少し前になるが、昼のNHKニュースに於いて自民党政権 田村憲久厚生労働相が何やら“したり顔”で登場し、「高齢者の皆さん、75歳まで年金受給を遅らせると大幅に月々の受給額が増えますよ~!」 とのニュアンスの答弁を“平然と”公開した事実に、私は唖然とさせられるばかりだった。
以下に、このニュースを詳述しよう。
公的年金をもらい始める年齢を本人の選択で遅らせられる制度について、田村厚労相は5月11日のテレビ番組で、年齢の上限を今の70歳から75歳程度に引き上げることを検討する考えを明らかにした。 開始時期を遅らせると月々にもらえる額が増える。 働き続ける高齢者の増加が見込まれるなかで、年金のもらい方の選択肢を広げるねらいだ。
現在、国民年金の受給開始年齢は原則65歳、厚生年金では60歳から65歳まで段階的に引き上げている途中だ。 ただ、本人の希望で60歳まで早めたり、70歳まで遅らせたりできる。 時期を前倒しするとそれに応じて月々の受給額は減り、逆に後にずらすと額は増える。
時期を遅らせられる範囲について、田村氏は「例えば75歳まで選択制で広げる提案が与党から出ており一つの提案と認識している。 選択の幅をのばすのは、一つの方向性としてはある」と述べた。 少子高齢化の影響で今後は年金の支給水準が下がり続ける見込みだが、受給を遅らせると月々にもらえる額の目減りは緩和できる。
一方、受給開始年齢を今の原則65歳から一律で引き上げることについては、「国民の反発は非常に大きい」と述べ、消極的な考えを示した。
(以上、ネット情報より引用。)
ところがこの田村厚労相の年金75歳引き延ばし案に対し、発表早々より国民から反発意見が相次いだようだ。
これを受けてか、その後この案に関する自民党政権よりの続報を見聞する事はない。
このニュースを受けて、私は現在の日本人の「平均寿命」を調査してみた。
平成 24 年簡易生命表によると、男女それぞれ 10 万人の出生に対して 65 歳の生存数は、 男87,760人、女93,844人となっている。 そして、例えば75 歳まで生存する者の割合は男 73.1%、女 86.9%、90歳まで生存する者の割合は男 22.2%、女 46.5%となっている。 生命表上で、出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数を寿命中位数といい、平成 24 年においては、男 82.95 年、女 89.25 年となっている。 平均寿命に比べ、男 は 3.01 年、女は 2.84 年上回っている。
原左都子の私論に入ろう。
上記寿命統計によれば、75歳まで生存している人口は男女共に私の予想以上に多い。 大まかに平均して、約8割以上の高齢者が75歳を過ぎて尚生き残っている計算となる。
この現状を捉え、これら高齢者の年金受給を現行より更に遅らせる措置が採用出来たなら、今後の少子高齢化により更に緊迫する年金制度に及ぼす悪影響緩和に繋がると、田村大臣は短絡的に考えたのであろう。 しかもそれをあくまでも「選択制」と銘打つことにより、国民からの反発を回避出来るものと安易に公表に踏み切ったものとも考察できる。
さてこの自民党政権案に同意して、年金受給を75歳まで先送り決断を下すお年寄りが一体どれ程存在するのであろうか??
その候補者としては、やはり富裕層が挙げられるであろう。 ただ私の推測では、年金受給を75歳まで引き延ばして“涼しい顔”をして生きていけるお年寄りとはごくごく少数の国民に限られると想像する。 また、富裕層とて長きに渡り年金保険料を納めてきているのは歴然だ。 その“元を取らず”して「お国のために」死に至ろうとの奉仕精神に溢れた国民など、今時希少価値であることに間違いない。
計算高い原左都子など、支払った年金保険料総額 対 将来もらえる年金総額の収支に関して“ある程度の”数値を既に算出している。
私の場合、国民年金基礎部分で「第3号」扱い期間があるのに加え、厚生年金を60歳からもらえる立場でもあり、(40年来ずっと保険料を支払い続けている国民の皆さんに比し)あくまでも平均寿命以上生きた場合は受給額が上回る立場である。 (片や、私は個人年金保険にも加入しているのだが、中途での保険会社の経営破綻に伴い相当長生きせねば保険料の元が取れない事情も抱えている。)
それでも、年金受給を75歳まで遅らせようなどとの思考は全くない。 それよりも現在少し検討しているのは、むしろ「60歳前倒し受給案」だ。
と言うのも、義理姉が昨年63歳の若さで癌闘病の後亡くなった事実に直面している。 我が実父も急性心筋梗塞で69歳時に突然死した。 はたまた教員だった我が友も、同じく60代でくも膜下出血で突然死を遂げる運命だった。 何れの人物も60歳まで粛々と年金保険料を国家や自治体に納めているにもかかわらず、大幅に採算がとれないまま死に至っている…
一体いつまでと運命づけられているのか得体の知れない個々の寿命。 出来れば少しでも、今まで真面目に納め続けた年金保険料分の価値ある人生を歩みたいものだ。
しかも、もっと気になるのは、田村厚労相はじめ自民党政権が 「年金」 を如何なるものと位置付けているのかという点だ。
「年老いて自立生活不能な“お荷物ども”に国家や自治体からカネを配ってやるから、そのカネで何とか自分の体をもたせて、社会に迷惑かけないうちにとっとと死ねよ」なる意味合いなのか。(現行の年金制度とはこのニュアンスと私は捉えているが…)
あるいは、「現役時代の労働等功労に感謝する目的で、国民自らが積み立てた保険料を国家から還元する」意味合いなのか。 もしそうであるならば、“75歳まで年金受給を遅らせよ!”なる案が未だ若き政権大臣から提出される事態に大いなる違和感を抱かされると言うものだ。
最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
年金制度に関して、若い世代からの「現役年金受給者」に対する攻撃発言をよく見かける。 それによれば、「我々がお前らの年金を支えているんだ!」との論理のようだ。
田村厚労相の「75歳以上年金受給先送り」案も、その一端だったのかと私は捉えている。
ただ、正確にはそうではないと私は言っておきたい。
国家や自治体の年金制度とは時代の変遷にかかわらず、それが正常な機能を果たしていさえすれば、決してこれ程までの国民の困惑、及び制度の廃頽を招かずに済んだはずだ。
そのすべてが、元自民党政権下で「年金制度」“どんぶり勘定”の下にいい加減に実施されていたのが“諸悪の根源”なのだ!
表題に戻すが、過去に過酷な戦中時代を生き延びた現75歳過ぎの後期高齢者達とは、皆「明日は死に至るか?」なる不安に日々苛まれつつ最後の人生を個々に全うしていることを、若き世代の閣僚や市民にも理解して欲しい思いである…。
以下に、このニュースを詳述しよう。
公的年金をもらい始める年齢を本人の選択で遅らせられる制度について、田村厚労相は5月11日のテレビ番組で、年齢の上限を今の70歳から75歳程度に引き上げることを検討する考えを明らかにした。 開始時期を遅らせると月々にもらえる額が増える。 働き続ける高齢者の増加が見込まれるなかで、年金のもらい方の選択肢を広げるねらいだ。
現在、国民年金の受給開始年齢は原則65歳、厚生年金では60歳から65歳まで段階的に引き上げている途中だ。 ただ、本人の希望で60歳まで早めたり、70歳まで遅らせたりできる。 時期を前倒しするとそれに応じて月々の受給額は減り、逆に後にずらすと額は増える。
時期を遅らせられる範囲について、田村氏は「例えば75歳まで選択制で広げる提案が与党から出ており一つの提案と認識している。 選択の幅をのばすのは、一つの方向性としてはある」と述べた。 少子高齢化の影響で今後は年金の支給水準が下がり続ける見込みだが、受給を遅らせると月々にもらえる額の目減りは緩和できる。
一方、受給開始年齢を今の原則65歳から一律で引き上げることについては、「国民の反発は非常に大きい」と述べ、消極的な考えを示した。
(以上、ネット情報より引用。)
ところがこの田村厚労相の年金75歳引き延ばし案に対し、発表早々より国民から反発意見が相次いだようだ。
これを受けてか、その後この案に関する自民党政権よりの続報を見聞する事はない。
このニュースを受けて、私は現在の日本人の「平均寿命」を調査してみた。
平成 24 年簡易生命表によると、男女それぞれ 10 万人の出生に対して 65 歳の生存数は、 男87,760人、女93,844人となっている。 そして、例えば75 歳まで生存する者の割合は男 73.1%、女 86.9%、90歳まで生存する者の割合は男 22.2%、女 46.5%となっている。 生命表上で、出生者のうちちょうど半数が生存すると期待される年数を寿命中位数といい、平成 24 年においては、男 82.95 年、女 89.25 年となっている。 平均寿命に比べ、男 は 3.01 年、女は 2.84 年上回っている。
原左都子の私論に入ろう。
上記寿命統計によれば、75歳まで生存している人口は男女共に私の予想以上に多い。 大まかに平均して、約8割以上の高齢者が75歳を過ぎて尚生き残っている計算となる。
この現状を捉え、これら高齢者の年金受給を現行より更に遅らせる措置が採用出来たなら、今後の少子高齢化により更に緊迫する年金制度に及ぼす悪影響緩和に繋がると、田村大臣は短絡的に考えたのであろう。 しかもそれをあくまでも「選択制」と銘打つことにより、国民からの反発を回避出来るものと安易に公表に踏み切ったものとも考察できる。
さてこの自民党政権案に同意して、年金受給を75歳まで先送り決断を下すお年寄りが一体どれ程存在するのであろうか??
その候補者としては、やはり富裕層が挙げられるであろう。 ただ私の推測では、年金受給を75歳まで引き延ばして“涼しい顔”をして生きていけるお年寄りとはごくごく少数の国民に限られると想像する。 また、富裕層とて長きに渡り年金保険料を納めてきているのは歴然だ。 その“元を取らず”して「お国のために」死に至ろうとの奉仕精神に溢れた国民など、今時希少価値であることに間違いない。
計算高い原左都子など、支払った年金保険料総額 対 将来もらえる年金総額の収支に関して“ある程度の”数値を既に算出している。
私の場合、国民年金基礎部分で「第3号」扱い期間があるのに加え、厚生年金を60歳からもらえる立場でもあり、(40年来ずっと保険料を支払い続けている国民の皆さんに比し)あくまでも平均寿命以上生きた場合は受給額が上回る立場である。 (片や、私は個人年金保険にも加入しているのだが、中途での保険会社の経営破綻に伴い相当長生きせねば保険料の元が取れない事情も抱えている。)
それでも、年金受給を75歳まで遅らせようなどとの思考は全くない。 それよりも現在少し検討しているのは、むしろ「60歳前倒し受給案」だ。
と言うのも、義理姉が昨年63歳の若さで癌闘病の後亡くなった事実に直面している。 我が実父も急性心筋梗塞で69歳時に突然死した。 はたまた教員だった我が友も、同じく60代でくも膜下出血で突然死を遂げる運命だった。 何れの人物も60歳まで粛々と年金保険料を国家や自治体に納めているにもかかわらず、大幅に採算がとれないまま死に至っている…
一体いつまでと運命づけられているのか得体の知れない個々の寿命。 出来れば少しでも、今まで真面目に納め続けた年金保険料分の価値ある人生を歩みたいものだ。
しかも、もっと気になるのは、田村厚労相はじめ自民党政権が 「年金」 を如何なるものと位置付けているのかという点だ。
「年老いて自立生活不能な“お荷物ども”に国家や自治体からカネを配ってやるから、そのカネで何とか自分の体をもたせて、社会に迷惑かけないうちにとっとと死ねよ」なる意味合いなのか。(現行の年金制度とはこのニュアンスと私は捉えているが…)
あるいは、「現役時代の労働等功労に感謝する目的で、国民自らが積み立てた保険料を国家から還元する」意味合いなのか。 もしそうであるならば、“75歳まで年金受給を遅らせよ!”なる案が未だ若き政権大臣から提出される事態に大いなる違和感を抱かされると言うものだ。
最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
年金制度に関して、若い世代からの「現役年金受給者」に対する攻撃発言をよく見かける。 それによれば、「我々がお前らの年金を支えているんだ!」との論理のようだ。
田村厚労相の「75歳以上年金受給先送り」案も、その一端だったのかと私は捉えている。
ただ、正確にはそうではないと私は言っておきたい。
国家や自治体の年金制度とは時代の変遷にかかわらず、それが正常な機能を果たしていさえすれば、決してこれ程までの国民の困惑、及び制度の廃頽を招かずに済んだはずだ。
そのすべてが、元自民党政権下で「年金制度」“どんぶり勘定”の下にいい加減に実施されていたのが“諸悪の根源”なのだ!
表題に戻すが、過去に過酷な戦中時代を生き延びた現75歳過ぎの後期高齢者達とは、皆「明日は死に至るか?」なる不安に日々苛まれつつ最後の人生を個々に全うしていることを、若き世代の閣僚や市民にも理解して欲しい思いである…。