原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

米国西海岸旅行記  ー 宿泊ホテル編 ー

2018年09月01日 | 旅行・グルメ
 (写真は、今回の米国西海岸旅行にて宿泊したサンフランシスコ・シビックセンター駅近くのホテル。 部屋を出て直ぐの廊下の鏡にて撮影した我々母娘の姿。)



 旅行前にこのホテルの前評判をネット上で検索したところ、まさに様々な書き込みを発見した。

 ただ、元々ネット上の「書き込み」を頭から信用する原左都子ではない。


 いやはや合格点でしたよ、このホテル。


 とにかく、部屋が広いのに助けられた。 
 海外旅行の場合、スーツケースを広げるスペースは是が非でも死守したいものだが、それを難なくクリアしていた。


 室内クリーン作業も十分に素晴らしかった。


 フロントやコンセルジュ対応も優れていた。 (これに関しては前回以前のバックナンバーにて記載済みだが。)


 今回我々の西海岸旅行が成功に終わったのは、このホテルに依存する部分が大きいと、改めて感謝申し上げたい。


 いえいえ、原左都子の米国西海岸旅行記は、まだまだ続きますよ~~~。

 

米国西海岸旅行記 ー IT化が暴走する米国社会編 ー

2018年09月01日 | 旅行・グルメ
 (写真は、バート シビックセンター駅の自動切符販売機。)


 諸外国の切符販売機とは、概して使い方が分かりにくいものだが…。
 英語圏の米国ならば、おそらく分かり易いだろうとの想像が甘かった。

 当日、U.C.バークレーへ行く目的で“往復切符”を購入しようとしたのだが。
 行き先のDowntown Berkeley と往復切符を押す場所はすぐに理解出来た。 ところが、行先までの運賃を自分で入力する操作が実に難儀たったのだ。 翻訳ボタンは英語とスパニッシュしかない。
 では、駅の係員はいないかと探したのだが誰一人としていない。
 そもそもこの自動販売機を使用しているのは、外国人旅行者のみの様子だ。
 現地の人々は日本の都会同様に、スイカのようなカードやおそらく定期でスイスイ改札口を通過して行き捕まえにくい。
 やっと、隣の販売機に外国人旅行者とおぼしき人達がやって来た。 やはり戸惑っていたようだが、切符をゲット出来て去って行った。 この人達に教えを請おうとも考えたが、言語が英語でも日本語でもなかったため、そもそも困難だっただろう。
 娘がスマホを取り出して、バートの自動販売機使用方法を検索してくれた。
 そして分かったのは、この販売機の使用方法が超難度ということだ。 お金を投入した後、左側に10個程あるボタンを自分で操作しながら、例えば10ドル25セントの場合、その金額に自分で1セントずつ増減して調整する作業を要するのだ。
 (このシステムを考案した人って、頭が悪いんじゃないの?)と蔑みつつも、20分程かけて切符購入が叶ったため、改札口へ進んだ。
 ここでも、日本とはシステムが違う。 日本の場合改札を通過した後切符が出て来る様式だが、バートの場合、入口で入れた切符を入口で取ってから改札へ入るシステムだ。 危うくストップバーで足を怪我するところだった。


 駅の自動販売機のみならず、米国(今回は西海岸訪問だが)あらゆる場所でIT化が進んでいる。

 その最たる例が空港だが、今回ユナイテッド航空を利用したのだが搭乗手続きのすべてがパソコンによる自分での入力チェックインである。
 たださすがに国際空港との場であり、翻訳言語が多国語に及んでいるため比較的使用し易いとも言えよう。 


 ここで、U.C.バークレーが採用している「全学ペーパーレス」を再び話題として取り上げよう。

 セイザータワーの窓口でこの話を聞いた時には、一瞬(さすが!世界をリードする大学は違うなあ。)などと安直に感嘆したのだが……。
 帰国後よ~~く考えてみると、果たしてそうであろうか??

 これ、文化の後退とも捉えられ、空恐ろしい気もする。
 人類が数千年の歴史や世紀を超えて築き上げて来た、「紙の文化」「手書きの文化」「文字の文化」それらすべてを未来に向けて捨て去らんとの事態であり、恐怖心すら抱かされる。

 その辺の“文化遺産の喪失”に関して、学内で如何なる議論を繰り返した後に「全学ペーパーレス」を採用したのであろうか?
 おそらくこれはU.C.バークレーのみならず、米国著明大学すべてに於いて実施されているとも推測出来よう。

 我が国日本に於いては、そこまで極端に「ペーパーレス」を採用している大学は皆無と心得ているのだが。
 その辺の確認作業を今後我が課題として実施してみようか、と欲したくもある…。


米国西海岸旅行記 ー シリコンバレーはどうしたかって??編 ー

2018年09月01日 | 旅行・グルメ
 (写真は、シリコンバレー??と思しき場所で撮影した写真の一枚。)


 まさに米国入国審査時に審査官氏が発した言葉「シリコンバレー? そんなところへ何しに行くの?」の“予言”が的中したとの結論だった。


 モントレー・カーメルバスツアーの帰り道にシリコンバレーに立ち寄るとの申し込み時のツアー会社の前触れだったのだが…。

 実際現地のバスツアーに参加してみると、勝手がまったく違ったのだ。
 
 まず、米国到着直後にホテルピックアップサービスの再確認を電話にて行う事を現地ツアー会社より強要されていた。
 これを拙い英語で頑張ったのよ。  ところが…
 おかしなことに、指定された電話番号ではその用件は受付出来ないとの回答だ。 電話に出た女性は至って親切で、我が拙い英語を一生懸命聞いて下さった。 その上で、新たに今から言う電話番号にかけ直して欲しいとのことだった。
 さて、どうしたことか? その電話番号を再確認したら私がたった今掛けた番号と同一だ。
 きつねにつままれた私がホテルのロビーにてこの件を相談したところ、コンセルジュが対応するからその窓口へ行くことを勧めて下さった。
 そしてホテルのコンセルジュ氏から再び電話を掛けていただいたのだが。 どうやらコンセルジュ氏も戸惑いつつ何度も異なる電話番号へかけ直していたようだ。 やっとこさピックアップサービスを受付けてくれる相手と巡り合った様子で、お陰で事は無事終了した。

 次の日の朝になり、ピックアップサービスは確かに実行された。
 ホテルのピックアップサービスを利用する旅人はごく少数であり、その少数は別のツアー受付場所までバスで連れて行かれた。
 そこで判明したのだが、ツアーは英語ガイド付きとの触れ込みだったにもかかわらず、結局運転手一人が運転からガイドから何からすべてをこなすツアーだった。

 こうなると、すべてが手薄だ。
 45名満員のバス内はほとんどが米国人。 その人達には運転手のガイドで十分だったようだが、どうしても英語が片言の外国人参加者にまでは配慮が回らない。
 早口英語を一生懸命聞き取りながら、おそらく3割程度は理解しつつのバス旅だ。

 そんな中、帰り道に立ち寄るとのツアー会社の説明文だったシリコンバレーの案内が一切無い。
 私側も手落ちだった。 最後にバス乗車する時に運転手氏に確認を取るべきだったにもかかわらず、その時は帰りのホテル下車の確認をしてシリコンバレーの件を忘却してしまっていた。


 ただ、この辺一帯がシリコンバレーなのだろうと思しき場所は確認出来た。
 そして理解出来たのは、要するに「何でそんなところへ行くの」との事実だ。
 我が想像とは大幅に食い違い、シリコンバレーとは、長~~い距離の中に企業が点在しているとの実態だったのだ。 それもまさに“点在”だし、道路から直に見える企業は稀だ。
 バスの窓側に座っていた娘が一生懸命、見える限りのIT企業を撮影してくれたのだが。 バスのスピードは速いし、何だか何を写したのやら分かりにくいと本人が言う。

 そんなこんなで私が映した上記NASAの写真が一番まともかとも考え、これを公開することとしたとのいきさつだ。 (これがNASAのIT分野なのかどうかも不明。 どう見てもそうじゃないよねえ……。) 

 と言う訳で結論としては、シリコンバレー訪問は見事失敗に終わった。 

米国西海岸旅行記 ー 娘のストライキとゴールデンゲートブリッジ編 ー

2018年09月01日 | 旅行・グルメ
 (写真は、米国西海岸旅行をして訪れない人はいないであろう絶大なる観光名所のゴールデンゲートブリッジ。)


 今回の我が西海岸旅行に於いて、あくまでも“いわゆる観光”はモントレー・カーメル観光のみで済ませる予定で“私は”いた。
 後は主要目的地であるU.C.バークレー訪問、及び米国社会の観察に重きを置くことを“私は”スローガンとしていた。

 と言う訳で旅行出発前より娘には、以下のごとく身勝手な説明をしておいた。
 宿泊地のサンフランシスコ近辺の観光名所と言えば、ゴールデンゲートブリッジとフィッシャーマンズワーフが著明だ。 
 ゴールデン…… は赤色の橋だが、何故か観光客に大人気でいつ行っても大混雑している。
 フィッシャーマンズワーフというのは元漁師の街だが、海鮮料理等で観光客に人気。 それにさほど興味がなければ単に混雑が鬱陶しいだけかもしれない。
 それからケーブルカーかな。 ケーブルカーは40数年前には50セントで乗れたように記憶しているが、今現在は9ドルもかかるらしい。 これは移動中に見れると思うから、あえて乗る必要はないかもよ。 (確かに、旅行中にバス車窓からケーブルカーを見た。)


 さて旅程最終日となり、その日は丸一日をU.C.バークレー訪問に充てていた。

 ところが、その日に限りバートRichmond線の運行が大幅に変更(イレギュラー)になっていたことが最大の理由で、U.C.バークレー到着までに予定をはるかに超える時間を要してしまった。

 しかも広大な敷地のU.C.バークレー内で迷ってばかり。
 予定していた人類学博物館や古生物学博物館入場など時間的にとてつもなく不可能だ。

 それはよしとしても、私が一番行きたかった19歳時に宿泊したBowles Hall(大学の寮だが、カリフォルニアで著名な歴史的建造物でもある)にどうしても辿り着けない。
 そろそろ夕刻が迫ろうとしていた時、私がBowles Hallだけは絶対に行っておきたい! と訴えを起こしたその時。


 娘のストライキが起こるべくして勃発した! 

 とは言っても、娘のストライキとはかなり特異的だ。
 元々寡黙な娘だが、心理がパニック状態に陥ると“フリーズ”してまったく反応しなくなる。
 サリバンとすればこの状況には娘幼少の頃より慣れてはいるものの、(ああ~~~、この地に来てまでやっちゃった。 サリバンの責任として、この凍結状態を溶解してやらねば。)
 そして一旦ベンチに二人で座り、心より娘に詫びた。 「私のペースですべての旅程を勝手にこなし、貴方の存在を軽視していたことは本当に悪かった、謝る。 よし、予定を大幅に変更しよう! もうU.C.バークレーは出て、これからゴールデンゲートブリッジへ行って写真撮ろうよ!」

 この一言で娘の心は少しとろけた様子で、それに従ってくれた。


 そして一旦バートでシビックセンター駅まで戻った後、タクシー乗車でゴールデンゲートブリッジに到着し、撮影したのが冒頭の写真だ。
 心が開放した娘も、喜んだ様子でスマホのシャッターを連発していた。 

 私のカメラにも、昼間U.C.バークレーでは見れなかった娘の笑顔の写真が復活した。