原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

曖昧な主題設定で ”駄作” に終わったNHK連ドラ「とと姉ちゃん」

2016年10月01日 | 時事論評
 本日(10月1日)、表題のNHK連ドラ「とと姉ちゃん」が最終回を迎えた。


 もしも、連ドラ「とと姉ちゃん」を9月頃より見始めた視聴者がいたとして、あの雑誌編集室の場面を如何に捉えたであろうか?
 いつも編集室には、“ちょいブス”若手女優達とこれまた初めて目にする決してイケメンではない男優達が大勢集まっている。
 そして、自分達が戦後まもない時期から出版し続けている「あなたの暮らし」が売上100万部を突破したと自己満足的にはしゃいでいる場面ばかりが放映され、マンネリも甚だしいとダレていたら、このドラマは本日終焉した。
 最後の最後まで、何らのどんでん返しも無く、あくまでも主役のとと姉ちゃんを「成功者」として奉りたかった趣旨のようだ。


 上記の雑誌編集室の場面に関してだが、私の場合、(つまらないドラマだなあ)と半年間ゲンナリしつつも4月からずっと視聴している故に、彼らが何故ドラマ内で自己満足に浸っているかの背景を説明せよと言われたなら、苦渋な要求ではあるが嫌々ながらもそれが可能かもしれない。

 そんな中、終盤に入って以降、特に「異様」に感じたのは、主役女優を筆頭に脇役・端役陣の全員が一向に老けない事だ。
 それもそのはず、どうやら編集室内の特に女性の皆が “ちょいブス童顔” 故だろう。 (これに関しては主役女優が“ちょいブス”のため、それ以上の美人女優を部下役にする事を避けるとのドラマ制作側の苦渋の策だった故だろうが。)
 彼女らに老けメイクを施すのは困難な課題である事には想像が付く。  老け役も本体が美人であるならば“老け姿”も様になるのだろう。 例えばドラマ前半に登場した大地真央氏など総白髪頭演出にして実に美しかった。
 ところが、“ちょいブス童顔”女優を老け顔に仕立て上げたものなら、おそらく喜劇ドラマとなりそうだ。  故に、敢えてドラマの最後まで、女優達全員を“ちょいブス童顔”のままで通そうと監督氏は志たものと推測する。 
 要するに、ドラマ出演者達の“外見的”要素に於いてもレベルが低すぎたとの理由で、半年間ゲンナリし続けた一視聴者としての私的事情を紹介した……。


 次に、このドラマ「とと姉ちゃん」は一体何を訴えたかったのか? とのテーマ本題に関する私論を展開しよう。
 
 今回のドラマ主題の一つは「サクセスストーリー」である事には間違いないだろう。
 ドラマ内説明によれば、主役のとと姉ちゃんは苦労を重ねた設定になっているようだ。 本日の最終回に於いても、何故かずっと昔に病死した西島秀俊氏演じる父が突如登場して「常子は苦労を重ねたからこそ成功したのだ!」としつこく繰り返すシナリオだ。 そのように演出せねば常子の苦労の程が説明出来ない程に、特に終盤はドラマ内容がダレていたことを物語ったものと、私は再度落胆させられた。

 ところが、事業や仕事で成功するためには並々ならぬ苦労を背負うなど至って当然の事だ。
 私とてそうだ。 現役独身時代には、私なりの「成功」を目指して自ら苦労を受けて立つ連続の日々だった。 それに比し、とと姉ちゃんの苦労の程が何とも甘っちょろい。 必ずや周囲の誰が氏かが助け舟を出したり、おだてたり等々の他力本願手段ばかりを見せられても、何らの同情心も湧きようがない。

 一度だけ、常子の雑誌編集長としての「失敗」を効果的に描いた場面があった。
 それは俳優石丸幹二氏演ずる新聞記者が、雑誌「あなたの暮らし」に対し “メディアの責任論” をぶちまけ新聞紙上にて公開した場面だ。
 あれは見ごたえがあった。 現在にも十分通じる命題である故だ。
 このテーマだけでも半年中2ヶ月程掛けてドラマ内でじっくりと議論しても、現在この国の主たるメディア媒体であるNHKとしては損はなかっただろう。 なのに、ただの一度だけ洗濯機の欠陥を見抜く「公開試験」を実施したのみで、雑誌「あなたの暮らし」常子側の勝利として簡単に片付けてしまったのには、大いに落胆させられた。 (もしかしたら超安倍派の籾井NHK会長が、その場面を削除させたのか??)
 その後、更にこのドラマに対する興味が消え失せたのも当然だ。

 その“メディアの責任論”場面に於いて、敗者扱いとされてしまった “安価販売”を主たる経営戦略としていた「アカバネ電気」のその後の姿を是非ドラマ内で描くべきだった。  
 高度経済成長期時代には、確かに欠陥家電を販売している業者も多かったことだろう。 私自身がその頃の記憶が鮮明であるため、それを是非とも見たかったものだ。
 例えば、私が40年程前に上京して一人で買い求めた家電の中にも欠陥品が存在した。 なけなしの初任給をはたいて安価で購入した家電が立派にその性能を果たしていた中、当時有名メーカーだった大手家電が発売した高額の冷蔵庫がたった4年で壊れたのには参った。
 結局、何を信じるかは消費者の自由意思で良いはずだし、メーカーの著名度にかかわらず販売された個々の家電の中には故障する個体が必ずや販売されているものと悟った。
 その意味でも、私としてはどうしても「アカバネ電気」のその後が見たかった。 本日最終回には昭和60年代にまで歴史が変遷したにもかかわらず、NHKドラマ内にてそれが叶えられなかったことも実に残念だ。 


 ドラマ「とと姉ちゃん」の本来の主題とは、「家族を守る」事だったのであろう。

 ところがこれに関しても、最終回の最後の最後までとと姉ちゃんは「カネ」でしか家族を守れなかったことが歴然だ。
 日本が敗戦後貧しかった時代背景に於いては、“金力”こそが、家族を守る絶対にして必須の手段だったことは歴然なのだろう。
 確かに、とと姉ちゃんは妹達を嫁に行かせた。(ここで注釈だが、当時“嫁に行かせる”との解釈とは、娘が嫁に行く“カネ”を出すとのことだ。
 そしてとと姉ちゃんは確かに、家族全員が住む家を自らの“カネ”により建てた。


 今時の時代に話題を移すと、「とと姉ちゃん」が放映された想定世界の時代から既に我が国に暮らす庶民は大いなる変遷を遂げているはずだ。
 一家の主からカネだけ出され “一族が皆一緒に住もう!” と言われたものなら、“勘弁してよ!” と困惑する家庭が大多数の現在であろう。 (私とて40年前から、貧乏などいとわないから血縁親兄弟とは断固として別に暮らしたい派だったからこそ、単身上京して今に至っている。)

 その意味でも、NHK「とと姉ちゃん」は何とも時代錯誤の主題を掲げたドラマだったことが「駄作」に繋がったものと、最後に付け加えておこう。
 「家族を守る」と一言で言おうが、その守り方とは種々多様・千差万別である事態をもう少し繊細な感覚で描いて欲しかったものだ。