原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「看護婦長(師長)」制度の崩壊?? と若き看護職員からの患者への“タメ口”が入院中大いに気になった…

2022年11月12日 | 医学・医療・介護
 今回私が病院へ「入院」したのは、27年ぶりのことである。

 その前に入院したのはちょうど40歳時に「頭部皮膚癌」を患い、その摘出及び植皮手術のために大規模私立大学医学部付属病院へ入院した時に遡る。

 27年間の年月とは、大きいものなのであろう。
 病院(特に病棟)内の勝手の違いをあらゆる場面で感じさせられた今回の入院だった。

 その中でも一番悪い意味で印象的だったのが、上記表題の通り“看護師”の態度に関する事項だ。

 
 まず、「看護婦長(師長)」に関してだが。

 皮膚癌手術の際には、入院していの一番に手術を担当して下さる主治医軍団と看護婦長氏がわざわざ我が入院部屋までやってきて、ご挨拶と簡単な入院中の注意事項等々をお話し下さった。
 これにより、我が手術に対する不安感や戸惑いは一蹴されたものだった。

 特に看護婦長氏はその後もよく病床を訪れ、不便な点や困りごとが無いかと逐一訪ねそれを解決して頂いたものだ。
 ある時など、若き担当医師の私に対する至らなさを婦長自らが直接医師に直談判して、解決に持ち込んで下さったこともあった。

 看護師氏の年齢層も多岐に及んでいて、それぞれがその経験年数に応じた働きをされていたように振り返る。
 とにかく看護師団の適切な働きにより、私は3週間の入院中に何不自由なく過ごせ、無事退院を迎えられた記憶がある。



 さて、今回入院した病院に話題を戻そう。

 前回も記したが、この病院は10月中旬に新築オープンしたばかりである。
 そのせいか、医師・看護師等々医療従事者の皆さんの年齢層がそろって若い!
 中堅どころの医療職員でも、私がみたところせいぜい40代ぐらいの若さだ。

 これに関しては入院当初は特段気にするでもなかった。(自身の手術が気がかりでそんな事を気にする心理状態では無かった、と言うのが正解だろう。)

 さて、問題は手術を終えて自室へ戻された後の事だ。
 麻酔が切れる程に身体の痛みが激しくなってくる。 手術をした左膝よりも、朝からずっと同じ姿勢を強いられてきた腰や背中の痛みがどうしようもない。😫 
 かと言って寝がえりする訳にも行かず、その痛みを看護師や医師に訴えるのだが、何らかの手段を施してくれるでもなく放置を続けられる。
 せめても消灯時間に部屋の電気を消して欲しいのだが、その日は担当の看護師氏が多忙だったようで部屋に一度もやって来ない。 やっと看護師がやって来たと思ったら、「電気ぐらい自分で消せ!」とこっ酷く怒られた。 確かに電気のスイッチは辛うじてベッドから手が届くところにあったのだが、そんなの入院したばかりで知るはずもなかった…

 その後も、看護師氏達の“失言”は続く…
 いえ、もちろん、心得ておられる看護師氏も当然ながらいらっしゃって、大いにお世話になったものだ。

 そんな中、私が一番気になったのは若き看護師氏の患者に対する“タメ口”である。
 いえ、私など入院患者内ではおそらく若輩者の部類であり、私に対して“タメ口”を叩くのは許されるであろうが。
 もっとずっと年配の方々にも“タメ口”対応なのだ。 あれは傍で聞いていて忍びなかったものだ。

 
 このような、病棟内での医療従事者(特に若き看護師たち)の無秩序を煽っている根源は、この病院では「看護婦長(制度)」が形骸化しているせいではないか、と読んだ。

 というのも今回の入院中に看護師長氏に対面したのは、ただの一回切りだった。
 それも主治医軍団に連れられてやってきて最後尾に位置し、私には一言の挨拶も無いままに去って行かれた。
 私側としては、(ああ、この方が看護師長さんね)程度の認識だったが、その後一度たりとて面会する機会が無いままに私は退院した。



 やはり大規模組織に於いては、組織長の果たす役割と言うものが肝心要ではなかろうか?
 特にある程度の規模がある組織に於いては、組織上層部と下層部の融通性のある動態づくりが欠かせないであろう。

 今回の入院に置いて一番残念に思ったのは、そのような“有効に機能する組織体制”が未だ形成されていない病院態勢だったと結論づけられよう。