原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

挨拶くらいしても損はないと思うが…

2011年12月14日 | 人間関係
(写真は昨日撮影した我が家の近くの公園の銀杏並木。 もうほとんど葉を落とした樹々の中で少数残っている木の葉が夕日を浴びて黄金色に輝く光景が実に美しく、思わずその影像を携帯写真に映したものである。   本日のエッセイ内容とはまったく無関係です。)


 今回の記事は、早い話が我が住まいである集合住宅の隣家の日頃の行動に対する苦情をこんな場でこっそり愚痴ろうとの“せせこましい”意図であることを、あらかじめお断りしておく。 
 そのため身勝手ながら隣家の人達が「原左都子エッセイ集」の読者でないこと、及び隣に住む私が「原左都子」であるとは露知らない事を希望したいものだ。

 2011年10月の本エッセイ集バックナンバー 「野田政権は挨拶だけして事は済まないぞ」 に於いて、野田氏が総理に就任した直後に、やたら政権幹部の“挨拶パフォーマンス”がメディア上で目立つ事をバッシングした私である。
 例えば野田氏は就任後早速に米国オバマ大統領との会見のため外遊したり、韓国のイ・ミョンバク大統領との会合のため、日本に保存されていた(おそらく懇親の官僚が用意したと思われる)韓国の古書を手土産に訪れた。 いずれも差し迫った外交事案の解決のため自らの力量を発揮せんとの外遊ではなく、単に野田氏が日本の首相に就任した“お披露目挨拶”が目的であったようだ。
 一国の総理が就任直後にやるべき任務とは、国民に対して自らの政策を明言する事であり、そして大震災復興との重圧課題を抱えた内閣の長としては“挨拶外遊”よりも何よりもその実行力をもって自らのポリシーを示すべきであったはずだ、と叩いたのがこのバックナンバーの趣旨であった。


 片や一般市民の世界に話を戻すと、特に都会においては“地域コミュニティ”など名ばかりの形骸化した存在と化し、人々はプライバシーや個人情報の保護観点からも“ご近所”とは距離を置いてスマートにお付き合いするのが今や常識と相成っている。

 ここで我が家の“お隣さん”に話を移すが、3年程前の秋頃先住者の物件転売により入居家族が入れ替わった。 
 入居前に室内を大規模リフォームした模様で、これに関しては管理組合を通してリフォーム工事の作業工程と近隣に迷惑をかける旨の文書が投函された。 それにしても相当大規模のリフォームだった様子で、1~2ヶ月に及んで隣の我が家には日々大音量のリフォーム音が鳴り響いてきた。 
 さて、そのリフォームも完了し、いよいよ次なる“お隣さん”が引っ越してきた。
 入居後間もなく転居挨拶のために我が家を訪れた“お隣さん”ご夫婦曰く、「長期に渡るリフォームでご迷惑をお掛けして申し訳ありません。 今後共よろしくお願い致します。」
 (そうか、そうか、若いご夫婦の割にはよく出来た挨拶だなあ)と内心関心しつつ、「こちらこそよろしくお願いします」と応じた私である。

 ところがどうしたことか?? 
 (この辺の若き世代の考え方や言動の思考背景がよく理解できない原左都子なのだが)、その後例えば集合住宅内で“お隣さん”一家に偶然出会っても挨拶の一つもないのだ。
 大人のご夫婦に関してはこちらから挨拶をすると何とか(あくまでも“何とか無理やり挨拶を返させているような”感覚の範囲で)一応反応があるものの、現在小学1年生になっている長女にエレベーター内で出会って「こんにちは」と声を掛けても、疑り深そうな視線をちらりと投げかけてくるのみである。 これに関しては私も推測可能だが、今時多発している子供を巡る事件事故から身を守るため“大人から優しく声掛けされても応じるな!”との学校や親からの指導に子供が素直に従っている公算が大きいのではあるまいか。

 “お隣さん”が引っ越してきた直後に次なる男の子が生まれ、そしてつい最近、3人目!の子供を出産した隣家のご夫婦である。
 今の時代に3人もの子供を産む勇気と元気と心意気があるならば、親としては産んだ子供たちが周囲から被害を受ける事態にバリアーを張り巡らす事に先駆けて、自ら一家が周囲に迷惑を及ぼす事態こそをそろそろ考慮し始めてよいのではなかろうかと感じる私は、単に “嫌われ左都子” なのだろうか???

 この期に及んでやはり一切の挨拶もないのに加えて、私が一番困惑しているのは隣家からの日常的な“大騒ぎの音声”と、住居前に散らかされている置物の数々に関してである。 
 早い話が「長屋」の延長でしかない集合住宅に於いては、いくら建造物が技術革新したとはいえ隣家や上階からの騒音被害は日々避けられない事態だ。
 そして通路の置物に関しては集合住宅に暮らした経験のない方々は理解しにくい事を鑑みて、少し補足説明をしよう。  集合住宅における「通路」とは法的には住民皆の“共有財産”の位置付けであり、消防法等に基づいて本来その場には私物を設置してはならない場所と規定されている。 ところが恐らくそんな法的事情を一切わきまえない隣家は、子供のベビーカーや自転車や三輪車、一輪車、それに不要な粗大ゴミ等々を通路に置き放題なのである。
 隣家に限らず「通路」を“物置き場”とする住居は他にも数多く存在するため、管理組合を通じてそれを撤去するべく指導を繰り返しているにもかかわらず、どうしてもそれが理解できないのか、通路に私物を置き放題の住居が後を絶たない現状だ。


 今の時代背景として、もしかしたら民主党政権から“子ども手当て”をもらえると吹聴されそれを期待している若き夫婦が世には多いのだろうか??  子供を3人設けたことを誇りに思いそれに“優越感”を感じて有頂天になっている隣家の様子が日々伝わるような思いもしないではない。 (ただし、民主党政権の“子ども手当て”の行く先にも大いなる限界があるのを隣家が認識しているのであろうか否かは不明である。)
 それにしても“子供手当て”の現行支給額が月々13000円/人とのことは、3人産めば39000円、年間にすると468000円!!  小中校義務教育と高校を公立でやり過ごす気でいるのならば、これは確かに美味しい話なのかもしれないね!? 


 いや別に、お隣さんが子どもを3人生んだことを責めている訳では決してないよ。
 どうぞ、いい子に育てて下さいますように。 そしてその子ども達が将来幸せになって、この混乱した国を立ち直らせるべく力をつけることを私も祈っているよ。

 そのためには、親は何をするべきなのだろう?
 もちろん、率先して我が子の命を守るべきだよね。

 あなた達若い親世代にとってのその手段とは、近隣住民を“徹底的に排除”することなのだろうか??  それであなた達は本当に心が満ち足りるのだろうか?
 それがよく分からない原左都子であるが、一言言えるのは今の古い世代とて自らのプライバシーは守りたいし、嫌な奴となど一切付き合いたくもないんだよ。

 それでも、長年付き合っていかねばならない近隣の人達とは“表向き”だけでもいい関係を続けていった方がお互いに得策でしょ?
 そうした場合、集合住宅内で住民に偶然出会った時に“挨拶”くらいは交わした方がいいんじゃないのかな? 
 たとえ日々隣から騒音が聞こえてこようが、通路に私物を散乱させようが、あなた達の“挨拶”さえ聞く事が出来たならば、私に限らずおそらく旧世代の住民は皆、法的措置などぶっ飛んでそれを許容できると思うよ。