原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

左都子コレクション -大学(大学院)の講義ノート編-

2017年05月17日 | 学問・研究
 (写真は、我が2度目の大学及び大学院の講義ノートを撮影したもの。)


 上記講義ノートは、私が30代に通った大学及び大学院にて授業中に講義内容を聞き取り筆記したり、あるいは定期試験対策のため自分で試験問題を想定して模範解答を作成したもの等々である。

 一冊のページ数が約600頁。 単純計算すると、私が6年間で筆記したノート頁総数は約5000ページとなる。 

 右下が大学院時代2年間の講義ノート。
 大学院に於いては修士論文作成が主軸となるため、授業講義ノートは自ずと少ない。

 その他7冊は大学4年間に筆記した講義ノートを、卒業後学問分野毎に整理し直したもの。
 大学卒業後高校教員をしていた頃は、これらの講義ノートを紐解き自分の授業によく参照したものだ。
 ずっと時が流れて10年前に当「原左都子エッセイ集」を開設した頃にも、この講義ノートを書棚から引っ張り出しては、エッセイ執筆の参照素材としていた。 
 「左都子の市民講座」カテゴリー記事など、ほぼすべてこの講義ノートより引用・記述したものである。


 たまたま上記写真に撮影したページから、以下に少しその内容を紹介してみよう。

 上段左は、語学(英語・独語)、保健体育理論、情報処理論論等を束ねた冊子。
 写真のページは、独語授業の課題として小冊子1冊を和訳した中の1ページだ。 参考だが、一度目の大学医学部で既に独語を履修済みだったため、30歳過ぎてからの独語の授業は比較的取っつき易かった思い出がある。 

 上段中央は、一般教養科目や法学の一部を束ねた冊子。
 写真のページは「国際法」の講義から、今現在タイムリーな話題と意識して「集団的自衛権」の箇所を撮影したもの。

 上段右は、教職必修科目と特に社会科教職必修科目を束ねた冊子。 (参考のため、私は高校中学「商業」「社会」2科目の教職免許を取得している。)
 写真のページは、「教育原論」より「義務教育制度」「日本の教科書行政」等々に関して、定期試験対策のため私が出題を想定して模範解答を作成したもの。 我が記憶によれば、当時の「教育原論」担当講師氏が若くて、教育行政に関し我が思想と一致していた思い出がある。

 中段左は、「経営学」関連分野を束ねた冊子。
 私が大学院を修了して取得したのが「経営法学修士」だ。 そのため大学時代より当然ながら「経営学」もみっちりと学んだ。
 写真のページは、その中の「経営組織論」から「コンティンジェンシー理論」の部分を撮影したもの。 今となっては懐かしいなあ。

 中段中央は、これぞ我がバリバリ専門分野であり在学中に一番没頭した法学分野である 「法学概論」「憲法」「民法」「商法」関連を束ねた冊子だ。
 写真のページは、「商法総則」より定期試験対策として私がまとめた「普通取引約款」のページを撮影したもの。

 中段右は、「経済学」「金融論」「保険論」「会計学」「簿記論」等を束ねた冊子。
 参考だが、学問と言うよりも実践中心の「簿記論」が大学の授業としてはつまらなく毛嫌いしていた私だが、それでも学年最高の100点満点を取ったぞ!
 写真のページは、「経済史」より「米国の独占形成」及び「第一次大戦前の英・独の資本輸出」に関して、定期試験対策で模範解答を私が作成したもの。

 下段左は、大学在学中に卒業必須単位とは関係無く私が“趣味”で受けた(隠れ受講した??)講義を束ねた冊子。 その科目を記すならば「科学哲学」「生命科学概論」「生命倫理学」等々。(医学部併設大学だった故に、この種の講義が実に充実していた。)
 写真のページは、「科学哲学」より「量子力学的実在論」の講義内容の一部を撮影した。
 もしも私が2度目の大学にてこの「科学哲学」を受講しなかったならば、その後の我が人生観が大幅に異なり、つまらない人生を送ったかもしれないと思う程に思い入れがある。(渡辺先生、ありがとうございました。)
 
 下段右は、大学院時代の講義ノートのすべて。
 今回撮影したのは、「公企業論研究」の講義内容だ。 
 何故このページを撮影したかと言えば、それはそれは頑張り屋のこの私にしてとてつもなく厳しい授業だったからだ。
 そもそも経営法学専攻の私にとって「公企業論」はさほどメインではない。 にも関わらず、当該授業の厳しさと言えば、分厚い(200頁程)英文専門書一冊を和訳する課題が課せられたのだ。 しかも受講者は私一人!  意外と英語の読み書き力はあるぞ、と自負していた私ですら、くじけそうな時もあった。
 ただ、私はそれをやり遂げた!  授業の最終日に「よく頑張ったね」と慰労してくれた教官だったものの、返された評価は「優」ではなく「良」。(これが我が大学院時代の唯一の「良」評価だった。後は当然ながらすべて「優」だったのに……) どれ程落胆したことか……。 
 ただその後直ぐに退官されたとの高齢教授先生の思いは十分に理解出来る。  我が大学院生時代より過去に遡って現在に至るまで(?)、大学院生(大学生も含め)の英文読解力が貧弱過ぎやしないだろうか?!?  退官先生は、そんな昨今の学生達の貧弱英語力に警鐘を鳴らしたかったものと私は理解している。
 その最後の学生が私だった訳だが、今となっては“「良」程度の成績しか上げられず申し訳ございませんでした!”とお詫びするしかないなあ。


 今回は我が過去の「講義ノート」の一部を、“左都子コレクション”として紹介させて頂いた。

 そうだ! これを再び読みこなす事を今後の我が趣味の一つに出来そうだ。 などと本気で思ったりもする。

 ただ私が学んだ2度めの学生時代から、既に30年程の年月が経過している。
 その間の世界の大変動と共に、劇的に移り変わった学問・科学の世界である事には間違いない。

 それを考慮しつつ、昭和最終時期の「学問・科学史」として我が講義ノートを活用する手立てもありそうな気もする。 
 とにもかくにも、30年間保存してきた我が貴重なコレクションである「講義ノート」を、今後も大事に我が書棚にひっそりと保存しておこう。 

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