原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

認知症者が蓄積した巨額の資産に信託銀行が飛びついた!

2019年07月09日 | 時事論評
 (写真は、くだらなく、つまらなく、かつ意味不明の写真で恐縮だが。 現在私が管理している自分自身の“資産管理引き出し”の内部を撮影したもの。 この中に、過去のものも含め100冊以上の預金通帳が保存されている。)


 信託銀行ねえ。

 昨年まで、その通帳を活用していた。
 今でも保管してはいるが、今後利用する機会は皆無であることだろう。
 
 何故、私が信託銀行と取引をしていたかを説明するならば。(バックナンバーにても記載している事実の反復となるが。)
 何分、子供の頃より「貯蓄」が趣味の私だ。 

 1ヶ月程前の2019.06.12公開「老後2000万円必要」問題、“釈迦に説法”余計なお世話だよ!」に於いてその旨を記載しているため、以下にその一部を再掲載させていただこう。
 
 私はもの心付いた頃より「貯蓄」の趣味があった。 決して親にそうせよと言われた訳ではなく、元々天然資質として“自己管理力”のある子供だった。 幼少の頃、毎日小遣いをもらっていたが、その小遣いを「貯める」との発想が幼き頃より自発的に芽生えていた。 小学生の夏休み時に希望で「肝油ドロップ」を購入する習慣があったが、その「肝油ドロップ」の缶に小遣いを少しづつため貯め込んでいた。 その噂を聞きつけた近所の“悪ガキ”から、早くも“カツアゲ”の被害に遭ったりもしたものだ。 
 中学生になって以降小遣いが「月単位」支給となった。 それと並行して我が小遣いがコインから札へと移り行き。 高校生になった頃、ある程度のまとまった金額になった事を機会に、私は近くの郵便局へ一人で出向き、人生初の「貯金通帳」を作りそれを貯金した。 (参考だが、当時の金融機関は“本人確認”等のシステムが一切無く、子供でも単独で「通帳」を作る事が可能だった。)
 その頃より、その「貯金通帳」の残高が増えるのが“快感!”だったものだ。 
 大学進学と同時に、(“職業訓練校”とも揶揄される程の超多忙な医学部学生であるにもかかわらず)私は余暇を見つけては家庭教師や喫茶店のウエイトレス等々のアルバイトにも励んだ。 それらで稼いだお金も、もちろん自分の「貯金通帳」に貯め込んだ。
 その一方、医学部にて真面目に学び卒業後、きちんと「医学関連国家資格試験」に合格し、就職先を東京の民間医学関連企業に決定した頃には、我が貯金通帳残高はおそらく同年代の一般勤め人よりも多額だったのではなかろうか??  それがあったからこそ叶った単身上京だと言えよう。
 上京後も、我が「貯蓄増強作戦」は続く。
 一見して見た目も活動も“派手”な外観の私であるため、我が本質を知らない他者からは「浪費家」との悪評価を得ていた記憶もある。 ところがどっこい、持って生まれた我が“自己管理力”は衰える事を知らない。
 30歳が近づいた頃、未だ結婚願望希薄な私は単身で住むマンション物件を買い求めた。 その当時、既に全額自己資産で購入可能な資金力があったものの、誰か(おそらくそれで得する金融機関だったのだろうが)の勧めにより一応住宅ローンを組み、その後独身7年間のうちに単独で全額完済した。
 (以上、本エッセイ集バックナンバーより、一部を再掲載したもの。)



 上記再掲載文章に記載している、我が「貯蓄増強作戦」に於いて利用したのがまさに信託銀行だ。

 当時の私は既に朝日新聞ファンであり、職場の昼休みの食後はその“熟読”タイムに充てていた。
 
 その時代の金融情報を思い起こすに、巷のリスク無き金融商品とて数%の利率を誇っていた。
 私は元より「投資」にはまったく興味が無く、あくまでも「元金保証・安全第一」の金融商品を狙いその通帳を作る事に専念していたものだ。
 朝日新聞にてのその調査結果、信託銀行の「貸付信託複利商品・ビッグ」が一番高利息である事実を突き止めた!

 その直後、早速私は自宅近くの某信託銀行へ出向いた。 おそらく27歳頃の事だ。
 その時、銀行の入口を入った私の姿を一見した銀行員氏らの失礼な表情を未だ忘れる事は無い。
 分かるよ、分かる。
 一見外見ド派手なギャルと思しき女が「信託銀行」に何の用があるのか?!?、と思うのも必然的だろう。
 それでも窓口へ案内された私は、当時他銀行や郵便局にて蓄積していた資金総額を公表し、そのほとんどを“信託銀行のビッグ”へ入れ替えたい!と訴えた。
 さすがにやっと耳を貸してくれた係員が、「それではそうしましょう!」との事で、我が貯蓄のほとんどが信託銀行ビックに入れ替えと相成った。

 実際当時の金利にして6%はもの凄いものがあった!
 独身単独にてマンション物件を買い求めた後も、貸付信託ビッグへの預金はその制度が無くなる直前まで続行した。 その利子総額のみでも、かなりの自己資産増殖が叶った記憶がある。


 そんな我が信託銀行経歴だが、昨年すべての預入金を引き落とし預金残高を¥0-とした。
 その際に信託銀行係員氏により「この通帳、今後どうされますか?」と尋ねられ、私は「将来のために通帳を保存しておいてよいですか?」と尋ねたのだが。 何だか失礼な事に、係員がその必要がなさそうだと言いたげな表情をしたのに驚いた。

 要するに、そういう事だ。
 現在の「信託銀行」の使命とは、既に「投資」一本に絞り込んでの業務展開なのであろう。
 私のようにあくまでも安全策を取りたい顧客を抱え込む訳にはいかない事実はお見通しだ。

 表題に話を戻すが。
 そうした場合、信託銀行が今後やらかす業務とは、“後見人無き資産家認知症者”の資産を管理するとの名目で、好き勝手な投資を施した挙句の果てに、自らの暴利をむさぼろうとの魂胆が目に見える思いだ。 

 今後信託銀行と取引したいと志す、多額の資産を蓄積した認知症高齢者を抱えるご家族の皆様。
 どうかその専門力を自ら育成しつつ、信託銀行と対等な取引を成されますように。