(写真は、現在日本国内に於いて好評公開中の映画 「白雪姫と鏡の女王」 にて熱演している白雪姫役の女優 リリー・コリンズ氏。 朝日新聞紙面より転載したものの、いつものごとく折り皺だらけの失礼な画像をお詫び申し上げます。)
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。 この世で一番美しいのは誰??」
と、美しい娘への嫉妬心に翻弄された王妃が鏡に向かって問い続ける 「白雪姫」 なるグリム童話に触れたことがない女性はこの世に存在しない事であろう。
最近映画を観る機会が多い原左都子だが、どうやら我が大学生の娘が映画に目覚めたのか、昨日の休みを有効利用してまたもや映画を観ると言う。
どんな映画? と尋ねたら上記の「白雪姫…」との事で、それに嬉々と便乗していつもの映画館へ向かったといういきさつだ。
新聞報道によると、この「白雪姫と鏡の女王」は上記のごとく日本国内で好評を博しているとの事である。
今回の我がエッセイ表題 「ニッポン女子も自ら闘ってハッピーを勝ち取ろう!」 は、当映画の我が国版新聞宣伝コピー 「ニッポン女子!もっとハッピーになろう!」 より引用させてもらった。
実は私も幼い頃に幾度か読んだ「白雪姫」であるが、今となっては如何なるストーリーだったのかの詳細を忘れ去っている。
意地悪な王妃が白雪姫をその美しさ故に敵対視していたことのみは印象的だが、何故か主人公である白雪姫の存在感がまったく描かれていない物語であると理解していた。
ここで、ウィキペディア情報より グリム童話「白雪姫」物語の概要を説明することにしよう。
白雪姫というとても美しい王女がいた。彼女の継母(グリム童話初版本では実母)である王妃は、自分が世界で一番美しいと信じており、彼女の持つ魔法の鏡もそれに同意したため満足な日々を送っていた。
白雪姫が7歳になったある日、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しい女性は」と訊ねると、白雪姫だという答えが返ってくる。王妃は怒りのあまり猟師に白雪姫を森に連れて行き白雪姫を殺し肝臓をとってくるように命じる。白雪姫を不憫に思った猟師は彼女を殺すことができず森の中に置き去りにし、イノシシの肝臓をかわりに持ち帰る。そして王妃はその肝臓を塩茹にして食べる。
白雪姫は森の中で7人の小人達と出会い暮らすようになる。しかし王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しいのは?」と聞いたため、白雪姫がまだ生きている事が露見。王妃は物売りに化け、小人の留守を狙って腰紐を白雪姫に売り、腰紐を締め上げ息を絶えさせる。帰ってきた7人の小人が腰紐を切って白雪姫を助け出すと、再び魔法の鏡により生きている事が露見する。
そしてまたもや王妃は白雪姫を殺そうと毒リンゴを作り、リンゴ売りに化けて白雪姫に食べさせる。 白雪姫は帰ってきた小人たちに発見されるが、小人たちは白雪姫が倒れた原因が分からず白雪姫は死んだと悲しみに暮れ、白雪姫をガラスの棺に入れる。 そこに王子が通りかかり、白雪姫を一目見るなり死体でもいいからと白雪姫をもらい受ける。 家来に棺を運ばせるが、家来のひとりが木につまずき、棺が揺れた拍子に白雪姫は喉に詰まっていたリンゴのかけらを吐き出し、息を吹き返す。
やっぱりそうだよなあ。
こんな貧弱な物語展開だから原左都子の記憶には「白雪姫」とは美しいだけが取り得の“か弱き”女性でしかなく、義母の“嫉妬劇”イメージのみが脳裏に湧き出るのだろう。
このグリム童話を“打ちのめし”新説「白雪姫」を展開する趣旨の下に、現在上演されている映画版「白雪姫と鏡の女王」は企画されたようだ。
とは言えども、映画版においても何故白雪姫が18歳の年齢に至るまで(ジュリア・ロバーツ演じる)義母王妃の圧力の下、城に“引きこもら”ざるを得なかったのかに関して一観客である私としては大いに理解不能だった。 父から授かった絶対的な法的王位相続権を誇り、生まれ持っての能力をも備えている白雪姫が、何故もっと早期に義母と闘わなかったのかとの疑問符を投げ掛けたい思いだ。
おそらくそれは、西洋女性にとって18歳という年齢が人生の一つの節目であることがキーポイントなのだろうと私は理解した。
映画内で乳母らしき女性召使が白雪姫に伝言するには、「女性18歳とはひとつの区切り年齢です。過去に王様であられたお父上より預かっている短剣を本日姫様に預けます。これを持って姫様も今後の人生を勇敢に生き直しなさい!」
その言葉に遅ればせながら勇気を得た白雪姫が、森に住む盗賊の7人の小人に闘いの心得を鍛錬されつつ力強く産まれ変わるのである。
ところで、今回の映画で白雪姫を演じた女優 リリー・コリンズ氏のお父上は80年代から90年代にかけて数々の大ヒットを記録したイギリスミュージシャン フィル・コリンズ氏であるらしい。 私も遠い昔にフィル・コリンズ氏の音楽に触れた時代が懐かしく蘇る思いだ。
今回「白雪姫…」映画フィナーレの結婚式の場面において、その娘リリー・コリンズ氏が(インド映画か??)と思わんばかりの勢いで結婚式に参列している皆と一緒に陽気に歌って踊る場面が設定されている。
このシーンは音楽好きの私にとっては実にサプライズであった! 「白雪姫」新説解釈映画に於いて、たくましく生まれ変わった王女が今後村民と共に生き抜くに相応しい大迫力のフィナーレだったと、私は拍手を贈りたい。
ニッポン女子の皆さん。
国政の至らなさ故に「毒りんご」を食わされたと思い込み、自分を悲劇の王女に仕立て上げるのはまだまだ時期尚早である。
ここは新説映画の白雪姫のごとく、自分なりの闘い力を発見しつつ皆で幸せになろうじゃないか!!
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。 この世で一番美しいのは誰??」
と、美しい娘への嫉妬心に翻弄された王妃が鏡に向かって問い続ける 「白雪姫」 なるグリム童話に触れたことがない女性はこの世に存在しない事であろう。
最近映画を観る機会が多い原左都子だが、どうやら我が大学生の娘が映画に目覚めたのか、昨日の休みを有効利用してまたもや映画を観ると言う。
どんな映画? と尋ねたら上記の「白雪姫…」との事で、それに嬉々と便乗していつもの映画館へ向かったといういきさつだ。
新聞報道によると、この「白雪姫と鏡の女王」は上記のごとく日本国内で好評を博しているとの事である。
今回の我がエッセイ表題 「ニッポン女子も自ら闘ってハッピーを勝ち取ろう!」 は、当映画の我が国版新聞宣伝コピー 「ニッポン女子!もっとハッピーになろう!」 より引用させてもらった。
実は私も幼い頃に幾度か読んだ「白雪姫」であるが、今となっては如何なるストーリーだったのかの詳細を忘れ去っている。
意地悪な王妃が白雪姫をその美しさ故に敵対視していたことのみは印象的だが、何故か主人公である白雪姫の存在感がまったく描かれていない物語であると理解していた。
ここで、ウィキペディア情報より グリム童話「白雪姫」物語の概要を説明することにしよう。
白雪姫というとても美しい王女がいた。彼女の継母(グリム童話初版本では実母)である王妃は、自分が世界で一番美しいと信じており、彼女の持つ魔法の鏡もそれに同意したため満足な日々を送っていた。
白雪姫が7歳になったある日、王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しい女性は」と訊ねると、白雪姫だという答えが返ってくる。王妃は怒りのあまり猟師に白雪姫を森に連れて行き白雪姫を殺し肝臓をとってくるように命じる。白雪姫を不憫に思った猟師は彼女を殺すことができず森の中に置き去りにし、イノシシの肝臓をかわりに持ち帰る。そして王妃はその肝臓を塩茹にして食べる。
白雪姫は森の中で7人の小人達と出会い暮らすようになる。しかし王妃が魔法の鏡に「世界で一番美しいのは?」と聞いたため、白雪姫がまだ生きている事が露見。王妃は物売りに化け、小人の留守を狙って腰紐を白雪姫に売り、腰紐を締め上げ息を絶えさせる。帰ってきた7人の小人が腰紐を切って白雪姫を助け出すと、再び魔法の鏡により生きている事が露見する。
そしてまたもや王妃は白雪姫を殺そうと毒リンゴを作り、リンゴ売りに化けて白雪姫に食べさせる。 白雪姫は帰ってきた小人たちに発見されるが、小人たちは白雪姫が倒れた原因が分からず白雪姫は死んだと悲しみに暮れ、白雪姫をガラスの棺に入れる。 そこに王子が通りかかり、白雪姫を一目見るなり死体でもいいからと白雪姫をもらい受ける。 家来に棺を運ばせるが、家来のひとりが木につまずき、棺が揺れた拍子に白雪姫は喉に詰まっていたリンゴのかけらを吐き出し、息を吹き返す。
やっぱりそうだよなあ。
こんな貧弱な物語展開だから原左都子の記憶には「白雪姫」とは美しいだけが取り得の“か弱き”女性でしかなく、義母の“嫉妬劇”イメージのみが脳裏に湧き出るのだろう。
このグリム童話を“打ちのめし”新説「白雪姫」を展開する趣旨の下に、現在上演されている映画版「白雪姫と鏡の女王」は企画されたようだ。
とは言えども、映画版においても何故白雪姫が18歳の年齢に至るまで(ジュリア・ロバーツ演じる)義母王妃の圧力の下、城に“引きこもら”ざるを得なかったのかに関して一観客である私としては大いに理解不能だった。 父から授かった絶対的な法的王位相続権を誇り、生まれ持っての能力をも備えている白雪姫が、何故もっと早期に義母と闘わなかったのかとの疑問符を投げ掛けたい思いだ。
おそらくそれは、西洋女性にとって18歳という年齢が人生の一つの節目であることがキーポイントなのだろうと私は理解した。
映画内で乳母らしき女性召使が白雪姫に伝言するには、「女性18歳とはひとつの区切り年齢です。過去に王様であられたお父上より預かっている短剣を本日姫様に預けます。これを持って姫様も今後の人生を勇敢に生き直しなさい!」
その言葉に遅ればせながら勇気を得た白雪姫が、森に住む盗賊の7人の小人に闘いの心得を鍛錬されつつ力強く産まれ変わるのである。
ところで、今回の映画で白雪姫を演じた女優 リリー・コリンズ氏のお父上は80年代から90年代にかけて数々の大ヒットを記録したイギリスミュージシャン フィル・コリンズ氏であるらしい。 私も遠い昔にフィル・コリンズ氏の音楽に触れた時代が懐かしく蘇る思いだ。
今回「白雪姫…」映画フィナーレの結婚式の場面において、その娘リリー・コリンズ氏が(インド映画か??)と思わんばかりの勢いで結婚式に参列している皆と一緒に陽気に歌って踊る場面が設定されている。
このシーンは音楽好きの私にとっては実にサプライズであった! 「白雪姫」新説解釈映画に於いて、たくましく生まれ変わった王女が今後村民と共に生き抜くに相応しい大迫力のフィナーレだったと、私は拍手を贈りたい。
ニッポン女子の皆さん。
国政の至らなさ故に「毒りんご」を食わされたと思い込み、自分を悲劇の王女に仕立て上げるのはまだまだ時期尚早である。
ここは新説映画の白雪姫のごとく、自分なりの闘い力を発見しつつ皆で幸せになろうじゃないか!!