我が子が小学校高学年の頃の話だが、国語の漢字書き取り課題で次のような設問があった。
「父が忘年会の “かんじ” になった」 この“かんじ”に当てはまる漢字を入れなさい。
この設問に対する娘の 珍答 に大爆笑の私だったものだ。
我が娘が解答して曰く、 「父が忘年会の “感じ” になった」
もちろんこの問題の正解は 「父が忘年会の“幹事”になった」 なのであるが、娘の気持ちも大いに分かるのだ。
その頃の身内はまだまだ元気で、毎年12月中旬の今頃の時期と言えば“忘年会のはしご”と相成る。 夜遅くゴキゲン気分で帰宅した身内が、手土産と共にまだまだ幼い娘相手に上機嫌ではしゃいだものだ。
そんな年末の忘年会後の父親の様子が娘の目にはいつもとは一味も二味も違う人格に映り、さぞや印象的な “感じ” であったことだろう。
そもそも小学校高学年程の年齢で「幹事」の意味合いが理解できるのだろうか? との疑問を抱いた私は、“忘年会の幹事”に関して、我が実体験を交えて娘に説明したのである。
この原左都子も独身時代に幾度か忘年会の「幹事」を任されたことがある。
一番新しい記憶として高校教員時代に幹事をしたことが思い出されるのだが、一時前の所属高校の忘年会とは“温泉地1泊宿泊”を毎年恒例行事として大々的に実施されたものだ。
この“宿泊付忘年会”の幹事業務は大変である。
まず温泉地の宿から探さねばならない。 今のようにネットが氾濫している時代においてはネット情報に依存すれば簡単に宿泊先も見つかるであろうが、そうはいかない。 しかも当時下っ端教員の私としては上司のご意見も拝借しつつ、「幹事」である自分の個性も発揮したいというものだ。
結果として探し当てた温泉地の宿泊先が例年より“高額”となってしまった…。 これを一部の職員より責められつつも強引に決行したものだ。
そして忘年会本番において、私は幹事であるにもかかわらず大失策の失態を晒すはめとなる。
いえいえ、この飲兵衛の私とて一次会の会場では“一応”飲み食いを控えて幹事の役割を果すべく努力したのだが、その「幹事業」から解放された2次会以降の記憶がほとんどない始末だ…
次の朝起きた私に、無常にももう一人の幹事男性が問いかけてくる。
「昨夜預けたお金はどうなってる??」
「えっっ? 私、昨夜お金を預かったんですか?????」
「え~~~~~~~。 ○○(私のこと)が僕よりしっかりしていると思ったから預けたのに憶えてないのーー!?!?!」
そうなのだ。 酒に強い私は端から見ると“一見”しっかりしているがごとく映るようだ。 ところが、会合が2次会、3次会と進むとそうはいかないものでもあるよね…。
それでも会場が宿泊地だったからこそ救われた。 お金は私のバッグの中にちゃんと納まっていたことに安堵して、一件落着ということである。 ホッ
それにしても忘年会の幹事とは“酒が入る”故にいくら元々責任感が強いと主張したところで、その責任感の程が一時“ぶっ飛んで”しまうところが難儀なものなのよ~~、とは決して娘に伝えなかった私である。
結論として私のような“深酒タイプ人間”は忘年会を始めとする飲み会の幹事など、絶対に拒否するべきということであろう。
話が変わるが、昨日私は我が家から遠方の某所に忘年会の“前会合”に出かけた。
忘年会自体は遅い時間設定だったため残念ながらそれには出席せずに帰宅したのであるが、行きと帰りに長時間電車に揺られている時間帯の風景が、1990年代頃に比して大きく変容しつつあることを実感させられたのである。
現地は東京都下の郊外に位置するのだが、まず通勤帰宅時間帯の電車内が“ゲロ混み”状態である。 これは皆さん、忘年会になど参加せずにいつも通り帰宅している風景を物語っているものと言えよう。
そして夜9時頃に都心に向けて帰宅しようと電車に乗り込んでも、ただの一人として“酔っ払い”の姿を見かけない。 皆さん、いつも通りに黙々と自分の携帯画面を眺め独りでうつむいている…
そうだよねえ。
世界的規模の大経済難に加えて、我が国には歴史的大震災及びそれに伴う原発事故が勃発したこの1年であった。
そんな厳しい環境の中で、まさか年の瀬に忘年会に参加する気分になどなれないというのがこの国民全般の選択肢なのかもしれない。
忘年会シーズンのこの12月半ばに、そんな市民の苦渋の心の動向を世の片鱗として捉えつつ帰宅を急いだ私である。
今時は冒頭の娘の漢字課題解答のごとく、 「忘年会の“感じ”」 になど誰もなれないものだよね……
「父が忘年会の “かんじ” になった」 この“かんじ”に当てはまる漢字を入れなさい。
この設問に対する娘の 珍答 に大爆笑の私だったものだ。
我が娘が解答して曰く、 「父が忘年会の “感じ” になった」
もちろんこの問題の正解は 「父が忘年会の“幹事”になった」 なのであるが、娘の気持ちも大いに分かるのだ。
その頃の身内はまだまだ元気で、毎年12月中旬の今頃の時期と言えば“忘年会のはしご”と相成る。 夜遅くゴキゲン気分で帰宅した身内が、手土産と共にまだまだ幼い娘相手に上機嫌ではしゃいだものだ。
そんな年末の忘年会後の父親の様子が娘の目にはいつもとは一味も二味も違う人格に映り、さぞや印象的な “感じ” であったことだろう。
そもそも小学校高学年程の年齢で「幹事」の意味合いが理解できるのだろうか? との疑問を抱いた私は、“忘年会の幹事”に関して、我が実体験を交えて娘に説明したのである。
この原左都子も独身時代に幾度か忘年会の「幹事」を任されたことがある。
一番新しい記憶として高校教員時代に幹事をしたことが思い出されるのだが、一時前の所属高校の忘年会とは“温泉地1泊宿泊”を毎年恒例行事として大々的に実施されたものだ。
この“宿泊付忘年会”の幹事業務は大変である。
まず温泉地の宿から探さねばならない。 今のようにネットが氾濫している時代においてはネット情報に依存すれば簡単に宿泊先も見つかるであろうが、そうはいかない。 しかも当時下っ端教員の私としては上司のご意見も拝借しつつ、「幹事」である自分の個性も発揮したいというものだ。
結果として探し当てた温泉地の宿泊先が例年より“高額”となってしまった…。 これを一部の職員より責められつつも強引に決行したものだ。
そして忘年会本番において、私は幹事であるにもかかわらず大失策の失態を晒すはめとなる。
いえいえ、この飲兵衛の私とて一次会の会場では“一応”飲み食いを控えて幹事の役割を果すべく努力したのだが、その「幹事業」から解放された2次会以降の記憶がほとんどない始末だ…
次の朝起きた私に、無常にももう一人の幹事男性が問いかけてくる。
「昨夜預けたお金はどうなってる??」
「えっっ? 私、昨夜お金を預かったんですか?????」
「え~~~~~~~。 ○○(私のこと)が僕よりしっかりしていると思ったから預けたのに憶えてないのーー!?!?!」
そうなのだ。 酒に強い私は端から見ると“一見”しっかりしているがごとく映るようだ。 ところが、会合が2次会、3次会と進むとそうはいかないものでもあるよね…。
それでも会場が宿泊地だったからこそ救われた。 お金は私のバッグの中にちゃんと納まっていたことに安堵して、一件落着ということである。 ホッ
それにしても忘年会の幹事とは“酒が入る”故にいくら元々責任感が強いと主張したところで、その責任感の程が一時“ぶっ飛んで”しまうところが難儀なものなのよ~~、とは決して娘に伝えなかった私である。
結論として私のような“深酒タイプ人間”は忘年会を始めとする飲み会の幹事など、絶対に拒否するべきということであろう。
話が変わるが、昨日私は我が家から遠方の某所に忘年会の“前会合”に出かけた。
忘年会自体は遅い時間設定だったため残念ながらそれには出席せずに帰宅したのであるが、行きと帰りに長時間電車に揺られている時間帯の風景が、1990年代頃に比して大きく変容しつつあることを実感させられたのである。
現地は東京都下の郊外に位置するのだが、まず通勤帰宅時間帯の電車内が“ゲロ混み”状態である。 これは皆さん、忘年会になど参加せずにいつも通り帰宅している風景を物語っているものと言えよう。
そして夜9時頃に都心に向けて帰宅しようと電車に乗り込んでも、ただの一人として“酔っ払い”の姿を見かけない。 皆さん、いつも通りに黙々と自分の携帯画面を眺め独りでうつむいている…
そうだよねえ。
世界的規模の大経済難に加えて、我が国には歴史的大震災及びそれに伴う原発事故が勃発したこの1年であった。
そんな厳しい環境の中で、まさか年の瀬に忘年会に参加する気分になどなれないというのがこの国民全般の選択肢なのかもしれない。
忘年会シーズンのこの12月半ばに、そんな市民の苦渋の心の動向を世の片鱗として捉えつつ帰宅を急いだ私である。
今時は冒頭の娘の漢字課題解答のごとく、 「忘年会の“感じ”」 になど誰もなれないものだよね……