ここのところ朝日新聞夕刊にて、「男性を生きづらい」なるタイトルのコラムが連載されている。
本日は、2022.11.21版の当該記事を紹介しよう。
以下に、「『ケアが苦手』は思い込み」と題する大阪公立大学准教授 平山亮氏による記事内容の一部を要約引用する。
昨今、「男性性」という言葉が注目を集めている。 よく「男性は介護や育児などのケアが苦手な生き物である」と言われる。 これが「男性性」」で、男「あるある」のことだ。 「男は仕事」といった「かくあるべし」という考えは「男性性役割」で、二つは同じではない。
たとえば、「忖度」について考えよう。 相手が求めていることを察し、言われなくても相手のニーズに応えること。 それは、配慮や気遣いを求められてきた女性にしかできないのか。そんなことはないはず。 忖度が有名になったのは「ザ・男社会」の政治の世界だ。 (中略)
「男は察せない」という男性性を持ち出して、「男にはできない」と思い込んでいる、もしくは「できない」とみせているだけ。 男がケアに携わらない理由があるかに見せ、結果的に、ケア負担の男女不均衡を維持してしまう。
(以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を要約引用したもの。)
原左都子の私事及び私見に入ろう。
上記記事を読んで、かなり驚いた私だ。😨
一体、いつの時代の話なのかと!
と言うのも、この私も20代後半期に医学関連企業に於いて十数人の男女部下を持つ職場長(係長)に任命されたことがあるのだが。
上司の私にとって扱いにくかったのは男性部下ではなく、むしろ女性部下だった。
あくまでも私の感覚だが、男性は部下として一応心得ていると言うのか。 それはもしかしたら私に対する忖度であったのかもしれないが、とにかく男性部下に苦労をさせられた経験はただの一度も無い。
それに対して、女性部下は正直言って多少鬱陶しさがあった。
例えば、「貴方の係長としての方針に異議があります!」と直談判してくる女性部下がいた。 それを例えば職場ミーティング中にでも発言してくれたら、その場で話し合いの議題と出来るのに。 何故か、私が一人で職務に当たっている時に抗議してくるのだ。 これ正直言って、単なる駄々をこねてきているようにも受け止めた私は、「職場にはそれぞれが果たすべく役割があると私は考えています。 私は係長ですので、その立場で物事を判断したり指揮したりするべく場面も多いです。 それに異議申し立てたい場合は、会議中にでも提案して下さい。」
その後当該女子社員からの直談判は無かったが、どうやら係長の私を避けて通っている感も無きにしも非ずだった。
話題を大きく変えよう。
今現在私は左膝複雑骨折のため退院後の通院を余儀なくされている。
我が主治医のみならず、特にリハビリ担当の男性理学療法士氏にもお世話になっているのだが。
ご両人共々よくできたお方で、何らの不都合もなく私は回復に向かっている。
その中でも入院中からお世話頂いている男性理学療法士が、まさに私とツーカーの関係なのだ! そのお蔭をもって、私は回復が早いとも表現可能だ。
二人の間には何らの忖度も無く、いつも実に自然体で接しつつリハビリが展開するのだが。
リハビリ担当の理学療法士の仕事とは、まさに患者が求めていることを察し、言われなくても相手のニーズに応えることに尽きよう。
自身の専門力は当然ながら不可欠だが、個々に個性や人物像が大きく異なるであろう種々の患者の症状や反応を見ながら、最大限のケア方策を指南しつつ患者を回復へと向かわせる、そんなケアを提供するべく存在である。
実に適切な理学療法士氏に恵まれた私は、ありがたいことに早期回復が望めそうだ。😃
膝を複雑骨折したばかりに、今現在そんな場面を経験できる身として思うに。
「男は“ケア”が苦手か?」と問われると、それって性別とは無関係の事象だ、と応えたくなる。
自己の仕事に対する情熱と意気込みがあるならば、介護であれ看護であれ何であれ、男女にかかわらず誰しもが全う可能な職業であるはずではあるまいか。
こんな場面で男女差別意識を持ちだす必要は何ら無い!と、私は訴えたいのだが。