(写真は、現在朝日新聞朝刊にて毎月曜日連載中の 安野百葉子氏作「オチビサン」 9月24日版を転写したもの。 毎度の事ながら原左都子の撮影力の無さにより画像の色彩が悪く、安野氏が新聞紙面上に描く“微妙に美しい色彩”がまるで再現されていないことをお詫び申し上げます。)
私はそもそも漫画には疎い人種だが、朝日新聞で安野氏による「オチビサン」の連載が始まった当初よりこの漫画にだけは惹き付けられているファンであり、毎週欠かさず紙上で拝見している。
「オチビサン」を本エッセイ集で取り上げるのは今回が2度目であるが、実は2年程前にも当該作品をピックアップして勝手な私論を展開させて頂いている。
ここで、 「オチビサンの生き様はデカいぞ!」 と題した上記2009年9月のバックナンバーエッセイを少し振り返る事としよう。
この漫画は芸術的であり、植物図鑑的であり、そして哲学的な風情があると私は捉えている。
漫画「オチビサン」の特徴は、6~10コマ程ある漫画の全体が縦長長方形の一枚の絵のように構成されていることである。(上記写真参照) そして、その「絵」全体像における色彩が毎回何とも美しいのだ。 新聞をトップページから順にめくっていってこのページに入った途端、まずはその美しい色彩の世界に誘(いざな)われる。 ネット上の一説によると、新聞紙の色や風合いを活かすような色使いを作者の安野氏が意識して工夫されているとのことである。
そして、この漫画には四季折々の草花や樹木、そして昆虫など自然の動植物が多く登場する。 その描写が、作者氏自身の個性が活かされている中にあって実に精妙、正確なのである。 これがこの漫画を“植物図鑑的”であると私が捉える所以だ。
さて、この漫画の主人公はその名の通り“オチビサン”なのであるが、この“オチビサン”、人間ではあるようなのだがその正体は不明としか言いようがないところからして、実に不思議な存在だ。 私の感覚では、見た目を優先して「男の子」と捉えるのが一番適切なのか、と思うのではあるが… オチビサンの正体が不明ならば、通常の漫画の主人公にはあり得ないキャラクターの持ち主で、ちょっと偏屈者とも言える。 とにかく我がままで我が身息災で、やんちゃできかん坊なのだ。 そんなオチビサンが自然体で力強く生きる姿が、この漫画で毎週展開されている。
この「オチビサン」物語は現実を超越していてるように見えて、実は今の時代の廃退した現状を的確に把握した“裏心理”の下に、安野氏が物語を展開していると私は考察する。
一見“嫌われキャラ”のように受け取れるオチビサンの自然体の言動や、自然体であるから故に備わっている“生きることに対する力強さ”に私はいつも共感させて頂ける。 そして、そんな自然体の生き様が“オチビサン”の魅力であるからこそ、親友のナゼニやその他少数の登場人物(動物)の仲間が、変わらずオチビサンを支え続けているのであろうと実感できるのだ。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用)
さてさて、それでは冒頭の写真に掲げた9月24日版「オチビサン」のストーリーに話を戻そう。
写真不鮮明のため、ここで今回の主要登場人物である オチビサン と親友 ナゼニ の会話を以下に再現しよう。
ナゼニ オチビサン おはしを持ってどこ行くの?
オチビサン 百足(むかで)を捨てに
ナゼニ うわ!! 大きい こりゃ怖いや
オチビサン 台所でつかまえたの
とっさにおはしでつまんだものの どこに捨てていいかわかんなくて
ナゼニ 川にポイッと投げたらどうだい
オチビサン そしたら百足がおぼれちゃうでしょ!
誰もいなくて百足も幸せなとこを探さなきゃ
ナゼニ 見つかることを祈ってる!
今年の夏は日本全国各地で9月下旬まで猛暑が襲い続けていたと私は理解している。
原左都子の居住地である東京もその例外ではなく、毎年夏に我が家のベランダで発見する虫達が今年は9月下旬まで到来したのだ。
実は、私は物心ついた頃より「虫」を含め“両生類”“爬虫類”等の部類を本能的に拒絶してしまう人種のようだ。 いや、それを見るだけでいい場面に際してはある程度対応可能なのだが、実際に触れねばならないとなると大いなる拒否感が体内から湧き出て悲鳴をあげてしまう性である…
集合住宅上階住まいの我が家ではベランダで“枇杷の木”をはじめとして草花を育成している事によると推測するが、特に夏になると様々な昆虫がベランダに舞い込んでくる。 それら昆虫が自主的に退去してくれる分には大歓迎だが、たまにベランダに居つくことがある…。
これが私にとっては大変な事態である。 その動きが気になってうかうか洗濯物すら干せやしない。
オチビサンのごとくその虫を箸で摑むことすら身震いする私が取る行動とは、(普段はほとんど依存関係にない??)亭主を動員して、「この虫をどこか安全な場所に逃がしてやって!!」と叫ぶ失態以外にない。 (実際の話、我が亭主が日常生活上役に立つのはこの場面だけなのだが…)
そんな私も、自らが理想とする“他者に依存しない人生”を今後老後に向かって全うするためには、ベランダの虫ごときに翻弄されてはいられないことを、今回の「オチビサン」で学習したのだ!
そして私は我が家のベランダに8月末頃から“死体”状態で仰向けになっていた(おそらく「ミンミンゼミ」)の遺体を、決死の覚悟でティッシュで掴み取り、廃棄処分として葬ってやった!
今回のエッセイ表題に掲げた通り、我が日常の思考回路は「オチビサン」とダブる気がする一方で、オチビサンのキャラである“不老長寿のごとくの若さ”を羨ましくも感じる。
その年齢は元より実体不詳のオチビサンではあるが、オチビサンが醸し出す魅力故に周囲に寄り添う仲間達が漫画内に少なからず存在する事実に納得の私だ。
上記写真版にも登場する一番身近な存在であるナゼニなど、その第一人者であろう。
「オチビサン」キャラを自負する私にも一生を通してナゼニのようなパートナーがいたらなあ… とはかない夢を追ったりしつつ、今後も安野百葉子氏による朝日新聞漫画連載が長期に渡り続く事に期待させていただこう。
私はそもそも漫画には疎い人種だが、朝日新聞で安野氏による「オチビサン」の連載が始まった当初よりこの漫画にだけは惹き付けられているファンであり、毎週欠かさず紙上で拝見している。
「オチビサン」を本エッセイ集で取り上げるのは今回が2度目であるが、実は2年程前にも当該作品をピックアップして勝手な私論を展開させて頂いている。
ここで、 「オチビサンの生き様はデカいぞ!」 と題した上記2009年9月のバックナンバーエッセイを少し振り返る事としよう。
この漫画は芸術的であり、植物図鑑的であり、そして哲学的な風情があると私は捉えている。
漫画「オチビサン」の特徴は、6~10コマ程ある漫画の全体が縦長長方形の一枚の絵のように構成されていることである。(上記写真参照) そして、その「絵」全体像における色彩が毎回何とも美しいのだ。 新聞をトップページから順にめくっていってこのページに入った途端、まずはその美しい色彩の世界に誘(いざな)われる。 ネット上の一説によると、新聞紙の色や風合いを活かすような色使いを作者の安野氏が意識して工夫されているとのことである。
そして、この漫画には四季折々の草花や樹木、そして昆虫など自然の動植物が多く登場する。 その描写が、作者氏自身の個性が活かされている中にあって実に精妙、正確なのである。 これがこの漫画を“植物図鑑的”であると私が捉える所以だ。
さて、この漫画の主人公はその名の通り“オチビサン”なのであるが、この“オチビサン”、人間ではあるようなのだがその正体は不明としか言いようがないところからして、実に不思議な存在だ。 私の感覚では、見た目を優先して「男の子」と捉えるのが一番適切なのか、と思うのではあるが… オチビサンの正体が不明ならば、通常の漫画の主人公にはあり得ないキャラクターの持ち主で、ちょっと偏屈者とも言える。 とにかく我がままで我が身息災で、やんちゃできかん坊なのだ。 そんなオチビサンが自然体で力強く生きる姿が、この漫画で毎週展開されている。
この「オチビサン」物語は現実を超越していてるように見えて、実は今の時代の廃退した現状を的確に把握した“裏心理”の下に、安野氏が物語を展開していると私は考察する。
一見“嫌われキャラ”のように受け取れるオチビサンの自然体の言動や、自然体であるから故に備わっている“生きることに対する力強さ”に私はいつも共感させて頂ける。 そして、そんな自然体の生き様が“オチビサン”の魅力であるからこそ、親友のナゼニやその他少数の登場人物(動物)の仲間が、変わらずオチビサンを支え続けているのであろうと実感できるのだ。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用)
さてさて、それでは冒頭の写真に掲げた9月24日版「オチビサン」のストーリーに話を戻そう。
写真不鮮明のため、ここで今回の主要登場人物である オチビサン と親友 ナゼニ の会話を以下に再現しよう。
ナゼニ オチビサン おはしを持ってどこ行くの?
オチビサン 百足(むかで)を捨てに
ナゼニ うわ!! 大きい こりゃ怖いや
オチビサン 台所でつかまえたの
とっさにおはしでつまんだものの どこに捨てていいかわかんなくて
ナゼニ 川にポイッと投げたらどうだい
オチビサン そしたら百足がおぼれちゃうでしょ!
誰もいなくて百足も幸せなとこを探さなきゃ
ナゼニ 見つかることを祈ってる!
今年の夏は日本全国各地で9月下旬まで猛暑が襲い続けていたと私は理解している。
原左都子の居住地である東京もその例外ではなく、毎年夏に我が家のベランダで発見する虫達が今年は9月下旬まで到来したのだ。
実は、私は物心ついた頃より「虫」を含め“両生類”“爬虫類”等の部類を本能的に拒絶してしまう人種のようだ。 いや、それを見るだけでいい場面に際してはある程度対応可能なのだが、実際に触れねばならないとなると大いなる拒否感が体内から湧き出て悲鳴をあげてしまう性である…
集合住宅上階住まいの我が家ではベランダで“枇杷の木”をはじめとして草花を育成している事によると推測するが、特に夏になると様々な昆虫がベランダに舞い込んでくる。 それら昆虫が自主的に退去してくれる分には大歓迎だが、たまにベランダに居つくことがある…。
これが私にとっては大変な事態である。 その動きが気になってうかうか洗濯物すら干せやしない。
オチビサンのごとくその虫を箸で摑むことすら身震いする私が取る行動とは、(普段はほとんど依存関係にない??)亭主を動員して、「この虫をどこか安全な場所に逃がしてやって!!」と叫ぶ失態以外にない。 (実際の話、我が亭主が日常生活上役に立つのはこの場面だけなのだが…)
そんな私も、自らが理想とする“他者に依存しない人生”を今後老後に向かって全うするためには、ベランダの虫ごときに翻弄されてはいられないことを、今回の「オチビサン」で学習したのだ!
そして私は我が家のベランダに8月末頃から“死体”状態で仰向けになっていた(おそらく「ミンミンゼミ」)の遺体を、決死の覚悟でティッシュで掴み取り、廃棄処分として葬ってやった!
今回のエッセイ表題に掲げた通り、我が日常の思考回路は「オチビサン」とダブる気がする一方で、オチビサンのキャラである“不老長寿のごとくの若さ”を羨ましくも感じる。
その年齢は元より実体不詳のオチビサンではあるが、オチビサンが醸し出す魅力故に周囲に寄り添う仲間達が漫画内に少なからず存在する事実に納得の私だ。
上記写真版にも登場する一番身近な存在であるナゼニなど、その第一人者であろう。
「オチビサン」キャラを自負する私にも一生を通してナゼニのようなパートナーがいたらなあ… とはかない夢を追ったりしつつ、今後も安野百葉子氏による朝日新聞漫画連載が長期に渡り続く事に期待させていただこう。