目に見えず、ヒシヒシと新型コロナウイルスのように少しづつ忍び寄ってくるのがジリ貧(ひん)と呼ばれる得体が知れない状況である。日本では貧乏神の仕業(しわざ)だとか言って、この状況を説明している。誰しも貧乏神にはとり憑(つ)かれたくはないだろうし、ジリ貧も嫌(いや)だろう。この状況に至れば、原因や理由なく疲れることになる。それも少しづつだから、傍目(はため)からはなかなか分かり辛(づら)いのが難点(なんてん)だ。^^ 実は、この文を書く私もジリ貧で弱っているのである。なんとかして欲しいくらいのものだ。^^
とある家の庭先である。この家のご隠居が一本の鉢植えの老木を眺(なが)めながら呟(つぶ)いている。
「ジリ貧だのう…。今年は植え替えずばなるまい…」
勢いを増した鉢物の植物は、数年に一度、植え替える必要が生じる。古い根や伸び過ぎた根を切除[カット]することで、樹勢がジリ貧になる前に植え替えるのである。樹木もケアしなければ疲れる訳だ。^^ この判断が大事で、時機を失(しっ)すると鉢物を枯らしてしまうことになる。ここのご隠居は盆栽歴が数十年で、その方面には長(た)けていた。
「お父様、そろそろお昼時(ひるどき)ですから、キッチンへいらしてくださいなっ!」
「おお、これはこれは未知子さんっ! では、そうさせてもらいますかなっ、はっはっはっ…」
息子の嫁にはめっぽう弱いご隠居は、光沢(こうたく)のいい照かる頭を掌(てのひら)で撫(な)でつけながら、はにかんで返した。
「腹が減っては戦(いくさ)にならんでのう! 身共(みども)もジリ貧だけは、避(さ)けずばなるまい…」
時代劇言葉で自分に言い聞かせるようにそう告げると、ご隠居は疲れる肩を揉(も)み解(ほぐ)しながらキッチンへと向かった。
ご隠居も疲れるのである。^^
※ 風景シリーズから、お二人が特別出演してくださいました。^^
完