値下がりした株を買っておいた平社員の氷場(こおりば)だったが、どういう訳か急騰(きゅうとう)した株の儲(もう)けで億万長者になっていた。その株は氷場が働いている親会社の株だったが、氷場はそのことを秘密にして、コツコツと今までどおり働いた。氷場は苦労して得た金と楽をして得た金の、値内(ねうち)の差を知っていた。氷場は株が下がる都度(つど)、その金でまた同じ株を買い足(た)していった。
時は流れ、氷場はいつのまにか発言力を持つ大株主となっていた。そんな、ある日のことである。
「さて…昼にするかっ!」
課長の霞(かすみ)はいつもの動作で両手を大の字にして欠伸(あくび)をし、そう言った。その大声に課員達の手は一斉(いっせい)に止まり、課内はザワついた。いつも昼休みの10分前、買い出しと出前回り[出前をこちらから店へ取りに行く]の時間を見て、少し早く昼にするのが慣例となっていた。その10分ぶんだけ早く午後の始業に入るという、一種のフレックス・タイム制である。
「氷場さんは酢豚弁当でしたね…」
氷場が黙って首を縦に振ると、後輩の霜地(しもち)は飛び出すように買いに出ていった。これも、いつもの一日の流れだった。
「氷場は酢豚ばかりだなっ! ははは…俺は特上の鰻重(うなじゅう)だぞっ!」
「分かってますよっ! 課長は金が有り余ってますからねっ!」
「ははは…馬鹿を言うなっ!」
鰻のように首をウネウネとさせ、霞は、まんざらでもないように笑った。笑いは、親会社からの電話が社長室へ入るのと同時だった。
「はっ?! うちの会社の、こ、氷場がっ! いえっ! 氷場さんがですかっ?!」
社長の霧橋(きりはし)は慌(あわ)て驚き、思わず言葉を噛(か)んでいた。
半年後、氷場は親会社の専務席に座っていた。
「専務…酢豚弁当でしたね」
「ああ、そうしてください…」
氷場は、さも当たり前のように秘書の霙木(みぞれぎ)の顔を見て言った。
五年後、氷場は社長席に座っていた。
物の価値を知り、変化に流されない人は、どこまでも出世する・・ということは、確かに世間で、よくある。
完