日々草

「つれづれなるままに・・」日々の事を記す。

一膳のご飯とお菜と短歌

2015-05-23 | Weblog
素敵なご夫婦が、美味しそうな膳を召し上がってらして、はしたなくも羨望の眼差しを皿の中注ぐ。
奇天にとらわれず、かといって柔でもないお菜と艶光る膏(あぶら)でしっとりとした一膳の御飯。


「わたくしも、その御膳いただけますか?」
「あい、すみませんが本日は看板でございます。」


料理とはいうものは労(いたわ)りであり、素材というのも蓋(けだ)しその通りであろう。
普段は見向きもしない白米が輝くのは、その作り手と米の一粒一粒が感謝の念をもって密やかに諾(うなず)き合っているからなのである
深沈とした無言(しじま)に潜む秘めやかな愛情と母性。


わが為めに母がむすびしおむすびを
いま子にむすぶおむすびを。



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普段、白米を口にすることはあまりない。
といっても、味のついている御飯は食べるし、巷で流行るメシの友があればご飯を食べる。
白いだけのご飯を食べたいと思うことはあまりないのだが、
一膳のご飯に心惹かれ、オーダーストップと言われた時の悲しさは如何なることか。
ほんのひとくちのご飯に心みだされるということはどういうことなのか。

答えは単純。
美味しそうに食べている姿が印象的だったから!
自身が米農家さんで、愛情をもって育てたお米を自らが美味そうに食す。
で、あたしの手元の本は 岡本かの子「食魔」



岡本太郎のお母様 岡本かの子の食文学傑作選なんてものを読んでいて、
こんなシチュエーションに遭遇したら、その醸し出されていた雰囲気をおかずに白いメシが食えるというわけなのさ。
岡本かの子へのオマージュとお米農家 やまざきさんへのリスペクトと
ありつけなかった馬喰町 ART+EATの早苗饗(さなぶり)ごはんへの落胆!をこめて今日の一文。

しかし、岡本かの子の生涯にあたしは母性をあまり感じることが出来なかったのだけど
「初秋におくる」と題されたお握りの項にそえられた短歌の優しさはまさしく母のそれ。
命を育むことを生業にしている人を目の前にして、それがお米であったから尚の事、この短歌が身に沁みた一日。




















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