原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

郷里で過ごした怒涛の一週間 - 近隣の人々編 -

2016年10月27日 | 旅行・グルメ
 (写真は、この度郷里から持ち帰った私の古い写真の一枚。 おそらく1960年代半ば、私が小学校5年生頃の写真。)

 冒頭より、上記写真について補足説明をしておこう。
 元々高かった身長がこの頃から更に伸び始め、ご覧の通りのスリム体型で「骸骨ほね子」のあだ名を付けられていた時代だ。
 我が実母に洋服の趣味があり、幼稚園頃から高校生時代まで、私と姉が着る洋服のほとんどをお揃いでオーダーメイドにて仕立ててくれていた。(中高生時代は自分の好みで既製服も買っていたが。) 特に小学生時代は細身で手足が標準よりも長く、既製品の洋服では袖や足首がつんつるてんだった事もあるが、お陰でいつも自分の体型に合った洋服を着用出来た。
 写真のワンピースも、母と仕立て職人氏との合作デザインにより姉妹2人お揃いで仕立てられたが、我がスリム体型にピッタリ合っていた記憶がある。
 車でやって来た叔父が撮影してくれた一枚。 横の木造の建物は納屋。 太い大黒柱があった母屋は手前左側に存在していた。 玄関を入ると裏口まで続く土間が2部屋ありその一つを台所として使用していたが、私が小さい頃には祖母がかまどで薪をくべてご飯を炊いていた。 右手前には畑があり、祖母が一人で野菜を育てていた。 敷地内には柑橘類やグユミ、ザクロ、イチジク等々の果樹木が多く生育し、四季を問わず様々な果実を食していた。


 写真の説明が長引いたが、本題の郷里の近隣の人々との触れ合いにテーマを移そう。

 今回の旅行に限らず、郷里の実家へ行くといつも近隣の人々が野菜等の手土産を持って尋ねてくるのだが、母の介護施設入居が迫っている今回は、いつもに増して人の来訪が多かった。

 これらの人々に共通なのは、玄関から尋ねてくるのではなく、LDKの南側縁側の大窓から突然やって来る事だ。 中には、「おるで~?」(標準語で言うならば「いますか~?」)と叫びつつ部屋へ上がり込む人も珍しくない。
 これには意表を突かれる。
 寝起きで寝間着姿であろうが、化粧もせずウィッグも被っていない情けない状態で対応せねばならない。
 「あら、娘さん帰って来とったんじゃね。」と声を掛けられたものならばもはや逃げ場がない。 やむを得ずその格好のまま生き恥を晒す事態となる。

 例えば、近くの大農家のMさん。 
 この方など私とさほど年齢が変わらない農家の奥さんなのだが、何故か母と仲良しで、年中採れたての野菜や果物を運んでくれているようだ。
 昨夏など、私の分まで東京へ盛沢山の野菜を宅配してくれた。 「お返しはいらんけんな。」が口癖でそれに甘えて頂いてばかりだ。
 今回は、5㎏程の大量の採れたてスダチを持参して尋ねた来た。 転居間近の身の母が「施設へ持って行ってスタッフの皆さんに配るしかない」と言っていた。

 次なる訪問者は、母が後期高齢者となった10年程前より毎日高齢者用宅食を運んで下さっている料理処料理人のOさん。
 Oさんの場合夕方の配達のため、私もきちんと化粧してウィッグも被っているため安心だ。
 このOさんが10年来の私のファンだ。 商売人のリップサービスもあろうが、とにかく私に会うと「こんな綺麗な人見た事ない!」の繰り返しだ。  いつもそれに応えて母が「還暦過ぎたばあさん(私の事)捕まえて何言うとんで!」と返し、皆で大笑いする。 いつも私が帰省しているのを知るなり、必ずや料理処の自宅へ戻り、私のために魚のお造り等々の料理と日本酒一升瓶を運んでくれる。 このお造りが素晴らしく新鮮で美味しい事この上ない。
 母の施設入居に伴い宅食を終了するため、今回はOさんの奥様とも挨拶を交わした。 何でも奥様がご亭主のOさんよりも酒豪とのこと。 同じく飲兵衛の私は「今度帰省した暁には、是非Oさんの料理処で一緒に酒を飲みましょう!」との約束を交わした。

 それから、お隣で和菓子製造業を営んでいるKさんもお菓子を持ってやって来た。 
 この方はおそらく70代程だろうが、いつもしばらく座り込んで話をして行かれる。
 その途中、震度6弱を記録した鳥取地震が勃発したのに驚いた。 母とKさんの話によると、郷里のこの地方で防災無線による大地震警報が発令されたのは、これが初めてとの事だ。
 地震そのものの揺れは震度3程度で(私に言わせると大した事は無かったのだが)、二人が驚いて急いで外に出ようとする。 その行動を東日本大震災経験者の私が諭して、「家具等の倒壊が無い場合、室内の安全な場所にとどまった方が身を守れる。 下手に外へ飛び出すと、ガラス窓が割れたり地割れがしたりして返って危険な場合もある。」 ところが、2人とも外へ出たまま家の中へ入ろうとしない。 揺れているのが怖いとのことだ。 結局その状態で30分程過ごし、やっと2人は室内へ戻って来た。
 その後、テレビ報道を見て二人が住む地方では別段被害が出ていない事を確認・安堵し、Kさんは私に「元気でな」と言い残して自宅へ帰った。


 実母はこうやって、日々地元の人達との関係を紡いで来たのだと改めて認識だ。
 介護施設入居により、近隣の人々とのこの貴重な人間関係が希薄になる事態に何とも寂しい思いを抱かされる。

 そんな私に皆さんが告げてくれた。
 今後も回数は減るが、介護施設まで母に会いに行くから心配要らないと。 
 何とも有り難いお言葉に感謝しつつ、その後私は郷里を後にする。