前回の記事内で、原左都子が先週訪れた我が郷里の観光地に於いて出合った中国人観光客グループの全員が スマートフォン を所持し操作していたことに少し触れた。
中国人に限らず、日本国内でも現在スマートフォンの市場が急激に拡大している様子である。
先だっての12月半ば、我が娘が来年4月に入学を予定している大学の「入学準備セミナー」へ早くも親子で出かけるはめとなった。
今時の大学(特に私学?)とは、学生の就職率及び国家試験の合格率等、マスメディアにランキングされ公表される事柄を上位に位置づけるべく躍起になっているようである。 そのためには自ずと学生の“質”を向上させる必要性があり、特に学科試験を経ずして入学して来る推薦合格者の事前教育にこの時期から力を注いでいるのだ。
(大学が子ども本人をビシバシ教育してくれるのは喜ばしい事だが、親までもをこんなに早期から大学に呼び寄せて私と同年代か若い世代と思しき教職員より“親の心得”を垂れられるなど、私個人的には勘弁願いたいものだ…。 原左都子にとっては“釈迦に説法”だよと言いたくもなるよなあ……。)
話が表題からずれたが、今時の大学とは学務をはじめ学生生活、就職指導に至るまで大学と学生とのやり取りに於いて、パソコン、携帯電話を通したネット通信に依存するのが主流であるようだ。
上記の「入学準備セミナー」に於いても、我が娘が入学前フォローアッププログラム(早い話が入学前の学科指導)に従って大学から出された課題を提出する手段はパソコン通信によるらしい。
加えて各種連絡にはメールを使用するため大学にメールアドレスを届け出るよう指示があり、その場で参加生徒皆が携帯電話を鞄から取り出したとのことである。
その場において、我が娘が見たのは“私以外の全員がスマートフォン”との光景だったようだ。
ここで原左都子が今現在認識しているスマートフォンの機能について、ウィキペディアを参照しつつ記述することにしよう。
スマートフォン(英: smartphone)とはインターネットとの親和性が高く、パソコンの機能をベースとして作られた携帯電話である。
通常の携帯電話やPHSでもサポートされる音声通話や電子メールの通信だけでなく、パソコンに近いインターネット接続機能、音楽や動画も携帯電話などより比較的大容量で多様なフォーマットに対応する。アプリと呼ばれる小規模なプログラムも携帯電話などより比較的処理能力に余裕があり、高機能化の余地がある。携帯電話が得意とするスケジュール等の個人情報管理など多種多様な機能を持つ。
(以上、ウィキペディアより引用、要約)
私の認識をはるかに超越するべくもっと多機能なスマートフォンも存在するのかもしれないが、おそらく上記のウィキペディアの記述を流動的に解釈するとしてスマフォの機能はほぼ説明がつくのではなかろうか?
それを前提として、我が娘が置かれている現状を親の立場から考察してみよう。
我が家では数年前から娘には本人専用のパソコンを持たせているのだが、ネット通信を専らパソコンに依存している娘の場合はそれで一応の事が足りるのではあるまいか? 携帯ももちろん娘なりに通話やメールで使用しているようだが、ネットの利用をパソコンに頼っている現状において、携帯のパケットを利用する機会はさほどない様子だ。
以上の現状を分析した上で、今後娘が入学する大学の友人候補者達が“皆持っている”というスマフォが我が娘にとって必需品かどうかを身内と話し合った私である。
(私に言わせると)元々“軟弱思考”の身内から真っ先に出た言葉とは、呆れた事に 「皆が持っているならば、持たせてやらないと娘が仲間はずれになる…」
“そんな軟弱思考だからあんたは鬱病になどなるんだよ!!” と内心大いに怒った私であるが、 娘の母である原左都子としても私なりに娘の体裁のみは整えてやりたいとも思った…。
そして昨日娘を引き連れて、我々一家が利用している携帯電話会社の最寄店舗にスマフォの詳細な話を聞きに訪れたのである。
店員氏の話によれば、スマフォとはパケット定額制を利用してネット通信することを前提として開発された商品であり、スマフォの機種契約を締結すると自動的にパケット契約が付随することが判明した。
我が娘の場合、上記のごとく今現在はネット通信をパソコンで行っているためそれを直ぐにスマフォも含めた携帯電話で行う必要性はない。 それに娘も同意した上で「どうしても携帯電話でネット通信を行う必要性が生じた時に、改めてスマフォ契約をさせていただきます」と告げ店舗を去ったのであるが…
それにしても我が娘と同年代の未成年の子どもを持つ親達は、如何なる思想で子どもにスマフォを持たせているのであろうか?
参考のため、我が娘が入学予定の私立大学に於いては、入学者の1/3の学生が各種奨学金に頼って学生生活を送っているという話を、上記の「入学準備セミナー」“親の会バージョン”で見聞した。
今時はそうでもしないと子どもの将来の自立が叶わないのかもしれない… 我が子に“出世払い”で将来学費を奨学金の返済という形で自己負担させてでも、大学に入学させて立派に独り立ちさせてやりたい親の思いも分からなくもない。
ただ、親としてまず保証してやる事とは子どもの学費なのではあるまいか?
子どもの学費を奨学金に頼ってでも、子どもにスマフォを持たせる事を優先する親の思想とは一体如何なるものなのだろう??
(バックナンバーでも綴ったが、義務教育の給食費すら払えないのにその子どもに携帯を持たせる親が多い現状とも見聞するが…)
これは到底、原左都子には理解できない世界である。
身内が3ヵ月後に定年退職を控えている年老いた親達である我が家においては、当然ながらあらかじめ我が子の大学費用を計画的に蓄積した上で大学受験を志させている。
もしも娘がスマフォが必需品であると訴えた暁にも、その程度の月々の費用発生も予算内ではある。
それでも子どもを一人前に育てることとは、たかがスマフォごときで友達に迎合させる事では決してないはずだ。
安易にその種の行動を取る親の根本思想とは、もしかしたら親自身のコンプレックス感情に基づいていると考察できるのかもしれない…
ところでスマートフォンの smart は 「賢い」「利口な」「気の利いた」等と翻訳できる反面、 「痛みを与える」「感情を害する」等の意味合いもあるのをご存知だろうか??
中国人に限らず、日本国内でも現在スマートフォンの市場が急激に拡大している様子である。
先だっての12月半ば、我が娘が来年4月に入学を予定している大学の「入学準備セミナー」へ早くも親子で出かけるはめとなった。
今時の大学(特に私学?)とは、学生の就職率及び国家試験の合格率等、マスメディアにランキングされ公表される事柄を上位に位置づけるべく躍起になっているようである。 そのためには自ずと学生の“質”を向上させる必要性があり、特に学科試験を経ずして入学して来る推薦合格者の事前教育にこの時期から力を注いでいるのだ。
(大学が子ども本人をビシバシ教育してくれるのは喜ばしい事だが、親までもをこんなに早期から大学に呼び寄せて私と同年代か若い世代と思しき教職員より“親の心得”を垂れられるなど、私個人的には勘弁願いたいものだ…。 原左都子にとっては“釈迦に説法”だよと言いたくもなるよなあ……。)
話が表題からずれたが、今時の大学とは学務をはじめ学生生活、就職指導に至るまで大学と学生とのやり取りに於いて、パソコン、携帯電話を通したネット通信に依存するのが主流であるようだ。
上記の「入学準備セミナー」に於いても、我が娘が入学前フォローアッププログラム(早い話が入学前の学科指導)に従って大学から出された課題を提出する手段はパソコン通信によるらしい。
加えて各種連絡にはメールを使用するため大学にメールアドレスを届け出るよう指示があり、その場で参加生徒皆が携帯電話を鞄から取り出したとのことである。
その場において、我が娘が見たのは“私以外の全員がスマートフォン”との光景だったようだ。
ここで原左都子が今現在認識しているスマートフォンの機能について、ウィキペディアを参照しつつ記述することにしよう。
スマートフォン(英: smartphone)とはインターネットとの親和性が高く、パソコンの機能をベースとして作られた携帯電話である。
通常の携帯電話やPHSでもサポートされる音声通話や電子メールの通信だけでなく、パソコンに近いインターネット接続機能、音楽や動画も携帯電話などより比較的大容量で多様なフォーマットに対応する。アプリと呼ばれる小規模なプログラムも携帯電話などより比較的処理能力に余裕があり、高機能化の余地がある。携帯電話が得意とするスケジュール等の個人情報管理など多種多様な機能を持つ。
(以上、ウィキペディアより引用、要約)
私の認識をはるかに超越するべくもっと多機能なスマートフォンも存在するのかもしれないが、おそらく上記のウィキペディアの記述を流動的に解釈するとしてスマフォの機能はほぼ説明がつくのではなかろうか?
それを前提として、我が娘が置かれている現状を親の立場から考察してみよう。
我が家では数年前から娘には本人専用のパソコンを持たせているのだが、ネット通信を専らパソコンに依存している娘の場合はそれで一応の事が足りるのではあるまいか? 携帯ももちろん娘なりに通話やメールで使用しているようだが、ネットの利用をパソコンに頼っている現状において、携帯のパケットを利用する機会はさほどない様子だ。
以上の現状を分析した上で、今後娘が入学する大学の友人候補者達が“皆持っている”というスマフォが我が娘にとって必需品かどうかを身内と話し合った私である。
(私に言わせると)元々“軟弱思考”の身内から真っ先に出た言葉とは、呆れた事に 「皆が持っているならば、持たせてやらないと娘が仲間はずれになる…」
“そんな軟弱思考だからあんたは鬱病になどなるんだよ!!” と内心大いに怒った私であるが、 娘の母である原左都子としても私なりに娘の体裁のみは整えてやりたいとも思った…。
そして昨日娘を引き連れて、我々一家が利用している携帯電話会社の最寄店舗にスマフォの詳細な話を聞きに訪れたのである。
店員氏の話によれば、スマフォとはパケット定額制を利用してネット通信することを前提として開発された商品であり、スマフォの機種契約を締結すると自動的にパケット契約が付随することが判明した。
我が娘の場合、上記のごとく今現在はネット通信をパソコンで行っているためそれを直ぐにスマフォも含めた携帯電話で行う必要性はない。 それに娘も同意した上で「どうしても携帯電話でネット通信を行う必要性が生じた時に、改めてスマフォ契約をさせていただきます」と告げ店舗を去ったのであるが…
それにしても我が娘と同年代の未成年の子どもを持つ親達は、如何なる思想で子どもにスマフォを持たせているのであろうか?
参考のため、我が娘が入学予定の私立大学に於いては、入学者の1/3の学生が各種奨学金に頼って学生生活を送っているという話を、上記の「入学準備セミナー」“親の会バージョン”で見聞した。
今時はそうでもしないと子どもの将来の自立が叶わないのかもしれない… 我が子に“出世払い”で将来学費を奨学金の返済という形で自己負担させてでも、大学に入学させて立派に独り立ちさせてやりたい親の思いも分からなくもない。
ただ、親としてまず保証してやる事とは子どもの学費なのではあるまいか?
子どもの学費を奨学金に頼ってでも、子どもにスマフォを持たせる事を優先する親の思想とは一体如何なるものなのだろう??
(バックナンバーでも綴ったが、義務教育の給食費すら払えないのにその子どもに携帯を持たせる親が多い現状とも見聞するが…)
これは到底、原左都子には理解できない世界である。
身内が3ヵ月後に定年退職を控えている年老いた親達である我が家においては、当然ながらあらかじめ我が子の大学費用を計画的に蓄積した上で大学受験を志させている。
もしも娘がスマフォが必需品であると訴えた暁にも、その程度の月々の費用発生も予算内ではある。
それでも子どもを一人前に育てることとは、たかがスマフォごときで友達に迎合させる事では決してないはずだ。
安易にその種の行動を取る親の根本思想とは、もしかしたら親自身のコンプレックス感情に基づいていると考察できるのかもしれない…
ところでスマートフォンの smart は 「賢い」「利口な」「気の利いた」等と翻訳できる反面、 「痛みを与える」「感情を害する」等の意味合いもあるのをご存知だろうか??