水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

よくある・ユーモア短編集-100- 始まりと終わり

2016年12月31日 00時00分00秒 | #小説

 始発の電車があれば終電車があるように、始まりがあれば終わりがある。始まったまま放置されると、その物事は終わらず続くから、どんどん溜(た)まることになる。それはまるで、川が堰(せ)き止められ、溜まった水でダムになるようなものだ。国の累積債務だけは、減らして終わらせて欲しいものだ。債務の水嵩(みずかさ)は今も増え続けているというのだから、困ったものである。
「あなたっ! 湯舟、大丈夫っ!」
「あっ、しまった! 出しっぱなしだっ!!」
 妻の久恵に訊(き)かれ、片岸は、ハッ! と、湯を出していたことを思い出し、浴室へ、ひた走った。急ぎの用をやっていたから、軽はずみ感覚で浴室の湯を蛇口から出し始めたのだ。ただ、出したまではよかったが、この行動はまだ、始まってはいなかった。というのも、片岸は浴槽(よくそう)の栓(せん)で蓋(ふた)をするのを忘れていたのだ。これでは、蛇口から勢いよく湯が流れ込んでも、下からダダ漏れて抜けるだけなのである。いっこうに湯は浴槽に溜まらず、激しく出ているだけ・・という構図になる。しかし、片岸の頭では湯舟の湯は溢れそうになっていたから終わっていない・・構図だったのである。現実は始っておらず、片岸や久恵の思いは終わらず、の相違を生じていた。
 半時間後、始まっている中東紛争やテロ、無益な殺戮(さつりく)は終わって欲しいものだ…と、偉そうに考えながら、片岸は自分の失敗を棚に上げ、湯舟にドップリと浸(つ)かっていた。
 始まりは終わりがないと、世の中が乱れることは、確かによくある。

                            完


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