『耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・・』
日本人なら、必ず耳にしたことがあるであろう玉音放送。
終戦 70周年である今年、昭和天皇のお声をもって伝えられた「終戦の詔」つまり玉音放送の録音原盤が公開された。戦争を知らない世代になっていく過程で、同時に忘れ去られていく戦争の悲惨さを忘れてはならぬということなんだろう。
戦争は始めることより、終わらせることの方が難しいといったのは誰の言葉であったか?
だからこそ、戦争をはじめさせないのが大切なのであるというのは誰の言葉であったか?
今年の終戦の日、私はホーチミンの戦争証跡博物館にたっていた。
訪れている人々のほとんどが、アメリカ国籍の人であったことに驚きを隠せず、
いたたまれない写真に慄き、逃げ出すようにそこを後にしてしまったけど。
もし、この博物館のように日本軍が進駐した各国にその戦争の証拠をつきつけるような場所に私は足を運ぶだろうか?
私は否である。
現地の学生たちが自国の歴史を勉強しているとなりで、何かの絵画を見るように戦争の証拠を眺められるだろうか?
私は否である。
もしこれが日本人として日本の土地で、日本の歴史としてみたら、きっと答えは否ではない。
まるで他人事のような感覚で悲劇を見つめる観客ではないからだ。
でっちあげられた大義名分と正義という言葉に踊らされる虚栄。
知らない世界の遠い出来事ではなく、身近な出来事だとしたら、それは目を背けることなく、見ておくべきものだからだ。
今年の初めに訪れた知覧の特攻平和会館でのように。
被害者、加害者という枠を超えて、戦争証跡博物館に集う様子の不思議。
ここがホーチミンの観光スポットであることの不思議。
日本と軋轢をもつ国々がこのような博物館を作ったら、こんな淡々としていられるだろうか?
果たして、日本人は訪れるのだろうか?
いろいろな思いが駆け巡るのは、きっと当たり前の平和に慣れすぎて、もっと日本人として尖っていこうとした世論を感じる70回目の終戦の日だからであろう。
日本より、戦争が近い国、ベトナムで平和を願う。
ベトナムの。アジアの。世界の。日本の。
グェン・フエ通りでは花商人たちが早くも壺やら土がめやらドラム罐を持ち出して花を並べていた。
菊。水仙。桃。梅。薔薇。カーネーション。ハイビスカス。温帯と熱帯のあらゆる花がドラム罐の中で咲き乱れている。
一日に双方とも平均100人は戦死するという噂のあるこの国のどこで、誰が、これらの花を育てているのだろうか。
白燐弾は肥料にいいのだろうか。ナパームは水をまいてくれるのだろうか。
開高健の『輝ける闇』より
小説より奇なり旅 場面その5
戦争証跡博物館
住所 28 Vo Van Tan St. Dist.3 HCM City
開館時間 7:30-12:00/13:30-17:00
うきゃうきゃ女子旅とかいうベトナム観光の違う側面。
こういうところにも足を運ばなきゃ、運ぶべきと思うのはあたしだけではあるまい。
心より平和をすべての人が願うことが戦争をおこさせない最大の防御といえる。
お互いを貶し合うことからは何も生まれない、もちろん平和も。
日本人なら、必ず耳にしたことがあるであろう玉音放送。
終戦 70周年である今年、昭和天皇のお声をもって伝えられた「終戦の詔」つまり玉音放送の録音原盤が公開された。戦争を知らない世代になっていく過程で、同時に忘れ去られていく戦争の悲惨さを忘れてはならぬということなんだろう。
戦争は始めることより、終わらせることの方が難しいといったのは誰の言葉であったか?
だからこそ、戦争をはじめさせないのが大切なのであるというのは誰の言葉であったか?
今年の終戦の日、私はホーチミンの戦争証跡博物館にたっていた。
訪れている人々のほとんどが、アメリカ国籍の人であったことに驚きを隠せず、
いたたまれない写真に慄き、逃げ出すようにそこを後にしてしまったけど。
もし、この博物館のように日本軍が進駐した各国にその戦争の証拠をつきつけるような場所に私は足を運ぶだろうか?
私は否である。
現地の学生たちが自国の歴史を勉強しているとなりで、何かの絵画を見るように戦争の証拠を眺められるだろうか?
私は否である。
もしこれが日本人として日本の土地で、日本の歴史としてみたら、きっと答えは否ではない。
まるで他人事のような感覚で悲劇を見つめる観客ではないからだ。
でっちあげられた大義名分と正義という言葉に踊らされる虚栄。
知らない世界の遠い出来事ではなく、身近な出来事だとしたら、それは目を背けることなく、見ておくべきものだからだ。
今年の初めに訪れた知覧の特攻平和会館でのように。
被害者、加害者という枠を超えて、戦争証跡博物館に集う様子の不思議。
ここがホーチミンの観光スポットであることの不思議。
日本と軋轢をもつ国々がこのような博物館を作ったら、こんな淡々としていられるだろうか?
果たして、日本人は訪れるのだろうか?
いろいろな思いが駆け巡るのは、きっと当たり前の平和に慣れすぎて、もっと日本人として尖っていこうとした世論を感じる70回目の終戦の日だからであろう。
日本より、戦争が近い国、ベトナムで平和を願う。
ベトナムの。アジアの。世界の。日本の。
グェン・フエ通りでは花商人たちが早くも壺やら土がめやらドラム罐を持ち出して花を並べていた。
菊。水仙。桃。梅。薔薇。カーネーション。ハイビスカス。温帯と熱帯のあらゆる花がドラム罐の中で咲き乱れている。
一日に双方とも平均100人は戦死するという噂のあるこの国のどこで、誰が、これらの花を育てているのだろうか。
白燐弾は肥料にいいのだろうか。ナパームは水をまいてくれるのだろうか。
開高健の『輝ける闇』より
小説より奇なり旅 場面その5
戦争証跡博物館
住所 28 Vo Van Tan St. Dist.3 HCM City
開館時間 7:30-12:00/13:30-17:00
うきゃうきゃ女子旅とかいうベトナム観光の違う側面。
こういうところにも足を運ばなきゃ、運ぶべきと思うのはあたしだけではあるまい。
心より平和をすべての人が願うことが戦争をおこさせない最大の防御といえる。
お互いを貶し合うことからは何も生まれない、もちろん平和も。
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