(写真は、2013年12月に“大枚はたいて”購入した江戸紅型訪問着と帯。 2014年元旦にも同じ写真を当該エッセイ集にて公開している。 この紅型訪問着とレンタル袴を、来る3月10日に娘の大学卒業式の晴れ舞台に着せる段取りとなっている。)
普段和服の趣味がない者がいざ和服を着る(着せる)となると、それはそれは“てんやわんやの大騒ぎ”だ。
娘の卒業式に際しての着付けとヘアメイクは既に昨夏、美容院に予約している。 これに関しては3月10日の卒業式の早朝から実施してくれる段取りだが、それに先立ち、上記写真の江戸紅型訪問着等着付けに必要な和装小物類を自宅の和ダンスから引っ張り出す作業を要する。
これが実に大変!
私自身に和服の趣味など一切ないにもかかわらず、実母のとてつもなく歪んだ趣味により勝手に作って寄越した和服の数々で、我が家の和ダンスは一度も手を通した事が無い和服で溢れている。
さらに迷惑な事にはそれに拍車をかけるがごとく、義母から自分の和ダンス一杯の和服を引き取って欲しいと嘆願されて断れず、その一部を貰い受けた。
ただし昔と違って、今時は和服とてそれを着る人間の身長等体格に合わせた“オーダーメイド”の時代だ。 どうも義母から授かった和服の丈が短いと察してそれをメジャーで測ってみると、実母が私のために作った和服より丈が20㎝も短い事が判明した。 参考のため、上記紅型用長襦袢の長さが150㎝。 義母の和服の長さがちょうど同じと言うことは、165㎝の私が義母の和服を着るとしたら“お端折り”が出来ないと言うことだ。
まあそれにしても、既に認知力が低下し有料介護施設で暮らす義母にそれを告げずとて、時期を見計らって私が勝手に廃棄処分すれば済む話だろう。
話題を変えよう。
「卒業式」と聞かされて私の脳裏に一番に浮かぶのは、私自身の卒業式ではなく、高校教員として就任後初年度の高校での卒業式の風景だ。
医学専門職を経験している私が次なる学問課題として挑み、その専門を活かし就職したのが公立高校現場であることは、当該エッセイ集にて幾度も公開して来ている。
既に30代後半時期にして、教員として高校生達と相まみえる経験を心から楽しく享受出来た私である。
そんな私にとっては、彼らと共に過ごした一時の別れが実に感慨深いものだった。 卒業式が始まる前から涙腺が“うるうる”していた私だが、卒業生入場時に流れたユーミンの「卒業写真」を聞いた途端、号泣してしまった… (いえいえ、これは教員としてはあるまじき姿ですが…)
それを見ていたであろう卒業生達が、式典が終わり「卒業生退場」の場面で、女子男子を問わず私に抱きついて来て、会場の後方で皆で号泣したのだ!
あんなに感動した卒業式は、今尚経験していない。
いやはや、まだまだ未熟な教員として生徒のアイドル(?)の立場で通っていた我が若き時代の勘違い光景であろう。
ただ今思い起こしてみるに、高校の卒業式としては貴重な風景だったのではなかろうか?? 今時、誰が先生に抱きついてくる? まだまだアイドル先生が存在して、その先生に懐くべく素朴な生徒が存在する頃の話題だ。 そういう意味では、この頃(経済バブル期だが)の生徒達とは、人間関係との分野に於いて“人に懐ける”との素晴らしい特技を修得して卒業に至れる時代背景だったのではあるまいか。
それに比し、私自身の卒業式を思い出すのは難儀な業だ。
何分、幼少の頃より集団嫌い学校嫌いの私だった。
学校のセンコー?? 言っちゃ悪いが、幼小中高校を通して、そのほとんどが嫌いだった。 そんな当時の私が学校のセンコーに懐く訳など絶対ない。
高校卒業式直後に、制服をすぐさま廃棄処分にした話題は「原左都子エッセイ集」バックナンバーでも暴露している。
参考だが、私が通っていたのは過疎県ではあるがその県内指折の名門校だった。 その制服の大改造計画を、卒業を迎えた3ヶ月ほど前に企てた。 当時荒れた女子高生の間で流行っていた、ロンスカ、上着のウエストを入れるとの“スケバン”スタイル制服に一夜で仕上げた!
その後卒業までの名門高校内での(特に女子による)そのスタイルの評価たるや、「カッコイイ!」と上々だった。 ただ私自身の気持ちは、卒業当日までどんより曇り続けていた…
当時過食症を患う程に心が廃れていた私は、一体全体、高校を如何なる思いで卒業したのだろう?
今思い起こすならば、まさに表題のごとく、「卒業式だと言うけれど、何かを卒業出来るのか?」との心境だったものと振り返る。
そんな私も「学問の府」大学へ進学した後にはすっかり本来の自分らしさを取り戻し、学業に精進出来たものだ。
それが証拠に、その後30歳直前にして再び大学での学問を目指し、その後大学院にて修士号も取得して現在に至っている。
さて明後日大学の卒業式を迎える我が娘も、成人式以来久しぶりに和服を着ることに関して、“気合”を入れている様子だ。
何分、私が“大枚はたいて”(その価格に関しては「原左都子エッセイ集」2014.1.1バックナンバー 「いとも美しき江戸紅型」内で公開済みだが、早い話が大衆新車1台とほぼ同価格)購入した江戸紅型を着て卒業式に臨める事を、楽しみにしている様子である。
まさにこの江戸紅型訪問着絵柄のごとく、娘の未来も緻密・繊細かつ煌びやかであって欲しいものだ!
普段和服の趣味がない者がいざ和服を着る(着せる)となると、それはそれは“てんやわんやの大騒ぎ”だ。
娘の卒業式に際しての着付けとヘアメイクは既に昨夏、美容院に予約している。 これに関しては3月10日の卒業式の早朝から実施してくれる段取りだが、それに先立ち、上記写真の江戸紅型訪問着等着付けに必要な和装小物類を自宅の和ダンスから引っ張り出す作業を要する。
これが実に大変!
私自身に和服の趣味など一切ないにもかかわらず、実母のとてつもなく歪んだ趣味により勝手に作って寄越した和服の数々で、我が家の和ダンスは一度も手を通した事が無い和服で溢れている。
さらに迷惑な事にはそれに拍車をかけるがごとく、義母から自分の和ダンス一杯の和服を引き取って欲しいと嘆願されて断れず、その一部を貰い受けた。
ただし昔と違って、今時は和服とてそれを着る人間の身長等体格に合わせた“オーダーメイド”の時代だ。 どうも義母から授かった和服の丈が短いと察してそれをメジャーで測ってみると、実母が私のために作った和服より丈が20㎝も短い事が判明した。 参考のため、上記紅型用長襦袢の長さが150㎝。 義母の和服の長さがちょうど同じと言うことは、165㎝の私が義母の和服を着るとしたら“お端折り”が出来ないと言うことだ。
まあそれにしても、既に認知力が低下し有料介護施設で暮らす義母にそれを告げずとて、時期を見計らって私が勝手に廃棄処分すれば済む話だろう。
話題を変えよう。
「卒業式」と聞かされて私の脳裏に一番に浮かぶのは、私自身の卒業式ではなく、高校教員として就任後初年度の高校での卒業式の風景だ。
医学専門職を経験している私が次なる学問課題として挑み、その専門を活かし就職したのが公立高校現場であることは、当該エッセイ集にて幾度も公開して来ている。
既に30代後半時期にして、教員として高校生達と相まみえる経験を心から楽しく享受出来た私である。
そんな私にとっては、彼らと共に過ごした一時の別れが実に感慨深いものだった。 卒業式が始まる前から涙腺が“うるうる”していた私だが、卒業生入場時に流れたユーミンの「卒業写真」を聞いた途端、号泣してしまった… (いえいえ、これは教員としてはあるまじき姿ですが…)
それを見ていたであろう卒業生達が、式典が終わり「卒業生退場」の場面で、女子男子を問わず私に抱きついて来て、会場の後方で皆で号泣したのだ!
あんなに感動した卒業式は、今尚経験していない。
いやはや、まだまだ未熟な教員として生徒のアイドル(?)の立場で通っていた我が若き時代の勘違い光景であろう。
ただ今思い起こしてみるに、高校の卒業式としては貴重な風景だったのではなかろうか?? 今時、誰が先生に抱きついてくる? まだまだアイドル先生が存在して、その先生に懐くべく素朴な生徒が存在する頃の話題だ。 そういう意味では、この頃(経済バブル期だが)の生徒達とは、人間関係との分野に於いて“人に懐ける”との素晴らしい特技を修得して卒業に至れる時代背景だったのではあるまいか。
それに比し、私自身の卒業式を思い出すのは難儀な業だ。
何分、幼少の頃より集団嫌い学校嫌いの私だった。
学校のセンコー?? 言っちゃ悪いが、幼小中高校を通して、そのほとんどが嫌いだった。 そんな当時の私が学校のセンコーに懐く訳など絶対ない。
高校卒業式直後に、制服をすぐさま廃棄処分にした話題は「原左都子エッセイ集」バックナンバーでも暴露している。
参考だが、私が通っていたのは過疎県ではあるがその県内指折の名門校だった。 その制服の大改造計画を、卒業を迎えた3ヶ月ほど前に企てた。 当時荒れた女子高生の間で流行っていた、ロンスカ、上着のウエストを入れるとの“スケバン”スタイル制服に一夜で仕上げた!
その後卒業までの名門高校内での(特に女子による)そのスタイルの評価たるや、「カッコイイ!」と上々だった。 ただ私自身の気持ちは、卒業当日までどんより曇り続けていた…
当時過食症を患う程に心が廃れていた私は、一体全体、高校を如何なる思いで卒業したのだろう?
今思い起こすならば、まさに表題のごとく、「卒業式だと言うけれど、何かを卒業出来るのか?」との心境だったものと振り返る。
そんな私も「学問の府」大学へ進学した後にはすっかり本来の自分らしさを取り戻し、学業に精進出来たものだ。
それが証拠に、その後30歳直前にして再び大学での学問を目指し、その後大学院にて修士号も取得して現在に至っている。
さて明後日大学の卒業式を迎える我が娘も、成人式以来久しぶりに和服を着ることに関して、“気合”を入れている様子だ。
何分、私が“大枚はたいて”(その価格に関しては「原左都子エッセイ集」2014.1.1バックナンバー 「いとも美しき江戸紅型」内で公開済みだが、早い話が大衆新車1台とほぼ同価格)購入した江戸紅型を着て卒業式に臨める事を、楽しみにしている様子である。
まさにこの江戸紅型訪問着絵柄のごとく、娘の未来も緻密・繊細かつ煌びやかであって欲しいものだ!