日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

仕方ない食べもの それはサッポロ一番

2019-08-07 | トラットリア
 シロ 「何でデンワに出ないんだよ!? さっきから二度もデンワしてんのに!!」

ケンジ 「サッポロ一番作って食べてた」

シロ 「……サッポロ一番じゃ仕方ねーな。作ったら即食べだよなアレは」








 
 
それじゃあ仕方がないといわせるだけの説得力のあるたべものは他に思いつかない。
サッポロ一番 みそ&しお
 
塩派、みそ派とそれぞれ好みがありそうだけど個人的には・・・どっちも好き。
いまさらながらこの国民食にはまっている。
塩5袋のち、みそ5袋。 みそ5袋のち、塩5袋。
どちらかであるが、常備品としてきらさないようにしている。
 
 
日清 チキンラーメン、永谷園のお茶漬け、丸美屋 のりたま、クラシカルな食べ物は幼い時からの刷り込み、もしくはDNAに刷り込まれた味として時に無性に食べたくなるから困ってしまう。
どんなに高価で手の込んだ食べ物VS慣れ親しんだ食べ物の戦いは圧倒的に後者の勝利とさせていただきたい。
というわけでみそ、塩と忘れたころに塩とんこつ。

  
しょうゆは買わず、季節の限定品は迷わずカゴにいれるというブレナイ買い物道を邁進している。
最近、家のゴハンが変わり映えしないのは主婦のブレナイ買い物のおかげか、怠慢か。
塩とんこつは定番の仲間入りをはたしたのか、最近よくみかけるみそ旨辛も?
あっ、限定品でてるじゃないかー



まるで、お菓子を好き勝手放り込むお子のごとき買い物であることは横に置いといて
主婦、スーパーを行く。

だってサッポロ一番ですし。
主婦は大変だけど、こういう時ばかりは主婦の特権という。
食べたいものを、食べたい時に、食べたいように。



テレビ東京【ドラマ24】きのう何食べた? 第5話 主演:西島秀俊 内野聖陽

言わんとしていることはきっと同じに違いない

2019-08-06 | Weblog
ダンディズムを体現している伊丹十三
「ヨーロッパ退屈日記」、「女たちよ!」、数々の名著に次ぐ「日本世間噺大系」を読んでいる
前述の2冊とはちょと違った趣で、エッセイというよりはもうすこし物語性があって
ウィットにとんだ掌編小説を読んでいるかのようだ。
 
このところなんだかへとへとで満足に本を読む気すらおこらなかったのに、一気呵成にに読み切った朱野帰子の「わたし定時でかえります」を皮切りに本にまみれている。ドラマなんて興味ないと言い切っていたはずなのにうっかり続けて2回ほど見てしまった吉高由里子主演「わたし定時で帰ります」。




これが思いの外面白くて、「働き方」を題材にした切り口に思うところもあったし、ドラマの醍醐味である恋の行方も上手にからんで最終回まで楽しく観た。
もう少しみたいと思わせるところで、最終回というのが腹八分目的でちょうどいいのかもしれないが、もう数話見ていたいと思ったならここは「原作」を読むに限る。
原作さらには続編まで読めば、ドラマがエピソードを上手に切って貼ってつなぎ合わせて、ご託部分はカットして、ドラマ班の職人技に感心するばかり
素材がおいしければどう料理をしてもおいしくなるように小説が面白ければ創作に耐えうるということだ。
 ありそうでいて現実には存在しない職場のお話だけど、日々悩んでいる自分の片鱗が見え隠れするから、ドラマを見て面白いと思ったし、原作をわざわざ読む気になったんだと思う。
興味を持てるか否かは物語の中に自分の影をみることができるかどうかだ。

さてあるコラムで川島蓉子と鎌田由美子の対談を目にした。

朝日新聞&w連載 川島蓉子と、さまざまな分野で挑戦を続ける女性の連続対談。




仕事って何でも「“自分ごと”として考えないと伸びない」と思うんです



仕事とは、他人事ではなくいかに自分事にするかという考えにうなずくことしきり。
ご褒美やゴールがわかりやすく設定されていればそれはとても簡単なことだし、興味があることであれば他の人を押しのけてでもあたしが!あたしが!となりえるのに
みんな貧乏くじはひきたくないから譲り合って、押し付けあって、関心ないふりして他人事。
ドラマを、仕事を、楽しむコツはそこにいかに自分の影をみつかだせるかなんだと気づかされたところで伊丹十三もサラリと読者に語る。

最近私は「テレビを面白く観る法」というものを発見したのである。こうして見ればテレビは絶対面白くなる。以下、それを記そう。といっても格別に道具は要らぬ。誰でもよい、画面に写っている人物を一人摑まえて「ア、俺が写っている!」と心の中で叫ぶだけでよいのだ。
ニュースを見る、自衛隊のヘリコプターが基地に着陸し、中から十人ばかりの兵士が降り立つと、建物のほうへ向かって走り出す。これを漫然と眺めているだけではテレビは一向に面白くもおかしくもない。つまり、ただの画に過ぎぬわけでしょう。それではいけない。私はすかさず後ろから三番目を走っている小柄な若者に目を着ける。そうして彼本人がニュースを見ていたら、必ずやそう叫ぶであろうように「ア、俺が写っている!」と心の中で叫んでみるのである。
するとー
この時、なんというか、一種不可思議な変化が私の心に起こるのですな。


日本世間噺大系『まぼろし』より抜粋。
 
そうテレビの画面の中に自分をみつけること
職場でおちている貧乏くじを自ら拾い上げ、ゴミ箱へ捨てられる人になること
きっといわんとしている真意は同じことに違いない
仕事も、ドラマも楽しみ方の。