
(写真は、U.C.バークレー西門から入って比較的直ぐの場所にあるライフサイエンス棟・Biochemistry部門。)
何度も繰り返すが、今回の我が米国西海岸旅行に於ける主たる目的は、19歳時に短期留学したU.C.バークレーを三度(みたび)訪れることにあった。(参考だが二度目は30代後半独身最終期に訪れている。)
旅程最終日はこのU.C.バークレー訪問のために丸々1日を確保してあったのだが…
旅にはトラブルが付きものだ。
まず、U.C.バークレー訪問のためのバート乗車から話を進めよう。
バートシビックセンター駅に於いて切符自動券売機の扱い方に難儀した話題は、既にバックナンバーにて公開済みだが。
やっとこさ往復切符をゲット出来て乗車が叶ったのだが。 その後、更なるトラブルに巻き込まれる。
そもそも、我が19歳留学時にはバートは未だ開通して間もない(?)時期だったのだろう。 バート構内が美しければ、車両も新しかった記憶がある。
しかもバート路線が少なく、バークレーからサンフランシスコまで乗換え無しで直行で行けたのだが。
現在のバートは5路線に複線化している。 故に自ずとターミナル駅にての乗換えが発生する。
まあこれに関しては、東京メトロ沿線に住む私は日頃から網の目のようなメトロネットワークに慣れ切っているため、“お茶の子さいさい”だ。
ただ日本の鉄道網と比較して、米国交通機関はかなり案内サービスシステムが不行き届きのようだ。
車内アナウンスも案内板も“英語のみ”。 しかも車両の前部に「行先」が掲示されていないし、車内にも何らの案内板が無い。 要するに英語のアナウンスのみに頼って目的地を目指すことを強いられる。
日本からバート路線図を持参していたため、West Oaklland駅で乗換だろうと予想していた。
ところが当日何らかのアクシデントにより、バート路線運行が大幅にイレギュラーだったのだ。 これには参った。
英語のアナウンスのみに頼っている我々は、West Oaklland駅にて散々な目に遭った。 いや、各所で駅員を捕まえて確認作業をするのだが、駅員達も当日のアクシデントに右往左往していたようで親切な対応が望めない状況だ。
そんな中、中国系の女性案内係氏に救われた。(この話題も既に公開済みだが。) この方、他の誰よりも我々に好意的、かつ中国なまりの英語が我々には実に聞き取り易かったのだ!
結局、West Oaklland駅から19th St.Oaklandまで一旦バスに乗り換えねばならない、との“超難度イレギュラー”を実行せねばならず、その後再びバート乗車で目的地のDowntown Berkley駅へ向かった。 (参考だが、その間のバス代はもちろん無料。 そして、再度のバート乗車時にも切符を改札機に入れなくてよかったのだが、訳が分からない我々が切符を改札機に入れようとすると、大勢の米国バート乗客が「入れなくていいよ! そのまま進んでOK!」等々遠くから叫んでフォローして下さったのにも感激した。

予想だにしなかったバート道中の多難な道程を乗り越えて、我々はやっとこさU.C.バークレー西門に到着だ。
西門周辺はバークレー市街中心部より多少離れているため、凄まじい喧騒が無かった事が功を奏した。
(これもバックナンバーで公開済みだが)この西門は我が記憶には無いのだが、それにしても一歩U.C.バークレー構内へ足を踏み入れると、19歳時に訪れた時の“あのU.C.バークレー”が脳裏をかすめる。
あーー。 またここに辿り着けた。 との思いで我が胸が騒ぎ始める。
西門に比較的近い場所に、ライフサイエンス棟が厳かに堂々とそびえていた。
(何度も繰り返しで恐縮だが)、残念ながら、この棟へも19歳時に訪れた記憶が無いのだ……
特に冒頭写真のライフサイエンス棟内 BIOCHEMISTRY の烙印を見た時には、当時まさにその分野で我が国での学業に励みつつあった事実を懐古した私は、自己嫌悪に陥る感覚すらあった。
19歳時にこの大学に1ヶ月も滞在して、この大学で何をして来たんだと!
これも既に記載済みだが、“若気の至り”とはそういうものだろう。
それも認めた上で、今回の束の間のU.C.バークレー訪問を娘と共に楽しもうと気持ちを切り替えた。
何度も繰り返すが、今回の我が米国西海岸旅行に於ける主たる目的は、19歳時に短期留学したU.C.バークレーを三度(みたび)訪れることにあった。(参考だが二度目は30代後半独身最終期に訪れている。)
旅程最終日はこのU.C.バークレー訪問のために丸々1日を確保してあったのだが…
旅にはトラブルが付きものだ。

まず、U.C.バークレー訪問のためのバート乗車から話を進めよう。
バートシビックセンター駅に於いて切符自動券売機の扱い方に難儀した話題は、既にバックナンバーにて公開済みだが。
やっとこさ往復切符をゲット出来て乗車が叶ったのだが。 その後、更なるトラブルに巻き込まれる。
そもそも、我が19歳留学時にはバートは未だ開通して間もない(?)時期だったのだろう。 バート構内が美しければ、車両も新しかった記憶がある。
しかもバート路線が少なく、バークレーからサンフランシスコまで乗換え無しで直行で行けたのだが。
現在のバートは5路線に複線化している。 故に自ずとターミナル駅にての乗換えが発生する。
まあこれに関しては、東京メトロ沿線に住む私は日頃から網の目のようなメトロネットワークに慣れ切っているため、“お茶の子さいさい”だ。
ただ日本の鉄道網と比較して、米国交通機関はかなり案内サービスシステムが不行き届きのようだ。
車内アナウンスも案内板も“英語のみ”。 しかも車両の前部に「行先」が掲示されていないし、車内にも何らの案内板が無い。 要するに英語のアナウンスのみに頼って目的地を目指すことを強いられる。
日本からバート路線図を持参していたため、West Oaklland駅で乗換だろうと予想していた。
ところが当日何らかのアクシデントにより、バート路線運行が大幅にイレギュラーだったのだ。 これには参った。

英語のアナウンスのみに頼っている我々は、West Oaklland駅にて散々な目に遭った。 いや、各所で駅員を捕まえて確認作業をするのだが、駅員達も当日のアクシデントに右往左往していたようで親切な対応が望めない状況だ。
そんな中、中国系の女性案内係氏に救われた。(この話題も既に公開済みだが。) この方、他の誰よりも我々に好意的、かつ中国なまりの英語が我々には実に聞き取り易かったのだ!
結局、West Oaklland駅から19th St.Oaklandまで一旦バスに乗り換えねばならない、との“超難度イレギュラー”を実行せねばならず、その後再びバート乗車で目的地のDowntown Berkley駅へ向かった。 (参考だが、その間のバス代はもちろん無料。 そして、再度のバート乗車時にも切符を改札機に入れなくてよかったのだが、訳が分からない我々が切符を改札機に入れようとすると、大勢の米国バート乗客が「入れなくていいよ! そのまま進んでOK!」等々遠くから叫んでフォローして下さったのにも感激した。


予想だにしなかったバート道中の多難な道程を乗り越えて、我々はやっとこさU.C.バークレー西門に到着だ。
西門周辺はバークレー市街中心部より多少離れているため、凄まじい喧騒が無かった事が功を奏した。
(これもバックナンバーで公開済みだが)この西門は我が記憶には無いのだが、それにしても一歩U.C.バークレー構内へ足を踏み入れると、19歳時に訪れた時の“あのU.C.バークレー”が脳裏をかすめる。
あーー。 またここに辿り着けた。 との思いで我が胸が騒ぎ始める。
西門に比較的近い場所に、ライフサイエンス棟が厳かに堂々とそびえていた。
(何度も繰り返しで恐縮だが)、残念ながら、この棟へも19歳時に訪れた記憶が無いのだ……
特に冒頭写真のライフサイエンス棟内 BIOCHEMISTRY の烙印を見た時には、当時まさにその分野で我が国での学業に励みつつあった事実を懐古した私は、自己嫌悪に陥る感覚すらあった。
19歳時にこの大学に1ヶ月も滞在して、この大学で何をして来たんだと!
これも既に記載済みだが、“若気の至り”とはそういうものだろう。
それも認めた上で、今回の束の間のU.C.バークレー訪問を娘と共に楽しもうと気持ちを切り替えた。