2、3ヶ月程前からだろうか、いつも通っているジムへ行くと必ず声をかけてくれる男性がいる。
この方、現在76歳との事だが、真面目にジム通いをしている人達の例外ではなく、年齢に比してとてもお若い。 耳の聞こえもよろしく背筋がまっすぐならば頭の回転も速く、ひと回り以上若い私との会話が途切れなくテンポよく続くのにいつも脱帽させられる。
(以下この方をA氏とするが)、A氏の存在はもう数年前より認識していた。 フレンドリーな性格のようで、ジム内の誰にも気軽に話かけておられるようだ。
高齢者が多いジム内でおそらく若手に分類出来るであろう私に声を掛けてくれるのは、大抵高齢女性だ。 男性はやはり遠慮があるのか、それを実行する人は極度に少ない。
A氏が私に声を掛けてくれた最初のきっかけとなったのは、トレーニング走路に於いてだ。
この走路でいつも5㎞のランニング練習をしている私だが、タイムは遅いものの全力完走をモットーとしている。 そんな私は5㎞を走り切った直後に必ずや床に倒れ込んで、息絶え絶え状態となる。
ちょうどそれを見ていたウォーキング練習中のA氏が、「大丈夫ですか?」と尋ねて下さったのが事の始まりだ。
それに応えて私曰く、「大丈夫です。走り終わった後はいつもこうなりますので心配なさらないで下さい。
A氏曰く、「どうしてそんなに一生懸命走っているの? 五輪に出場する訳でなく単に健康維持目的ならば何も倒れる程に頑張らなくても、もっとゆっくり走ればいいじゃないの?」
私応えて、「いえ、それでは私なりの“達成感”が得られないのです。 年に2度市民ロードレース大会出場も実行していますし、とにかく究極自分の限界を確認せねば気が済まない性分です!」
そんな私の受け答えをA氏が気に入ったのかどうかは不明だが、とにかく、それ以降ジムへ行くと必ずやA氏は私の姿を発見しては声を掛けて下さるのだ。 その会話が回を重ねる毎に長くなり、現在に至ってはお互いの個人情報まで差し障りの無い範囲で語り合うに至っている。
と言う訳で、私は分野を問わず(あくまでも自己能力範囲内での)“達成感”にこだわりながら生きている人種である事には間違いない。
それ故に結婚も出産も遅かったし、その後も我が人生の目標は 自己の“達成感”にあると分析している。
そんな私にして悲しい事に、現在、両母(義母及び実母)の介護保証人を担当せねばならない立場にある。
これが実に大変な事態だ。
常に私なりの目標を持ち未来を見つめている私の集中力を途切れさせてくれるのが、この両人だ。
律義で真面目でもある私は両人から電話があると、それに応えるべくいつも自ら取り組んでいる目標実行を中断し、それら事案に早速取りかからねばならない。
例えば一昨日の義母からの電話内容とは、いつもの事ながら自らの認知力低下を物語るものだった。
「あのね、私の住民カードは〇子さん(私の事)が保管しているのかしら? 3年前に亡くなった娘に持たせたままかと気になって…」 応えて私曰く「この前、お義母さんから住民票を取って欲しいと依頼され実行した後、私がカードを保管する事になっていますので私の手元にありますよ。ご安心下さい。」
これで済まないのが常だ。 事情を把握出来ず幾度となく同趣旨の電話を寄越して来る義母に対し、初めて聞くふりをして懇切丁寧に回答せねばならないのが介護保証人の仕事の一つである。
実母とて、形は違えど同様だ。
再来週に郷里へ行き実母の高齢者有料介護施設への引越を控えている私だが、既に決定している事項に関して幾度となくクレームを付けてくるのに日々参っている。
例えば、義母と同じく一昨日実母が私に寄越した電話によれば、「引越当日には親戚の〇子(母の妹・私の叔母)にも来て欲しい。 当日は貴方と親戚の〇子の二人で引越をして欲しい。」
これに関しても、既に親戚の〇子さんに私から連絡を取り、娘の私一人で引越しを決行するとの合意に至っている。 と言うのも引越しとは大変な重労働だ。それをさほどの付き合いの無い二人が右往左往するより、主たる責任者を一人に絞り込むべきと私は考えるからだ。(その私の提案に親戚の〇子さんも同意してくれた。)
ところが(はやり少し認知力低下症状がある)実母は、引越当日は二人に来て欲しいと言って譲らない。
これに怒り心頭の私は、「引越を牛耳る“親分が二人”いたのでは返って支障を来す事を何で貴方は分からないの!! 娘の私が一人で引越を牛耳ると言っているでしょ!」
私が真に言いたいのは、(貴方は世話になる身でしょ。 ならば世話をする立場の人間を信じてそれに一任しなさい。)なのだが、さすがにそれは抑えた。 後日私側から親戚の〇子さんに「申し訳ありませんが、母がどうしても引越に同席して欲しいと申しますので来て頂けますか?」なる不本意な電話を掛けそれの同意を取った。
さて、実家の親戚筋とはDNA要因が大きいのだろうが皆が良く言えば“責任感旺盛”、悪く言えば“親分肌”気質……。 一体如何なる引越し劇と相成るのやら……
最後に、表題に戻ろう。
達成感欲求が強過ぎるDNAに恵まれている(苦しめられている?)私は、明日もまた自己の“達成感欲求”成就に邁進するのだろう。
そんな私は、実に素晴らしい趣味を“50の手習い”にて見つけた。
それはまさに、冒頭にて紹介した「ランニング趣味」に他ならない。
これぞ今後の我が生き甲斐の一つでもある。 何せ、ランニングとは一人でいつでも達成可能な事象だ。 こんな便利は趣味は他に無いであろう。
しかも、ランニングを野外で実行する事の“達成感”とは、まさに風を切り大自然と一体化しながら励める凄さにあると実感する。
時には藪蚊に刺されアレルギー反応を起こそうが、現在介護人を二人も抱えている私にとっての最大の達成感確認事象とは、野外でのランニング完走に他ならない。
この方、現在76歳との事だが、真面目にジム通いをしている人達の例外ではなく、年齢に比してとてもお若い。 耳の聞こえもよろしく背筋がまっすぐならば頭の回転も速く、ひと回り以上若い私との会話が途切れなくテンポよく続くのにいつも脱帽させられる。
(以下この方をA氏とするが)、A氏の存在はもう数年前より認識していた。 フレンドリーな性格のようで、ジム内の誰にも気軽に話かけておられるようだ。
高齢者が多いジム内でおそらく若手に分類出来るであろう私に声を掛けてくれるのは、大抵高齢女性だ。 男性はやはり遠慮があるのか、それを実行する人は極度に少ない。
A氏が私に声を掛けてくれた最初のきっかけとなったのは、トレーニング走路に於いてだ。
この走路でいつも5㎞のランニング練習をしている私だが、タイムは遅いものの全力完走をモットーとしている。 そんな私は5㎞を走り切った直後に必ずや床に倒れ込んで、息絶え絶え状態となる。
ちょうどそれを見ていたウォーキング練習中のA氏が、「大丈夫ですか?」と尋ねて下さったのが事の始まりだ。
それに応えて私曰く、「大丈夫です。走り終わった後はいつもこうなりますので心配なさらないで下さい。
A氏曰く、「どうしてそんなに一生懸命走っているの? 五輪に出場する訳でなく単に健康維持目的ならば何も倒れる程に頑張らなくても、もっとゆっくり走ればいいじゃないの?」
私応えて、「いえ、それでは私なりの“達成感”が得られないのです。 年に2度市民ロードレース大会出場も実行していますし、とにかく究極自分の限界を確認せねば気が済まない性分です!」
そんな私の受け答えをA氏が気に入ったのかどうかは不明だが、とにかく、それ以降ジムへ行くと必ずやA氏は私の姿を発見しては声を掛けて下さるのだ。 その会話が回を重ねる毎に長くなり、現在に至ってはお互いの個人情報まで差し障りの無い範囲で語り合うに至っている。
と言う訳で、私は分野を問わず(あくまでも自己能力範囲内での)“達成感”にこだわりながら生きている人種である事には間違いない。
それ故に結婚も出産も遅かったし、その後も我が人生の目標は 自己の“達成感”にあると分析している。
そんな私にして悲しい事に、現在、両母(義母及び実母)の介護保証人を担当せねばならない立場にある。
これが実に大変な事態だ。
常に私なりの目標を持ち未来を見つめている私の集中力を途切れさせてくれるのが、この両人だ。
律義で真面目でもある私は両人から電話があると、それに応えるべくいつも自ら取り組んでいる目標実行を中断し、それら事案に早速取りかからねばならない。
例えば一昨日の義母からの電話内容とは、いつもの事ながら自らの認知力低下を物語るものだった。
「あのね、私の住民カードは〇子さん(私の事)が保管しているのかしら? 3年前に亡くなった娘に持たせたままかと気になって…」 応えて私曰く「この前、お義母さんから住民票を取って欲しいと依頼され実行した後、私がカードを保管する事になっていますので私の手元にありますよ。ご安心下さい。」
これで済まないのが常だ。 事情を把握出来ず幾度となく同趣旨の電話を寄越して来る義母に対し、初めて聞くふりをして懇切丁寧に回答せねばならないのが介護保証人の仕事の一つである。
実母とて、形は違えど同様だ。
再来週に郷里へ行き実母の高齢者有料介護施設への引越を控えている私だが、既に決定している事項に関して幾度となくクレームを付けてくるのに日々参っている。
例えば、義母と同じく一昨日実母が私に寄越した電話によれば、「引越当日には親戚の〇子(母の妹・私の叔母)にも来て欲しい。 当日は貴方と親戚の〇子の二人で引越をして欲しい。」
これに関しても、既に親戚の〇子さんに私から連絡を取り、娘の私一人で引越しを決行するとの合意に至っている。 と言うのも引越しとは大変な重労働だ。それをさほどの付き合いの無い二人が右往左往するより、主たる責任者を一人に絞り込むべきと私は考えるからだ。(その私の提案に親戚の〇子さんも同意してくれた。)
ところが(はやり少し認知力低下症状がある)実母は、引越当日は二人に来て欲しいと言って譲らない。
これに怒り心頭の私は、「引越を牛耳る“親分が二人”いたのでは返って支障を来す事を何で貴方は分からないの!! 娘の私が一人で引越を牛耳ると言っているでしょ!」
私が真に言いたいのは、(貴方は世話になる身でしょ。 ならば世話をする立場の人間を信じてそれに一任しなさい。)なのだが、さすがにそれは抑えた。 後日私側から親戚の〇子さんに「申し訳ありませんが、母がどうしても引越に同席して欲しいと申しますので来て頂けますか?」なる不本意な電話を掛けそれの同意を取った。
さて、実家の親戚筋とはDNA要因が大きいのだろうが皆が良く言えば“責任感旺盛”、悪く言えば“親分肌”気質……。 一体如何なる引越し劇と相成るのやら……
最後に、表題に戻ろう。
達成感欲求が強過ぎるDNAに恵まれている(苦しめられている?)私は、明日もまた自己の“達成感欲求”成就に邁進するのだろう。
そんな私は、実に素晴らしい趣味を“50の手習い”にて見つけた。
それはまさに、冒頭にて紹介した「ランニング趣味」に他ならない。
これぞ今後の我が生き甲斐の一つでもある。 何せ、ランニングとは一人でいつでも達成可能な事象だ。 こんな便利は趣味は他に無いであろう。
しかも、ランニングを野外で実行する事の“達成感”とは、まさに風を切り大自然と一体化しながら励める凄さにあると実感する。
時には藪蚊に刺されアレルギー反応を起こそうが、現在介護人を二人も抱えている私にとっての最大の達成感確認事象とは、野外でのランニング完走に他ならない。