原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「教え子」なる言葉、もう死語にしませんか?

2012年09月05日 | 時事論評
 原左都子が嫌悪感を抱く表現の一つに 「教え子」 なる言葉がある。


 過ぎ去りし時代にほんの一時学校という一集団の場でかかわった教員側から、いつまでも我々一般人の事を「教え子」呼ばわりされたって、今となってはどっちが偉いのか何なのか判断が難しい現実なのにねえ……
 との感覚に、庶民の皆さん襲われた経験はないだろうか?

 いえいえ学校の諸先生方は確かに我々より“年齢のみ”は上であられる故に、人生の先輩でいらっしゃる事は私も認める。 (いやいや、社会人入学生が少なくない定時制高校や大学・大学院などにおいては逆転現象もままある時代だ。)
 だがそもそも人間関係とは、過去に於いて先生の立場であったから“偉い”だの、自分がこの生徒を“教えた”どうのこうので序列が決定するはずもない。
 お互いに対等な大人となった段階では、もうそんなものどうでも良さそうなものなのに…… 
 何故、教員経験者とは生徒卒業後に及んで尚「教え子」なる表現を持ち出してまでも、過去に一時たまたま指導した生徒達に対し自己の“教育者”としての立場こそがランクが上と位置付けたがるのであろうか??

 いや、それが許される場合もある。
 もう既に老齢年代にあられる諸先生方に関しては、この私も久々にお会いすると「先生、お体の具合はいかがですか?」なるお声を一言かけて労わって差し上げたい思いになるものだ。 

 だが何と言っても“学校嫌い”の私は、それに付随して「同窓会」なるものを基本的には敬遠している。
 私の場合そもそも「同窓会」にさほど出席していない事もあるが、過去に於ける同窓会会場で出席者に向かって「教え子」なる“上から目線言葉”を吐いた教員も一人として存在しないのはラッキーと言える。(同窓会にお見えになる先生のレベルの程を私が熟考した上で出席返答をしているからであろうが。)
 今後もしも年老いられて尚「教え子」なる言葉を一切吐かず、我々と対等に会話して下さる先生が存命されていらっしゃるのならば、そんな同窓会には出席してみたい気もする私だ。
 

 私自身に話を戻すと、過去において短期間ではあるが“高校教員”経験がある。
 教員退職後しばらくの期間、電話や便りをもらった生徒は何人か存在する。既に教職を離れている私は、それら元生徒に対しあくまでも“個人的人間関係”の位置付けで対応して来た。 
 一方、元教員の立場で「同窓会」になど一度も出席したことはないし、正直言って出席したいとの発想もない。 (何と言ってもそもそも「集団嫌い」な私であり、種々雑多な人が多く集まる場は出来る限り避けて通りたい故だ。)
 そんな私が、彼ら(彼女ら)に対し「教え子」なる“上から目線”の表現など使う訳もない。 彼らと何らかの共通項があれば自ずとその分野において今後も一対一の人間同士の対等な付き合いが続くだろうとの感覚はあったが、私の方から“どうか皆さんいつまでも私の「教え子」でいて下さい”などとのみっともない嘆願目的で旧生徒を集結させる「同窓会」開催を煽った事など一度としてあるはずもない。


 今回このエッセイを綴るきっかけを得たのは、8月終わり頃の朝日新聞「声」欄の投書による。
 50歳現役小学校校長による 「成長した教え子の姿に喜び」 と題する投書を以下に要約して紹介しよう。
 毎年お盆の時期になると中学で教えた子たちから同窓会の案内が届く。 今年も2つの会に出席した。 一つは33歳、もう一つはそれより10歳若い子たちの会合である。 仕事や家庭の様子をしっかり話す様子を見て彼らの人生の一部にかかわることができうれしい気持ちでいっぱいになる。 いずれの会でも何人かから「最近先生に叱られた意味が分かった」と言う生徒もいるが、それが教師冥利に尽きる。教師がぶれずに毅然と対応すれば、子ども達の成長の糧になる。 当たり前の事を認識させてくれた会だった。
 (以上、朝日新聞「声」欄投書より引用)


 原左都子の私論に入ろう。

 う~~ん、辛いなあ……

 この種の“単純馬鹿”校長を自治体教育委員会が公立学校の現場長として君臨させているからこそ、この世に「いじめ」及びそれに伴う「自殺」問題が後を絶たないと私は結論付けたい思いだ。

 現在50歳という若き年齢の公立小学校校長さん。 貴方が今やるべき事を原左都子が伝授申し上げるならば、同窓会に“出席しなかった卒業生”にこそ思いを馳せることだ。 同窓会に出席できない(あるいは出席したくない)それら元生徒が於かれている現状やその心理に少しでも配慮心が及んだならば、貴方も今後イッパシの校長として君臨できるのかもしれない。

 えっ? 現役小学校校長たる者が「教え子」である卒業生が主宰する同窓会に出席して楽しかったのだって? 
 そんなの当たり前だよ。 そもそも同窓会とは学校生活が楽しかった(私に言わせてもらうと)“単細胞連中”が出席する場だもの。(言い過ぎの場合お詫び申し上げます)  そんな単純「教え子」連中に自分の存在意義を一時認めてもらったから嬉しいですって??


 それにしても今現在、学校長の立場で自分の未熟さ加減を新聞に投稿している場合ではない事に、何故この小学校校長は気付かないのだろう???

 大津市内公立中学に過去に於いて発生した「いじめ・自殺」問題は、現在訴訟事件と発展し警察による事情聴取を在校生徒が受けている現実だ。
 たかが学校に於ける「いじめ」事件とて、学校現場や教育委員会及び管轄自治体にこれ程までに対応力がない現実において、訴訟事件として警察からの強制捜査及び事情聴取を学校や生徒が受ける時代と相成った事に関して原左都子は賛同の立場である。


 朝日新聞「声」欄投稿者である山口県下関市の50歳の小学校校長さん、貴方がこの夏元生徒が出席する同窓会に出席して、よき「教え子」にまみえたと単純に喜んでいることを決して全面否定する訳ではない。
 ただ原左都子としては、生徒達が抱えているその裏側事情を同時に思慮深く洞察する力があってこそ、今後の校長職を全うできるのではないかとの老婆心を抱くのだ。

 今回の貴方の朝日新聞「声」欄への投書とは、わずか50歳の若輩校長にして「教え子」なる現在の自らを正当化するべく言葉を持ち出した事で、墓穴を掘ったと捉えさせていただいた次第だ。

葬儀に手間とカネをかける時代は終焉した

2012年09月03日 | 時事論評
 ここのところ我が身内年寄りと接する機会が多く、ついつい年寄りにまつわる話題を本エッセイ集にて取り上げてしまい恐縮である。


 無宗教の私としては元々自分自身の遠い将来(?)の葬儀に関してほとんど無頓着なのだが、もしも身内より先に急逝するようなことがあっても、我が葬儀に手数とカネをかけないようにとの意向は伝えてある。
 既にこの世に存在しない人間のために残された家族が無駄な労力を消費し浪費を重ねるよりも、その貴重な時間や資金を我が子の未来のために有効に使って欲しいと私は考えるからだ。 
 我が死の知らせに関しても、もし郷里の実母がまだ生きているなら事後連絡をしてくれればそれで十分であるし、その他の親族や知人等には一切知らせなくてよいとも伝言済みだ。

 と言うのも、そもそも訃報とは突然届く性質のものである。 それを受け取る側としては、正直言って“人騒がせ・迷惑”感が強いのが本音であり実情ではなかろうか?
 
 もちろん、どうしても出席したい通夜や葬儀もある。
 例えば原左都子の場合、今年3月にくも膜下出血により突然死を遂げた我が友の急逝の知らせが届いたのだが、これは私にとっては実に辛く大いなる喪失感を伴う痛手だった。 そういう場合に際しては、最後のお見送りをさせていただきたかったと私も思う。

 ところが少し前の時代に於いては、突然届く訃報のほとんどが故人生前にさほどの面識がないにもかかわらず、葬儀の“人集め”の性格が色濃かったものだ。(仕事関係や義理付き合い関係等) 
 一例を挙げると、我が子が幼少の頃励んでいた習い事の指導者氏より、ご自身の訃報ならばともかく一度たりとてお目にかかった事もない指導者氏のご亭主の訃報を受け取った事がある。「葬儀に出席願いたい」との電話伝言と共に…  ご亭主を亡くされた指導者氏のご心境の程はもちろん察するが、それにしても見知らぬ方の葬儀にのこのこと出席するのは如何なものか…  結局葬儀には出席しなかったが、それでも一旦訃報を受け取ると「香典」を送らねばならない。 その香典にいい大人が一筆添えない訳にはいかず、その手間を鬱陶しく感じたものだ。
 あるいは、娘が通っていた公立小学校の同級生のお父上が癌で急逝されたとの知らせをクラス担任から電話にて突然受け取った経験もある。 この対応にも難儀した。 我が娘が当該児童と仲がよかったならばともかく、娘に確認すると話をしたこともないとのことだ。 ましてや、私はそのお父上に一度たりとてお会いしたことがない。 これは葬儀出席を辞退させていただくべきと判断してその旨担任に伝えると、「香典のご負担はよろしいでしょうか?」と返してくる。 そこで思い切って私は担任に多少の喧嘩を売って出た。「もちろん香典負担は了承しますが、この公立小学校では在学児童家庭の個人的冠婚葬祭に学校が関与しているのですか?」 それに応えて担任曰く「はい、この地は都会にして地域の繋がりが強いため以前よりそのような慣習があります。もし辞退されても差し支えありません。」…… 


 話題が原左都子自身が過去に於いて受け取った訃報対応についつい飛んでしまったが、ここで親族身内の葬儀に話を戻そう。

 先だって8月末郷里に帰省した際、我が年老いた実母が言うには「私の葬儀は簡略でいい」との事だ。
 10年程前までは、まったく別の希望を私に要請していた母である。 (何分母の身近な親族と言えば娘である姉と私なのだが、我が姉は米国在住のため東京に住んでいる私こそが最速で郷里に駆けつけられる立場にある。) 
 その頃の母が私に曰く「葬儀に伴う費用に関しては私が全額負担するから、親族知人を出来るだけ沢山集めて盛大な葬儀を挙行して欲しい。」……
 その後10年の年月をかけて母を教育し続けた私である。 「今の時代、何のために葬儀に手間とカネをかけるのかを生前に自分でよく考慮するべきだ。 その葬儀費用を私に残して欲しいなどと絶対言うつもりはない。 でも、あなたも葬儀に関する信仰宗教などないはずた。 葬儀に際して誰がその親族知人を集めるのかと言えばそれは私の手間でしょ? 30数年前から都会に住み、今となっては郷里とはほとんど縁のない私にその作業を負担せよと言うのは実に過酷だよ。」…

 私が母を教育せずとも、過疎地田舎においても現在は葬儀の合理化が急速に進展している様子である。  さすがに母自身が日々それらの情報収集をして徐々に学習を積んできたようだ。 その結論が上記のごとく「葬儀は簡略形式で」との事に実に一安心の私である。 


 朝日新聞8月25日付文面に於いて、「葬儀に明朗会計の波」と題する記事が掲載されていた。 その報道によると、分かりにくいと評判の悪かった「葬儀」費用の明示化が現在進展しているとのことだ。
 葬儀とはこの記事によるがごとく「総額表示」が一般的であろう。 我が母の話によっても、12年前に挙行した郷里の我が父の葬儀もそうだったようだ。
 “はい、総額何百万円也です!”と葬儀会社から言われてそれを全額支払う遺族が我が母も含め現実的に存在するからこそ、葬儀請負企業が今まで成り立ったといういきさつなのであろう。

 それにしてももうそろそろ人の死に際し、経済界・宗教界等々各分野において時代に即した合理的な提案をするべき時である。


 「死後」ねえ。
 確かに私にとっても最高最大に未知の世界ではあるが、立派な葬儀を後世に強制したところで天国に昇天できる訳でもあるまい。

 まあ何の力もない私など、せいぜい余生を精一杯生き抜くことで生前死後のつじつまを合わせることにしたいものだ。 

田舎の人情  VS.  都会の人情

2012年09月01日 | 旅行・グルメ
 (写真は、我が郷里の中央公園内一風景)

 
 旅の一番の楽しみとは、その地に住む人々との“一期一会”の出会いにあるのではなかろうか。
 特にその地が自分の郷里ともなると、お国言葉が懐かしいせいか初めてお会いした気がせずついつい長話をしてしまう場面が私には多々ある。

 
 さて、「原左都子エッセイ集」読者の皆様とは1週間程ご無沙汰させていただき、我が高齢の母が一人身で生を営んでいる郷里へ8ヶ月ぶりに娘と共に帰省することとなった。 
 大都会に生まれ育っている我が娘にとっては、郷里帰省は田舎の自然や文化に触れるまたとはない機会でもある。  いつも帰省の際には我が母の住居へ訪れるに先立ち、ホテルに1泊して束の間の観光を楽しむのが我々母娘の旅の恒例となっている。

 今回何処の場を観光したいかに関して既に大学生になった娘にその選択を委ねたところ、ネット検索にて上記写真の中央公園内に位置する市立博物館を探し当てたようだ。
 実は私が40年程前に通っていた高校は、国鉄(現在のJR)県内主要駅よりこの公園内を抜けてもう少し東に歩いた地に存在している。 その通学路を40年が経過した今一度歩いてみたい思いに駆られ、娘の博物館案に快く同意した私だ。

 旅行初日に博物館を訪れてみると、案の定8月も終わり時期の平日昼間に来館者の数は少ない。 過疎地とはこれだからいい!と都会暮らしの我々は感じつつ、まるで“貸切”のごとくの博物館内を娘とじっくりゆったり堪能した。
 この中央公園内に位置する博物館は過去において存立した城内跡を改装して作られた施設であるようだが、公園敷地内には名勝旧城表御殿庭園が今尚美しい姿で築庭されている。
 その庭園風景を一望できる博物館内休憩席にて我々母娘が庭を愛でつつお茶を一服していたところ、博物館の女性係員が隣に同席された。 そして、「どこからお越し下さいましたか?」と懐かしい郷里イントネーションで訪ねて下さる。
 「東京から来ましたが、私はこの郷里の出身です」と私が返すや否や会話が活性化するのは予想通りだ。 その後、娘も交えて束の間の会話を楽しませていだだいた我々である。 
 昭和24年生まれとの博物館女性係員氏より、市内の川が流れる場において“船のクルーズ”観光が楽しめるとの情報を得てそのクルーズを堪能し、その後川沿いにある地元の居酒屋で郷里の夜をほろ酔い気分で過ごし、次の日の朝我が母が住む地に路線バスで向かう段取りとなる。


 ここで今回のテーマである「人情」について少し触れると、特に居酒屋やホテル等のチェーン組織においては、たとえそれらが地元組織が経営主体であれシステム化が幅を利かせ、都会の模倣状態であることを実感させられると言う事だ。 経営が潤っているバリバリ個人経営の店舗でも訪れたならば、昔ながらの人情溢れるサービスが堪能できたのかもしれない。 ところが今の時代はたとえ過疎地と言えども、おそらく“人情溢れる”サービスをむしろ鬱陶しく感じる市民が大多数であり、接客サービスをマニュアル化している現状を実感させられる思いだ。


 翌朝、いよいよ我が母が住む地へ路線バスに揺られ1時間かけて向かうのだが、この“バス内部の光景”も都会とまったく同様である。 むしろ、現在に至っては都会の方が弱者顧客により親切かと思う程だ。 と言うのも、終点近い停留所で降り立つ私が(スイカを使えない場に慣れないが故に)現金払いにまごつき時間を消費してしまった事態を快く思わない風の運転手氏だった…。

 さてさて母の住む住居に着いても、時代と共に人の訪問が少なくなっているように感じる…
 ひと昔前ならば「東京から娘さんが帰ってくる!」と周辺住民までが一緒に喜んで下さり、地元で取れた農産物等を持参して都会に暮らす私の姿を一目見ようと母の住まいに訪れて下さったものだ。 私の方もこれが嬉しかったのだが… 
 母が言うには、今となっては時代も変わり周囲の皆さんの世代が移り行ったとのことだ。 それでも周辺住民の方々は普段は高齢者である母の事を気遣って下さっているようだが、娘達が帰省している間はむしろ訪問を自粛するべきと心得て頂いている様子である。


 確かにそうだよなあ。 この情報化社会に於いて、都会も田舎もへったくれもないよなあ…

 と振り返りつつ大都会の我が家の集合住宅に帰宅した私と娘だ。
 そして、昨日 (前回の当エッセイで綴った通り)我が家のお隣さんにほんの少しばかりの郷里の手土産を持参した。
 やはり、お隣高齢ご夫婦よりご丁寧な御礼を頂戴した。
 今後もお隣さんとはうまくやっていけそうな感覚の原左都子である。


 最後にこのエッセイの結論を述べるならば、今の時代においては他人の「人情」に触れるに当たり“田舎”“都会”などとの地域的要因は何ら関係ないという結論が見出せそうだ。
 そうではなく、一人の人間として自分が接する個々の相手と如何なる関係を築きたいのかを自身の内面で熟考した人間関係を築いていく中にこそ、たとえ“一期一会”の関係であろうと心温まる人情に触れることが可能になるのであろうと私は実感する。