日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

白河の水

2009-11-29 | Weblog

「白河の清き流れにすみかねて 元のにごりの 田沼恋しき」

時は江戸、寛政年間
老中 松平定信が行った幕政改革。
その厳しさから大奥、はたまた民衆からも嫌われたようで・・・。


「濁り」があるうちは清流にすべき!と声高に叫ぶが
「清流」になると「濁り」が恋しい。
知識人のコメントやら、世論動向が取りざたされる度に冒頭の川柳を思い出す。
時は平成
改革真っ只中の民主党。
歴史は繰り返す。
さて前例から人は何を学ぶのでしょうか?

先日、TVを見ていたら興味深い内容がありました。
「西宮冷蔵 奇跡の復活」
自社で行われた雪印食品の偽装事件を実名で告発した社長の話。
壮絶とはまさにこのことです。
正しいことをしたのにその代償はあまりに大きなものでした。

偽装を告発することで雪印は倒産。
大きな得意先をなくすことだけでなく自社さえも倒産の憂き目にあう。
主力先はなくなりその他の先にも倦厭されてしまえば立ちいかなくなるのは必然です。
なぜ、西宮冷蔵からお客が去ってしまったのか。
透明度の高すぎる水には住みにくいということなのでしょうか。

ついでにある報道によると市橋容疑者逮捕に貢献した建設会社が窮地にたたされたのだという。
原因は市橋容疑者のような人を雇ってしまったこと。
素性や身元をしっかり確認せず雇用する会社の雇用に問題があるんだそうだ。
確かにこれには一理ある。
白河の清きもいいがそれをもっともらしくいうと正しいことをした人、この場合は情報提供をした人達が嫌な思いをすることになってしまうんだろうかね。

水を浄化する人がいて、濁りを好む人もいる。
濁り水を清流にする方法もいろいろある。
消毒薬を大量につかばキレイな水ができるかもしれないけど生物すら存在できない水なんてね。
それも問題。

清き流れも必要
時には「にごり」も必要なのか。
答えがでないね。




に゛ゃ~と鳴くな!!

2009-11-29 | Weblog

充実した日々はスバラシイ!
先週末からとても盛沢山であっという間に今週が終わる。

友人からのお誘いでステキな人達をご紹介いただきました。
マンネリ化したあたしの日常にはすごく刺激的な出来事。
明日から頑張ろうと思える前向きな気持ちをもらう。

ついでに語学の能力は常日頃から鍛えるものだということを思い知る。

ええと・・本当に久しぶりに英語をちゃんと使いこなせるようになりたいと切実に思いました。
あまりに英語的思考回路の働きの悪さに「に゛ゃ~」となる。

寝ているネコを踏みつけるとこんな声を出すのです。
「に゛ゃ~」

そんな感じ。

それから、ひとつ歳をとりました。
嬉しいようなどうでもいいような・・・・。
ただ、友人からのお祝いメールにきゅんとなる。
有難い限りです。
皆様のお役にすこしでもたてる懐の深い人間になりたいものです。

「に゛ゃ~」となっている場合じゃないよ。


 


RE BONE!

2009-11-11 | ドレステリア

ワタクシ本日、生まれ変わりました!

開眼です!!!

何にって・・・?
読んで字の如くです。
「眼が開く」
物事がよく見えるってことです。
そうそうあなたの裏の顔までお見通しですよ。 ウフフ。
世の中までもが明るくなる。

 

メガネが出来上がりました。

このところ寄る、年の瀬なのか霞眼、疲れ眼でしょぼしょぼ。
さすがに映画の字幕とか細かいものをみることにストレスを感じてメガネを作ることに。

実は今まで視力がよく、メガネはアクセサリーだと思っていたのね。
メガネがこんなにすっきり、くっきり世の中を写してくれるものだとは思いもよらなかったぜ。
老眼だと心配していたけどそれは杞憂でした。
老眼になるにはまだ早かろうよ。
ついでに遠くは左目、近くは右目のみで見ていたことが判明する。
脳の中で「見なかったこと」にしていたという事実も明らかになりました。

確かに見なかったことにするのは得意だけど、無意識にそんなことになっていたとはね。

今までのあたしの見てきた世界はなんだったのか?
人生観まで変わりそう。
メガネ一つでこんなに劇的な変化が生まれようとは。
これで運動オンチも溝にはまりやすいおちょこちょいなアタシも返上です。
(すべて視力のせいにしてしまえっ)
肩こり、頭痛、グラグラも治まるかもですって。
薬よりメガネ。

これ以上、パワーアップしても仕方がないけどいろいろな意味で「開眼」です。

ステキなメガネを選んでくれた友人と
その父である完璧な仕事をして頂いたメガネ職人に感謝!

 


古今東西

2009-11-09 | ギャラリー

昨日、満を持して行って参りました。

東京都現代美術館「Laxuary ラグジュアリー:ファッションの欲望」展へ
かなり面白かったです!あたしは。

 

スキャパレリとシェネルの洋服を並べて見ることができる機会はそうそうありません。
同じ時代を競うように駆け抜けそれぞれの方法で切り取った作品としてのドレス。

そして18世紀のロココ時代のドレスの隣にはヴィクター&ロルフの作品が並べられました。


こうなるともうすでに洋服ではありません。
小林幸子の紅白の衣装がすでに舞台装置となってしまっているように。


ロココのドレスはピンク色のカワイイものであるのに滑稽なほどにスカートは横に張り出しております。
ここまでくると現代美術の造形的作品といってもよし。
それさえなければ今でも十分通用するドレスなのにね。
どこに着ていく?と問われると困ってしまうけど。
そして頭には帆船がのっかております。。

ヴィクター&ロルフのドレスもドデカイリボンが印象的。
説明を読むと・・・
ピンクやゴールドのリボンが幾十にも体を包みこむ。
(実質は包み込まれているとはいい難い。)
もはやドレスというより体を結ぶリボンそのもの
(それは言い得ている。)
軽やかに動く非日常的なリボンは
(日常的では困る)
着用時の女性性を強く意識させ
(そりゃ、隠されているが動けばムネもシリも見えてしまっておりますから・・。)
体を装飾されるべき「贈り物」へと転換させる。
(あたしが・・プレゼント!ってやつですな)

あたしの下世話なコメントも入っておりますが、作品としてはすばらしいものです。
コレクションでは顔をピンクに染めたモデルが着用しております。

 

この展覧会の印象的なコメントもご紹介。
18世紀後半、装飾は簡素化する。
だがスカートは横に大きく張り出し、髪型はどの時代に比して巨大になる。
その上に髪結師が組み立てた軍艦、馬車、果物籠が載せられた。
行き過ぎた過剰さは既に貴族社会の終わりをはっきりと告げている。

 

このコメントはとても含蓄があるような気がするのです。
何事も行き過ぎるとそれは終焉が近いというシグナルになる。
アメリカのリーマンショックも「過剰さ」が引き起こした問題であるのだ。
今、この閉塞感の漂う日本において政治もいろいろなしがらみから脱却しようともがいている。
そして過剰ともいえる国民サービスを売りにした政党が当選したのです。
変化が悪いとは思わない。
変化が必要なこともある。
ただ個人が必要なことは各々違うのが当たり前なのにそれを忘れてしまったら船は山を登るしかないのだ。


デフレスパイラル。
そして民族間の紛争も
全てにおいての「過剰さ」が潰しあいにならないように。

ローマ帝国が滅びたのも
経済が破綻したのも
9.11のあの出来事も


そして日本がダメにならないように。

古今東西、歴史は繰り返す。
過剰さが終焉です。


 



 




すべらない話

2009-11-08 | Weblog

やっぱりすべらない話はすべらん!

一度、聴いたことがある話なのにやっぱり同じところで笑ってしまいます。
本日、大傑作選としてよりすぐりのすべらない話の数々を再堪能。

松本人志をはじめとするベテラン芸人を前に緊張する若手。
すべらない話をしなくてはいけないという緊張感
そして、どんどん面が増えていくサイコロも見ものです。

昼間、たまたまお出かけした先でこんなん頂きました。
ダウンタウン お笑いDVDつながりで。

 ガースー黒光り新聞社のガキスポです。

ダウンタウン がきの使いやあらへんで
絶対に笑ってはいけない新聞社 24時 DVDの販促。
あまりにタイムリーでもらってきました。

オチがわかっているものをみても面白いかなと思っていたけど、
全く同じタイミングで笑ってしまうものなんだなあ。
そのうちオチを期待しつつその手前で笑い出す始末。
お笑いの反復効果は絶大です。


お笑いはある意味、デトックス!!
体がぽかぽかしてくるような気もするし。
腹筋も使ってダイエット効果も狙います。
笑いは世界を救う! 小薮爆笑!

 


かく語りき

2009-11-03 | Weblog

先日のCSでの試合を最後に野村監督が楽天を退団しました。
そして本日、日本シリーズ3戦目。


残念ながら日本シリーズには出場できなかったら楽天なのですが、弱小でなかなか勝てないチームがCSにまで進出するということはやはりすごい事なのですね。
ファンも今シーズンは楽しんだに違いない。
これはやはり野村監督の手腕によるものなのでしょう。
野村監督が注目されるのと同時に必然的に選手やチームとしても注目させることになるのですから。

やはり声援乏しく観客もまばらなチームでプレーをするより新聞やニュースの話題となり活気ある球場でプレーする事が何より選手の強化になるのでしょう。
人に見られて、スポットライトをあびることは何よりの成長の糧。

その野村監督の言葉です。


「教え子が野球界にいるのは、やっぱり縁だね。喜ばしいこと。
人間何を残すかで評価されるけど、人を残すのが一番。少しは野球界に貢献できたかなという心境だ」

 

ああ、その通り。
その昔、あたしが小学生の頃、日本シリーズはビックイベントで学校の授業を切り上げてTVにかじりついた記憶があります。
今夜の満員、東京ドーム中継をみて改めて野村監督の言葉の重さがしみるのですよ。
もし、野村監督が古田という人材を育たてなければすでに日本プロ野球は終わっていただろうし。
こうして野球が引続きスポーツニュースの話題として生き残れるはその山場を切り抜けたからこそなのですね。
難しい問題を切り抜けられるかられないかはそれに対処できる人材がいるかいないかで決まるということ。
「人財」の存在で。


敵チームに胴上げされた監督もそうそういません。
それはチームという枠組みをこえて球界に与えた功績ゆえなのでしょう。
知将かく語りき。
「人を残すのが最終目標」

海を越えてワールドシリーズも面白くなっているようです。
やはり暗いニュースが多い中で明るい話題であり続けて欲しい「野球」なのでした。