原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

生命体が共存する風景 -そして50匹-

2011年12月28日 | 雑記
 (写真は我が家で飼育しているメダカたちの現在の様子。 逆光及び写真不鮮明のため個々のメダカが見づらい点をお詫びします。)
 

 「原左都子エッセイ集」のバックナンバーにおいて、再三我が家で飼育しているメダカの成長の様子を公開してきている。
 2009年9月の「生命体が共存する風景」を事のはじめとして、その後2009年10月、2010年7月以降の「生命体の継承と繁栄」シリーズ、そして東日本大震災後には「放射能の影響か? 我が家のメダカに異変!?」と題する深刻な記事も綴った。

 余談となるが、上記「放射能の影響か?……」に於いて紹介した突如として目が腫れ上がり直後に死に至ったメダカに関しては、その後、病因及び死因が福島第一原発事故の炉心メルトダウン水素爆発に伴う大量の放射能漏れの影響を受けたことが証明されたとも言える。
 今頃になってやっと政府は大いに遅ればせながら、東日本各地のセシウム汚染値を測定しメディアを通して発表しているようだ。 私が住む東京でも小学校の校庭等々において高濃度汚染地が存在する事実が報告されている。 3月下旬頃に水道水の放射能汚染が発表され乳幼児や子どもは飲まないよう等の指示は一応あったものの、今推測するにその汚染のレベルとはあのような軟弱な指導で済ませられてよかったものか?と末恐ろしく考察するしかない。(ペットボトル水の買い置きが一本もなかった我が家など、大量の水道水を飲んでいるしね…

 不幸中の幸いとして、目が腫れ上がる症状が出た我が家のメダカ数匹のうち直後に死に至ったのは上記の1匹のみで、その他のメダカはその後もしばらく生き延びてくれた。 夏頃に3匹の成魚が命を終焉させたが、これに関しては放射能の影響なのか、猛暑のせいか、あるいは天寿をまっとうした結果なのかは不明である。


 2010年7月には、我が家の“メダカファミリー”が一応の繁栄を遂げて子孫を増やしていることに関して公開した。
 ところがその後、雌メダカが産卵は続けているもののどういう訳か稚魚が一匹も孵化しないことに心を痛めた私は、産卵が孵化に結びつかない原因を我が過去の医学的経験にも頼りあれこれ探ってみた。
 その結果、“近親相姦”が最大の原因ではないかとの結論に達し、新たにDNAが異なるであろうメダカ3匹を仕入れてきて同居させたのである。
 (この記事に関しては読者の皆様より、“近親相姦”同趣旨の複数のアドバイスをいただいたものである。

 皆様のアドバイスにも勇気付けられた私は、今度こそは孵化するに間違いない!と信じつつメダカの飼育を続けていた。
 そうしたところ、半年前頃の「生命体の継承と繁栄 -ベビーラッシュ編-」に於いても公開した通り、今年の初夏から10月末頃までにかけて雌メダカが産んだ卵から次から次へと稚魚が孵化し続けたのである!

 こうなると育て親の私の責務とは、せっかくこの世に生まれ出たこの“いとも小さき生命体”を如何に生かし続けてやるか、が一番の命題となろう。
 バックナンバーでも紹介しているが、動物がこの世に生き延びていく最低限の生命線である空気、水、光、栄養をまず適度に賄ってやるのはもちろんのことである。 これに関しては生命力の強いメダカの場合、さほどの費用も発生せずに済む。
 それよりも人工の狭い水槽の中で飼われているメダカとは、これぞ“弱肉強食”の世界であると私は実感している。 小さきメダカを大きく成長した個体から如何に守ってやるかが、稚魚を長生きさせる第一の課題と私は判断するのである。  その結果が、原左都子が編み出した上記のごとくの“成長度合いに伴ったクラス分け”(この作業が結構大変なのよ~)であるが、これが功を奏したのか卵から稚魚に孵ったメダカたちのほとんどが成長を遂げてくれているのだ! 

 今年も年末にさしかかった今現在も、上記のごとく我が家のメダカの水槽では50匹近いメダカが私の判断と意図で“クラス分け”された水槽の中で元気に泳いでくれている。

 我が家に「生命体が共存する風景」が実に素晴らしいことをメダカで実感させてもらいつつ、私は日々を送っている。
 それにしても、上記写真のごとく50匹近い数のメダカを5本の水槽に“クラス分け”して飼育しているのは我が家だけなのであろうか? 大き目の水槽に全世代の“メダカファミリー”をまとめて飼われているご家庭もある事だろうなあ…。



  - P.S. -

 「原左都子エッセイ集」12月18日のバックナンバー 「名も知らぬ鳥たちの群集が羽ばたく奇跡」 宛に、留守中にメッセージを頂戴した。

 私が日々上空にみる鳥の群集は 「椋鳥」 とのご指摘だ。

 帰京後、その「椋鳥」とのご見解に関して私なりにネット検索して確認してみたのだが、あの鳥たちはまさに 「椋鳥」 であると私も認識させていただいている。

 椋鳥たちのその後の成長の程が素晴らしい!!
 毎日16時過ぎに我が家のベランダから上空を眺めては、飛行範囲が広大になると共に航空ショーを繰り広げる時間が長くなることに感激しつつ、その成長を見守っている私である。
 それにしても椋鳥とは人を警戒しないのだろうか?  私が寒空の下でベランダから手を振って応援する姿を認識しているのかいないのかは心得ないが、むしろ椋鳥たちが私の手が届きそうなすぐそこまで近づいて来てくれ、“航空ショーを見て!” と訴えているような一体感すらあるのだ…

 メッセージをお寄せいただいた方のご見解によると、椋鳥は成長した暁に春には東北等の寒い地方へ旅立つとのことのようだ。
 それまで私は、この大都会のど真ん中の竹薮に造巣した椋鳥の夕方の飛行を楽しみたいものである。

 
 我が家の水槽内で50匹にまで子孫を増やした人工飼育のメダカたちと、外の寒空を舞う椋鳥の群集が健気に生を営む姿がダブる思いだ…