物が快適に生活するうえで役に立っているのだ。
暑い時期にちゃんと「夕立」という自然の冷房効果があるのですから。
そう考えると地球のもつ自然の摂理というものの深さを感じることが出来ます。

 

なのに

 

ちょっと暴走気味のような気がするのですが・・・

突風、竜巻、鉄砲水、浸水、増水、土砂崩れ。

こういうのを地球の悲鳴というのでしょうか?

 

 

夏の夕方にざっと降ってさっと止む。
その後には熱気のとれた夕焼けが見えたらそれは夏の醍醐味ってもんです。
ちなみにあたくしこの「雨足」に完敗中。

ちょうど帰りがけに、これから買い物に行かなくてはいけないというときに限ってバケツをひっくり返したような「夕立」にやられます。
あと5分・・・・早ければ。
遅くてもいいのだけど・・。
こんなにどんぴしゃりだと悔しい。
明日の勝負はこの夕立を電車で追い抜いて帰ってくる予定。
あえてのサンダル、傘なしで勝負してきます!!!

さあてどっちが勝つかなぁ。
Life is a game of chance 


運任せの勝負をしてきます!
ちなみにオッズはあたしの方が「高い」ですけどね!



オッズが「高い」ということは・・・・・


島国だから!!

2008-07-28 | Weblog

昨日は相方と美味しいものを食べに出かける。

岩がき、水茄子、のどぐろ、うなぎ・・・いやはや贅沢也。
そして日本酒。

是、美味也。
海に囲まれた日本に生まれた幸せを感じる瞬間です。

 

 

そして酒の肴にネタは「島国風土」の話。


発端は友人の「ミニ」から。
ローバーのミニという車。
友人のバーガンディ色のカワイイ車。
ウッドパネル仕様でマニアル車。

 

運転ギライなあたくしとしては運転を堪能することは不可能だけど、車そのものには羨望の眼差しをおくる。
色といい、デザインといい、よくできた車だと思うからだ。
だからコアなファンが多いんだろうとも思うし。

友人然り、相方然り、運転好きの車好きには更に魅力が増すらしい。
大人の高価なプラモデルみたいなものなんだろう。
必要最低限のものをコンパクトに詰め込んだ車。
手をかけ、愛情をかけ、お金もかける(いや、かかる・・・・?)。
それが魅力。
シンプルな構造ゆえ、手を入れることを許されるだろうし、デザインも自分仕様のこだわりが許される。
もうすでにあのデザインで完成されているような気もするのだけど、カスタマイズに耐えうるデザインというのもすごいよね。

 

 


ミニがミニたる所以は「小さい」事。

大の大男が折りたたまれるように乗っている姿すら、ミニらしい。
体が大きな英国人なのになんであんな小さな車を作ったのかが謎でした。

相方曰く、「島国だから・・・・」

大陸のハイウエイを走るための車ではない。
島国の道を走るために生まれた車だからあの大きさが使いやすいんではなかろうかという話。
英国と同じ日本でも人気の理由がそこではなかろうかと。

英国と日本。
たしかに共通点は「島国」だということ。
大いなる共通点です。
日本人がMINI好きであるのは有名みたいだし。

 

 

こうやって物事をみていくと面白い。
こんなところが共通点で、ちょっとしたことでも大違い。
間違い探しではなく、共通点探し。
意外と高尚な遊び方です。
ついでに「風が吹けば桶屋がもうかる」方式で物事を見ていくと大発見が隠れているような気がします。

ちなみにあたしのお気に入りはこちらのMINI。


小さいが身上のMINIをあえて6mにまでひきのばしたこちらのリムジン。
MINIなのにリムジン。
MINIなのに小回りきかず・・・・。
ものすごくアバンギャルドな発想です。
いいなあ・・こういうの!!!

 

 


ぶらさがり健康法

2008-07-24 | ホーム

暑い日が続きます。

こうなると「涼」を求めてさまよってしまう。

歩道の木陰。
木陰が無い場合は電信柱の影に身をよせる。
無意味で無駄な事とは分かっていても「悪あがき」。
小さなお店の前の打ち水もほっとする。
昔ながらの風鈴も、団扇もなかなか快適な「涼」をくれます。
やっぱり「涼」の最たるものは水ですかね。

 

プール道具セット(?)をもつお子達に出会う。
決して涼しそうな形相ではなかったけど、ウキウキ感と日焼けしたお肌のピカピカ感が相まってそれはそれで夏の風物詩でした。

 

 

こんなん見つけました。

金魚玉

金魚模様の風鈴ではありません。
風鈴型の金魚鉢。
金魚を軒先につるす。
あっ、ただし炎天下の軒先に吊るすと金魚が湯だってしまいますから悪しからず。
いやあ、涼しげですね。

 

 

金魚のつぎは「なまけもの」。

「ナマケモノ」という名前のガラスのフラワーベース。
天井からつるしてお花を生ける。

なんだかぶら下げたいものがいっぱいあって困ってしまう。

 

花器に金魚鉢、それから風鈴、モビールも。
なんならあたしまでぶら下がって健康になってしまいたい。
また、腰痛再発。

「涼」も「夏」も「健康」もぶら下げて、身体的、精神的健康を増進したい。
画期的な健康法です。
ちなみに今、我が家にぶら下がっているものは洗濯もの・・・・。
これじゃあねぇ、健康増進には役立たず。




ウナギの日、タコの日

2008-07-23 | トラットリア

明日は土用の丑の日。

ウナギの日です。

やっぱり食べたいかな・・ウナギ。
クリスマスのケンタッキー、丑の日のウナギ。
わざわざねぇとも思うけど、やっぱりつられてしまう。
帰りがけにあちらこちらから美味しそうな香りがしてくるとなお更ですよね。

只、今年はウナギ高いみたい。
どうしようかな・・。
夕食のネタに困ったらウナギに助けてもらう事にします。

うん、そうしよう!!!!

もう一つ、面白いネタを知りました。

「半夏生」
はんげしょうと読む。
この日はね「タコ」を食べる日なのだ。

 

「半夏生」とは、夏至から数えて11日目にあたる日で、この時期に「カラスビシャク(漢名:半夏)」という薬草が生えることからその名で呼ぶ。

農村では、半夏(はんげ)の天候によって豊作になるか凶作になるかを占ったり、麦の収穫祭をおこなうなど、農業にとって大切な目安の日。
関西地方では、田に植えた稲の苗がたこの足のように大地にしっかりと豊作になるようにとの願いから、たこを食べる習慣をもつ。



末広がりの「八」本のあしをもつタコ。
ついでにその足のように大地にしっかり根が張りますようにということなのだな。
げんをかついで、言葉遊びの要素も少々。

ウナギを食べたり、タコを食べたり、初鰹で踊ってみたり。
日本の食文化があらためて面白い。
季節の素材を楽しみながら食べる。
夕食のネタにはもってこい。

ちなみにわたくし今、「茄子」にはまっております。
茄子が食べたくて、食べたくて・・・・。
いい加減に相方からナスは勘弁と言われそう。
「ナスを食べる日」は無いのかな・・・。
それを口実に・・・茄子三昧を謳歌したいんだよね。

大義名分があると心強いじゃない?


100年の恋

2008-07-20 | ギャラリー

ステキな作品を発見しました。

片岡球子  「面構え」

生涯独身を貫いた日本画家が晩年に描いた64名の肖像画。
武将、文化人、浮世絵師。

カラフルでユーモラスで力強い。
画家が愛情を注いで描いた男たちの面構えは見ているものをひきつけます。
老いてなお湧き上がる創作意欲。

彼女の生き方をみてもう一人の女性を思い出す。

レニ・リーフェンシュタール
102歳でなくなるまで走り続けたアーティスト。
肩書きはダンサー・女優・映画監督・写真家・ダイバーと数々。
ヴェネチア映画祭で金獅子賞をとる華々しい栄光。
しかしその映画はヒトラー政権のプロパガンダという影。
ヒトラーの手先として後々、悪評を招く事となる。
次の映画のために訪れたアフリカでは自動車事故により瀕死の重傷。
そんな中であったのが美しい少数民族「ヌバ族」。

60歳でアフリカの奥地に分け入り
71歳でダイバー免許を取得
90歳過ぎてなお、40歳年下のパートナーとともに現役ダイバーとして写真を撮り続けたのでした。

 

片岡球子にしろレニにしろものすごいバイタリティ。
何が彼女たちをそこまで駆り立てるのか?

そう、満足をしないということ。
諦めない事。
年を言い訳にしない事。
常に次がマスターピースと信じて疑わない事。
その生き様は壮絶です。
年を重ねるという事はその人の「生き方」、「考え方」がより色濃くでてくるということなのですね。
「欲」というものに正直になっていくのだろう。
描きたい、撮り続けたい、恋をしている。

同じベクトルで望まれるもの。

高尚とか低俗などとは割り切れないもの。

 

100年来の恋のお相手はそれぞれのようだけど、自分の生き方に天井を設けないというのは簡単でものすごく難しい事。
言い訳をせず、努力を惜しまない。
好きな事に対しては信念を曲げないという事。
問題の相手が自分にあるにしろ、対世間であっても、姿勢はかわらない。
迷いがある時に彼女たちの生き方の清々しい事といったら!!!

あたしの悩みなんてなんて薄っぺらくて小さいよ。
そう思わせてくれた偉大な先人たちに敬意を表します。

やっぱり「恋」するオンナは強いのかな・・・。
なんだかんだ言ったってそこかな・・そこだよな・・・。




 


ツボというワナ

2008-07-16 | ドレステリア

アンティークのものスキです。

着物、アクセサリー、写真、陶磁器、家具、本。

リサイクル品、ガラクタになってしまうものもあるけど。
間違いなく言えることは時をくぐりぬけてなお、色あせなかったという事実。

やはりその時の重み、「説得力」があるような気がします。
時代を経て愛されるという事はすごいことだとおもうのですよ。

もちろん個々のものがもつデザインやオーラに惹かれるんだけど、ついでにその歴史とか空想とかが加わってくるから余計に面白い。
ブローチからはじまる物語。
豆皿からはじまるドラマ
だれがどういう風に使っていたかを想像する事もまた一興です。
豊臣秀吉の茶碗
アレキサンダー大生のワインカップ
マリーアントワネットの宝石箱
タイタニック号のカトラリー
それが歴史を顕著に形作ったものに関わっていたとしたら・・・もっと面白い。
多分ね、これがアンティークのコレクターの心境だと思うのですが。

ハイ、わたくしのツボにはまったのはこちらのネックレス。

かわいいですね。
キャンディーカラーの石に水仙の模様が描かれたペンダントトップ。
Isabel fengのMingというネックレス。

ming=「明」
中国の明朝の「明」です。
ペンダントトップは明時代のツボをくりぬいたものだから「Ming」
スゴイですよね。
明時代ですよ。

え・・・ところで明朝時代っていつ頃ですか?
歴史の授業での記憶がかろうじてなのですがね。


1368年~1644年

日本では室町時代が1336年~
江戸時代の寛永年間が1624~1643年
こうやって日本に歴史に置き換えたほうがわかりやすいかな・・・
明の時代って結構、長いのですね。
詳しい事はわからないけど間違いなく言えることは「古い」ということ。

アンティーク魂をゆさぶられるような出会いでした。
ツボでネックレス。
しかも今後、入荷の予定が全く無いとなれば・・・手に入れねば!!!となりました。
ちょっと重いのが難点ですが存在感はピカイチです。

この重みはね多分、時の重さなんだよ。きっと。
そう思うとものすごく愛着がわいてきます。
周囲の評判も上々ですが、「ツボ」のネックレスというと驚かれます。

一期一会というのはまさにこういうモノとの出会いを言うのでしょうね。

女性は「期間限定」という言葉に弱い。
男性は「一点モノ」という言葉に弱いようです。
いづれにせよ、もうこの機会を逃すと手に入らないという文句は買い手の物欲を一番刺激するんだろうな。

売り手のツボにハマルのはイヤだけど、自分のツボにはまってしまったら・・。
仕方なし。自業自得のアキラメがつくってもんです!!!
仕方なし・・
これを逃したらもう後がないですから。




 


メリーさんの耳

2008-07-14 | Weblog

週末はどどっと出かけまくりました。

お蕎麦を食べに長野へ
桃を食べに山梨へ

食べまくりの週末となりました。
地物のお蕎麦に郷土料理の「ほうとう」。
そしてデザートは桃です。

なんと贅沢なことでしょう。

しかも「目に青葉」!
木々が清々しいぴかぴかの緑色。
これも贅沢なこと。

そうそう食べているばかりではなかったのですよ・・・多分

ほぼ、グルメツアーになってしまったけどね。

 

 

ちょっと面白いものを手に入れる。

その名はズバリ「ラムズイヤー」。
ついでに和名はワタチョロギ

 

 

ラム=子羊、イヤー=耳。
「子羊の耳」という植物

まるでペットのようなハーブなのですよ。

ペット的要因は「触感」。
これね、植物じゃない!!!
イメージとしては短毛種のネコに近いかな。
ただもう少し「ドライ」な感じがするのでぬいぐるみにちかいかも・・

柔軟材をたっぷりいれて洗った高級なタオルという表現ではいかかでしょう?
どうわかる????

やわらかくてふかふかで本当に「布」みたいな触感です。
しかも「ラムズイヤー」なんてステキな名前じゃない。
くたんと垂れた子羊の耳にそっくりですからね。
「名は体を現す。」
よく言ったものです。

ワタクシ、植物を枯らすことに関してはかなりの腕前を持っております。
この子が枯れちゃったらちょっとショックだな・・・。
だってわたくしの「ペット」ですから。
頑張ってこの夏を乗り切っていこう!!!
暑さと湿気に弱く、冬の寒さと乾燥には比較的強い。
おおっこんなところまであたしに似ちゃって・・・

 

なんだか「親バカ」な心境です。
思わず葉っぱにすりすりしちゃう・・・癒しだわ。

 

 

単なる葉っぱというのではなく「ハーブ」として売られておりました。
ということは・・何かしらの効能があるということか?

ハーブとは香りがよく薬効や効能のある植物という定義が一般的。

それでもってこのラムズイヤーは・・・香りなしの効能なし!!!

 

だけどハーブの仲間になっている変わり者みたい。
その昔には湿布として使われたことも。
ただ、現代の化学ではその効果は証明されておりません。
ガーデニングの世界では有名な植物なようで、もっぱら鑑賞用途の方が大きいのですね。

 

 

ただ、個人的に思うに最大の効能はこの「ふかふか感」ではないかしら。
この葉っぱにさわるとものすごくシアワセな感じがするのですよ。
おもわず笑顔になってしまう。
癒しの効果は天下一品ではなかろうかと!!!

 

 

動物を飼えない様な我が家のようなお宅向け。
言葉も発せず、動きもしないけど、そこにあるだけで癒される。

我が家のラムズイヤーは「メリー」と命名しました。

ええ、そうです。 安易な発想です。
植物に名前をつけて可愛がればそれはそれでペットになるんだなあ。しみじみ・・


 


鯛焼き的人生

2008-07-07 | Weblog

わたくしから「毒っ気」がなくなっております。

まるで出汁をとったあとの鰹節のよう。

こんなこともあるもんだな。

物欲もなし。
世の中のハラタダシイ事も右から左へ。
がつがつする事もあんまりない。

心、静かな日々を送っているのでいるのであります。

いやあね、なんだかどこかのご隠居風情ですのよ。


先日、某大手の会社内部に出かけてきました。
エレベーターに乗る事すらままならず。
何処が開くのか分からん。
乗ろうとするとドア閉まるし。
見るに見かねた警備員の人がエレベーターの扉に挟まったあたくしを助けてくれました。

おほほ・・・気取ったってね。
しょせんお里が知れるのさ。

なんだかカルチャーショックを受けてしまった。
仕事に対するモチベーションの高さにやられました。
やはり、日々において目一杯仕事をしている人と、のほほんとしている人の差が目に見えてわかります。

またまたこのままではいかんよ!自分!と叱咤激励を繰り返しております。
だけど
生ぬるい環境にすっかり慣れてしまったワタクシは現実逃避。

世間に対するアンテナがへなへなになっております。
受信不可状態。
画面はザーザーの砂嵐です。

いろいろ思うところがあってこのショックは効きました。
自分が何をすべきかあらためて考え直すきっかけになる。
その前にエレベーターぐらいちゃんと乗れるようになりたいものです。

それにしても個人的にワタクシの場合、「世俗の垢」、「煩悩」というものが行動力のエネルギー源になっていることを改めて実感しました。
日々、抱えている矛盾が原動力になっていることもあるんだな。
あんまり「垢」を落としすぎてもカスカスになってしまいそうだ。

ワガママで後先を考えて無くてもいいので
ぎっちり餡子が詰まった鯛焼き的人生を送りたいものです。

 と言いながら・・・およげ!たいやきくんの曲が刹那的に響くのは何故なんでしょう。
最後に食べられちゃうのはいやだな。
意外とイソップ童話のように裏がありそうだよ、この曲!


大きなシアワセ

2008-07-06 | Weblog

大きなシアワセを手に入れる。

しかも友人からのプレゼント。

えへへ・・・うれしい。
超BIG ハッピーターン。

この大きさが伝わるかしら?

ものすごく嬉しいんだけどぉ!
昨日は友人が遊びに来てくれました。
オミヤゲにわざわざもって来てくれたんですよ。
パッケージを見たらあたしを思い出してくれたとの事。

超BIGに嬉しすぎる。
この大きさに笑いがとまりません。

 


はらだしき村

2008-07-03 | リブレリア

図書館に行ってどっと本を借りる。
一時期、全く本を読みませんでした。

 

頭の回転が悪くて活字を追う毎に疲労感が増していくようでね。
そういう時は雑誌。
読み散らかしができるので、写真をみてるだけでもいいし。

 

そうこうしてるとある日突然、活字に対するものすごい枯渇を感じるのだ。
そろそろ活字バロメーターがゼロになるよというシグナルがばしっと出てきます。

そして読み出したのが原田宗典著「はらだしき村」
武者小路実篤の理想郷「新しき村」にちなんだ命名なのだという。
この人の本は・・・ヤバイ。
読む場所を間違えると怪しい人になってしまう。
ワタクシはもっぱら通勤電車の中での読書タイムだったり、昼のランチの合間だったりと外で読むことが圧倒的に多い。
なのにエッセイの内容が面白くて声を出して笑いそうになる。
それをムリに噛殺すからにやにやとしてしまう。
怪しんだからもう ムネノリ困っちゃうぅ~ くねくね・・・という文章が続くのだ。

 

電車の中では気をつけて読まねばと構えて本をひろげると・・。

あら

 

いつもとイメージが違う。
すごく真面目なんですが・・。
オバカ話を期待してたら肩透かしをくらう。
ついでに不覚にもぎゅっときてしまった。
なんつうか目頭があつくなるような話しも。

父親の話。
思い出の話。
文豪たちの話。
そしてなにやら哲学的なお話も。

「美しい日本とはなにか?」
ドナルド・キーン博士のエピソードを下に話がすすむ。
「大戦前の話です。」
日本がのどかだったころの出来事。
「・・或る晩のことです。十五夜でそれは、それは月のきれいな晩でした。
わたしは大学からの帰り途、その月を見上げて惚れ惚れしながら京都の町を歩いておりました。」
その時ふと、若きD・キーン博士は思ったのだそうだ。こんなきれいな月の光に照らされた、竜安寺の石庭はさぞ美しかろうー是非見てみたい。
そう思うと矢も盾もたまらず、博士はその足で竜安寺へと向った。
「私は竜安寺の門をくぐって本殿に入り、あの有名な石庭を前にした縁側に座り込みました。

ここまで聴いて私(著者)は博士が日本の美しさ、いや「美しい日本」について講演しているのだと気づいた。

中略

「もう十分すぎるほど石庭に見惚れた後です。ふと傍らに目をやると同時に私は驚きました。いつのまにか私の側に、一杯のお茶が置いてあったのです。
誰が? いつのまに? どうして?
想像するしかないのですが、おそらくお寺の誰かだったのでしょう。
外国人の若い学生が石庭に見惚れているのを見て、邪魔しないようにそうっとお茶を置いていってくれたのです。私は、とても感激しました。」

こんなもてなしができる民族は日本人だけだ、と博士は思ったそうである。

「そして、だからこそ私は日本のことが大好きになりました。」

博士はそう言って話を結んだ。私はその話に深い感銘をうけた。
そしてしばらくの間、「美しい日本」について考えた。

 

わたしも深い感銘を受けた。
もちろん美しいこの国を愛し、日本人以上に日本文学をも愛した異国の日本文学研究家のエピソードもさることながら、著者の繊細な感性にも。

阿部元首相のいう「美しい国日本」とはちょっとちがうかな。

石庭の月夜が目に浮かびます。
話を抜粋してしまったから上手く伝わらないかもしれないけど。
ほんとに感動してしまったのだよ。
じんわり目の奥があつくなりました。

笑いの次には涙かい!!!
写真は嵐山 渡月橋からのライトアップの写真。
京都の夜はいい思い出もあるから思い入れも強いのだ。

 


 

どっちにしろ外で読む本ではなかった。
家で読む本なんだな。
カッチョワルイなぁ もう トホホ・・・(原田ムネノリ風)。