本日(3月24日)のテレビニュース報道によれば、子ども虐待死事件は年々増加傾向にあるとの事だ。
3月21日付 朝日新聞記事よりその一例を紹介しよう。
日本小児科学会は年間約350人の子どもが虐待で亡くなった可能性があるとの推計を初めてまとめた。2011〜13年度の厚生労働省の集計では年69〜99人(無理心中含む)で、その3〜5倍になる。 厚労省は自治体の報告を基に虐待死を集計しているが、同学会は「虐待死が見逃されている恐れがある」と指摘する。
防げる可能性のある子どもの死を分析するため、同学会の子どもの死亡登録・検証委員会が調査した。 同委の小児科医が活動する東京都、群馬県、京都府、北九州市の4自治体で、11年に死亡した15歳未満の子ども(東京は5歳未満のみ)368人を分析した。 全国で亡くなった15歳未満の子ども約5千人の約7%にあたる。
医療機関に調査用紙を送り、死亡診断書では把握できない詳細について尋ね、一部は聞き取りも行った。 その結果、全体の7・3%にあたる27人について「虐待で亡くなった可能性がある」と判断した。 この割合を全国規模で換算すると約350人となった。
(以上、ネット朝日新聞ニュースより一部を引用したもの。)
昨日(3月23日)の報道によれば、相模原市児童相談所は22日、両親から虐待を受けて児相に通所していた男子中学生が自殺を図り、今年2月に死亡していたと明らかにした。
当該男子生徒は虐待が続くため保護を求めていたが、児相は「切迫した緊急性がなく、家庭環境は改善の方向に向かっている」として、親の同意なしに強制的に引き離す職権での保護を見送っていた。
児童相談所は子どもの安全を確保するために、虐待を受けた子どもを親から引き離し、一時保護することができる。 原則は子どもや保護者の同意を得るが、放置すると「子どもの福祉を害する」場合は、職権で強制的に保護する権限を持っている。
2013年11月に生徒の額が腫れて顔に傷があることに当時通っていた小学校の教師が気付き、市に通報した。 児相が経過を見ていた14年5月末、生徒は深夜にコンビニエンスストアに「親に暴力をふるわれた」と逃げ込み、警察に保護された。 (中略) その後、生徒は10月上旬から親の体調不良を理由に通所しなくなった。 児相職員は学校を訪れて面談していたが、生徒は11月中旬、親戚宅で首つり自殺を図って意識不明となり、重度心身障害となった。 昨年6月に児相に入所した後、容体が悪化して今年2月末に死亡した。
厚生労働省は、職権による一時保護について通知で「保護者の反発をおそれて控えるのは誤り」とし、積極活用するよう求めている。 一方、相模原市児相側は「通所によって親との関係が改善しており、職権で生徒を保護するだけの緊急性、差し迫った状況はないと判断した」などと説明している。
ここで、一旦原左都子の私論に入ろう。
被虐待児童自らが児童相談所に保護を求めたにもかかわらず、児相側のいい加減な「親との関係が改善している」などとの判断により自宅に返される始末…。 その挙句、児童は自殺を図り一時重度身体障害として苦しみ、結果として死に至ったとのとてつもなくやるせない事件……
児童相談所の判断の甘さに怒りさえ覚える今回の事件である。
ただ、今まで幾度ともなく親に虐待される子供達に関するエッセイを公開している私には、一つの大いなる懸念点があるのだ。
それは、たとえ今回の被害者である児童を児相が一時保護していたとしても、その保護施設内でこの子は安全に生き延びられたのか??との痛切な懸念である。
それは、現在の我が国の福利厚生制度内では、虐待被害児童を“あらゆる危険から完全に保護するべく施設”が一つとして整っていないのではないか?? との我が危機感に基づいている。
以下に、「原左都子エッセイ集」2010.11/30 公開のバックナンバー 「虐待被害児保護施設に於ける虐待連鎖の悲劇」 より一部を紹介しよう。
子供が親から虐待され死に至ったり、あるいは一命を取り留め保護される報道が昨今途絶えることがない現状は、皆さんもご承知の通りである。
不幸中の幸いの事例として虐待被害児が公的機関に保護された報道に接した場合、我々一般市民は「鬼畜のごときの親とやっと離れることができ、これでこの子は命拾いした…」と一応安堵するものである。
そんな中、元教育者でもある原左都子ももちろん被害児が保護されたことに安堵する一方、その後の虐待被害児の心身状態の回復や更正後の社会適応の程が大いに気掛かりだ。 と言うのも、メディア報道の情報発信の“偏り”により虐待事件そのもののニュースはいつも大々的に取り扱われ発信されているにもかかわらず、上記のような虐待被害児保護後の“その後”に関する情報がほとんど見当たらない現状であるからだ。
そうしたところ2010.11.27 朝日新聞夕刊において、珍しくも“虐待被害児保護後の実態”に関する調査結果の記事が掲載されているのを発見した。 社会面の目立たない位置に小さく存在していた当該記事の内容を、以下に要約して紹介しよう。
「児童相談所一時保護所研究会」(民間団体とのことらしいが)の調査により、虐待を受けた子供を緊急保護する一時保護所で、他の入所児童・生徒に暴力を振るった経験がある子供が3割に上っていることが分かった。 本来ケアされるべき施設で子供のストレスが溜まり「二次被害」が顕著になっている。
一時保護所とは、虐待や家出などの18歳未満の子供を緊急に保護する場であるが、1日あたりの保護人数は1475人と10年前の2,1倍であり、退所後の受け皿(がない事)も深刻で児童生徒の平均滞在日数は28日となっている。
私論に移るが、これは原左都子が恐れていた通りの調査結果であると言える。 まさに「虐待は連鎖する」悲劇が、虐待被害児等一時保護所において子供達の間で早くも展開されている実態を目の当たりにした思いである。
この子供の虐待を取り巻く、まるで「地獄絵図」のごとくの現状をどう救えばよいのだろう。 一時保護所の職員数を増員して児童のケア、管理を強化しよう、と言ったところで、地方自治体とて経費削減に躍起である。 まさか、財政難にあえぐ国政がこの分野に予算増強するはずもない。
それならば民間活力があるじゃないか! との結論に達しそうだ。 ただこれも、結局は国や地方自治体の今後の前向きな取り組みと大幅な資金援助が必要条件となろう。
それにしても、もしも貧乏逆境のストレスがきっかけで家庭内において可愛いはずの我が子を虐待しているとすれば、上記の民間活力の提案とは“不幸と幸との堂々巡り”であるだけで根本的な解決策とはなり得ない気もするのだ。
「虐待は連鎖する」ことは、親子がこの世に存在する限りその宿命として既に立証されているとも言える辛くて困難な命題でもある。
それ故にそれを完全に撲滅するためには、その加害者に成り得るべく自覚がある人には「産まないという選択肢もある」との思い切ったメッセージを、原左都子はバックナンバーにおいて展開している。
国政、自治体をはじめ(少額の子供手当てや医療手当てをバラ撒いてくれる以外は)誰も生まれてくる我が子を助けてくれるはずもない現状において尚、あえて子供を産み、その我が子をどうしても虐待してしまう自分が止められないから周囲の誰か助けて!! と絶叫する人種に対し、正直言って今のところ「子どもを産むな!」以外の適切なアドバイスがどうしても出来ない未熟者の私である…
(以上、「原左都子エッセイ集」(2010.11/30 公開のバックナンバー より一部を要約引用したもの。)
本論とはまったく関係ない余談及び私論で、今回のエッセイを締めくくろう。
昨日私は、自宅近くの大規模公園へランニング練習に出かけた。
私同様にランニング練習に励む人、ウォーキングや散歩をしている人達、あるいは犬の散歩に出かけて来ている人々、そして子供連れの親子等々、数多くの市民達が普段よりこの公園を利用している。
ちょうど5㎞のランニング練習を終えたばかりで息が上がっている私の横を、1歳くらいの女の子を連れた母娘が通り過ぎようとした。
その女の子が、私の方を興味深そうにずっと見つつ立ち止まった。 そのあまりにも可愛らしい瞳に引きつけられた私は、その瞳を見つつ微笑んだ。 そうしたら、直ぐにニコニコと微笑み返してくれる。 それに気が付いた母親が、多少私を警戒し始めた様子だ。 母親に「こんにちは」と声を掛けた私に対し無言で一礼を返した母親は、すぐさま女の子を抱っこしてその場から立ち去ろうとした。
それでも女の子は私に未練があるらしく、抱っこされた母の背中から私をいつまでも振り返る。 私が「バイバイ!」と手を振ると、同じようにバイバイをしつつ名残惜しそうに私から遠ざかって行った。
今時、見知らぬ他者からの犯罪被害を避けるため親が我が子を守るとの行為は、至って常識的な判断である。 母親が可愛い我が子を咄嗟に行きずりの私から遠ざけようとした行動にも正当性があろう。
NHKが少し前に 「無縁社会」 との言葉を作り出した。
確かに現代の世の中は、人間関係が極度に希薄化した「無縁社会」と成り下がっている。
ただ少し時間があるならば、親こそが見知らぬ他者との一期一会の出会いを楽しむ心の余裕があっても許されるのではなかろうか?
特に小さき子どもを抱えている親ほど、もしかしたら家庭内で孤立感・閉塞感に陥っている恐れもあろう。 散歩に出たついでに、ほんの一時でも親子で他者と触れ合い和める時間が取れるなら、最悪の場合、虐待なる究極我が子を傷つける行為を家庭内で回避出来るきっかけとなるのではなかろうか。
多難な道程の中サリバンとして我が子を育てた一昔前の頃、幼き娘を連れての散歩中に見知らぬ他者からよくお声を掛けて頂いた。「幾つですか?」「可愛いですね」等々。 その温情を有り難く受けつつ、その方々との束の間の“一期一会”を娘と共に楽しめた私は、そう実感するのだが…
3月21日付 朝日新聞記事よりその一例を紹介しよう。
日本小児科学会は年間約350人の子どもが虐待で亡くなった可能性があるとの推計を初めてまとめた。2011〜13年度の厚生労働省の集計では年69〜99人(無理心中含む)で、その3〜5倍になる。 厚労省は自治体の報告を基に虐待死を集計しているが、同学会は「虐待死が見逃されている恐れがある」と指摘する。
防げる可能性のある子どもの死を分析するため、同学会の子どもの死亡登録・検証委員会が調査した。 同委の小児科医が活動する東京都、群馬県、京都府、北九州市の4自治体で、11年に死亡した15歳未満の子ども(東京は5歳未満のみ)368人を分析した。 全国で亡くなった15歳未満の子ども約5千人の約7%にあたる。
医療機関に調査用紙を送り、死亡診断書では把握できない詳細について尋ね、一部は聞き取りも行った。 その結果、全体の7・3%にあたる27人について「虐待で亡くなった可能性がある」と判断した。 この割合を全国規模で換算すると約350人となった。
(以上、ネット朝日新聞ニュースより一部を引用したもの。)
昨日(3月23日)の報道によれば、相模原市児童相談所は22日、両親から虐待を受けて児相に通所していた男子中学生が自殺を図り、今年2月に死亡していたと明らかにした。
当該男子生徒は虐待が続くため保護を求めていたが、児相は「切迫した緊急性がなく、家庭環境は改善の方向に向かっている」として、親の同意なしに強制的に引き離す職権での保護を見送っていた。
児童相談所は子どもの安全を確保するために、虐待を受けた子どもを親から引き離し、一時保護することができる。 原則は子どもや保護者の同意を得るが、放置すると「子どもの福祉を害する」場合は、職権で強制的に保護する権限を持っている。
2013年11月に生徒の額が腫れて顔に傷があることに当時通っていた小学校の教師が気付き、市に通報した。 児相が経過を見ていた14年5月末、生徒は深夜にコンビニエンスストアに「親に暴力をふるわれた」と逃げ込み、警察に保護された。 (中略) その後、生徒は10月上旬から親の体調不良を理由に通所しなくなった。 児相職員は学校を訪れて面談していたが、生徒は11月中旬、親戚宅で首つり自殺を図って意識不明となり、重度心身障害となった。 昨年6月に児相に入所した後、容体が悪化して今年2月末に死亡した。
厚生労働省は、職権による一時保護について通知で「保護者の反発をおそれて控えるのは誤り」とし、積極活用するよう求めている。 一方、相模原市児相側は「通所によって親との関係が改善しており、職権で生徒を保護するだけの緊急性、差し迫った状況はないと判断した」などと説明している。
ここで、一旦原左都子の私論に入ろう。
被虐待児童自らが児童相談所に保護を求めたにもかかわらず、児相側のいい加減な「親との関係が改善している」などとの判断により自宅に返される始末…。 その挙句、児童は自殺を図り一時重度身体障害として苦しみ、結果として死に至ったとのとてつもなくやるせない事件……
児童相談所の判断の甘さに怒りさえ覚える今回の事件である。
ただ、今まで幾度ともなく親に虐待される子供達に関するエッセイを公開している私には、一つの大いなる懸念点があるのだ。
それは、たとえ今回の被害者である児童を児相が一時保護していたとしても、その保護施設内でこの子は安全に生き延びられたのか??との痛切な懸念である。
それは、現在の我が国の福利厚生制度内では、虐待被害児童を“あらゆる危険から完全に保護するべく施設”が一つとして整っていないのではないか?? との我が危機感に基づいている。
以下に、「原左都子エッセイ集」2010.11/30 公開のバックナンバー 「虐待被害児保護施設に於ける虐待連鎖の悲劇」 より一部を紹介しよう。
子供が親から虐待され死に至ったり、あるいは一命を取り留め保護される報道が昨今途絶えることがない現状は、皆さんもご承知の通りである。
不幸中の幸いの事例として虐待被害児が公的機関に保護された報道に接した場合、我々一般市民は「鬼畜のごときの親とやっと離れることができ、これでこの子は命拾いした…」と一応安堵するものである。
そんな中、元教育者でもある原左都子ももちろん被害児が保護されたことに安堵する一方、その後の虐待被害児の心身状態の回復や更正後の社会適応の程が大いに気掛かりだ。 と言うのも、メディア報道の情報発信の“偏り”により虐待事件そのもののニュースはいつも大々的に取り扱われ発信されているにもかかわらず、上記のような虐待被害児保護後の“その後”に関する情報がほとんど見当たらない現状であるからだ。
そうしたところ2010.11.27 朝日新聞夕刊において、珍しくも“虐待被害児保護後の実態”に関する調査結果の記事が掲載されているのを発見した。 社会面の目立たない位置に小さく存在していた当該記事の内容を、以下に要約して紹介しよう。
「児童相談所一時保護所研究会」(民間団体とのことらしいが)の調査により、虐待を受けた子供を緊急保護する一時保護所で、他の入所児童・生徒に暴力を振るった経験がある子供が3割に上っていることが分かった。 本来ケアされるべき施設で子供のストレスが溜まり「二次被害」が顕著になっている。
一時保護所とは、虐待や家出などの18歳未満の子供を緊急に保護する場であるが、1日あたりの保護人数は1475人と10年前の2,1倍であり、退所後の受け皿(がない事)も深刻で児童生徒の平均滞在日数は28日となっている。
私論に移るが、これは原左都子が恐れていた通りの調査結果であると言える。 まさに「虐待は連鎖する」悲劇が、虐待被害児等一時保護所において子供達の間で早くも展開されている実態を目の当たりにした思いである。
この子供の虐待を取り巻く、まるで「地獄絵図」のごとくの現状をどう救えばよいのだろう。 一時保護所の職員数を増員して児童のケア、管理を強化しよう、と言ったところで、地方自治体とて経費削減に躍起である。 まさか、財政難にあえぐ国政がこの分野に予算増強するはずもない。
それならば民間活力があるじゃないか! との結論に達しそうだ。 ただこれも、結局は国や地方自治体の今後の前向きな取り組みと大幅な資金援助が必要条件となろう。
それにしても、もしも貧乏逆境のストレスがきっかけで家庭内において可愛いはずの我が子を虐待しているとすれば、上記の民間活力の提案とは“不幸と幸との堂々巡り”であるだけで根本的な解決策とはなり得ない気もするのだ。
「虐待は連鎖する」ことは、親子がこの世に存在する限りその宿命として既に立証されているとも言える辛くて困難な命題でもある。
それ故にそれを完全に撲滅するためには、その加害者に成り得るべく自覚がある人には「産まないという選択肢もある」との思い切ったメッセージを、原左都子はバックナンバーにおいて展開している。
国政、自治体をはじめ(少額の子供手当てや医療手当てをバラ撒いてくれる以外は)誰も生まれてくる我が子を助けてくれるはずもない現状において尚、あえて子供を産み、その我が子をどうしても虐待してしまう自分が止められないから周囲の誰か助けて!! と絶叫する人種に対し、正直言って今のところ「子どもを産むな!」以外の適切なアドバイスがどうしても出来ない未熟者の私である…
(以上、「原左都子エッセイ集」(2010.11/30 公開のバックナンバー より一部を要約引用したもの。)
本論とはまったく関係ない余談及び私論で、今回のエッセイを締めくくろう。
昨日私は、自宅近くの大規模公園へランニング練習に出かけた。
私同様にランニング練習に励む人、ウォーキングや散歩をしている人達、あるいは犬の散歩に出かけて来ている人々、そして子供連れの親子等々、数多くの市民達が普段よりこの公園を利用している。
ちょうど5㎞のランニング練習を終えたばかりで息が上がっている私の横を、1歳くらいの女の子を連れた母娘が通り過ぎようとした。
その女の子が、私の方を興味深そうにずっと見つつ立ち止まった。 そのあまりにも可愛らしい瞳に引きつけられた私は、その瞳を見つつ微笑んだ。 そうしたら、直ぐにニコニコと微笑み返してくれる。 それに気が付いた母親が、多少私を警戒し始めた様子だ。 母親に「こんにちは」と声を掛けた私に対し無言で一礼を返した母親は、すぐさま女の子を抱っこしてその場から立ち去ろうとした。
それでも女の子は私に未練があるらしく、抱っこされた母の背中から私をいつまでも振り返る。 私が「バイバイ!」と手を振ると、同じようにバイバイをしつつ名残惜しそうに私から遠ざかって行った。
今時、見知らぬ他者からの犯罪被害を避けるため親が我が子を守るとの行為は、至って常識的な判断である。 母親が可愛い我が子を咄嗟に行きずりの私から遠ざけようとした行動にも正当性があろう。
NHKが少し前に 「無縁社会」 との言葉を作り出した。
確かに現代の世の中は、人間関係が極度に希薄化した「無縁社会」と成り下がっている。
ただ少し時間があるならば、親こそが見知らぬ他者との一期一会の出会いを楽しむ心の余裕があっても許されるのではなかろうか?
特に小さき子どもを抱えている親ほど、もしかしたら家庭内で孤立感・閉塞感に陥っている恐れもあろう。 散歩に出たついでに、ほんの一時でも親子で他者と触れ合い和める時間が取れるなら、最悪の場合、虐待なる究極我が子を傷つける行為を家庭内で回避出来るきっかけとなるのではなかろうか。
多難な道程の中サリバンとして我が子を育てた一昔前の頃、幼き娘を連れての散歩中に見知らぬ他者からよくお声を掛けて頂いた。「幾つですか?」「可愛いですね」等々。 その温情を有り難く受けつつ、その方々との束の間の“一期一会”を娘と共に楽しめた私は、そう実感するのだが…