沖縄地方ではお城のことをグスクと呼び、沖縄本島・離島を合せると200以上あると言われている。中でも私の好きな城跡の一つに今帰仁城跡がある。ここには桜の咲いている時期に10年ほど前にツアーで愛妻と来たことがり、なかなか城壁が美しくまた行って見たいなと思っていた。昨年の夏にここに来たのだが入場料がいると分かり外側から眺めて 帰った。沖縄では飲む金はおしまないで湯水のごとく使っているのに、たかが400円をケチル自分に情けない思いをしたので反省の意味をふくめて行った。半年もならないのにみやげ物売り場に広い駐車場が出来ていて驚いた。
沖縄グスクの城郭の大半は琉球石灰岩を積んでいるが 今帰仁城の城郭は古生期石灰岩の自然石を積んで出来ているそうだが素人にはその違いがさっぱり判らない。
城内に入り見応えがあるのは何と言ってもその城郭である。外周は約1500m、高さ6~10mあり万里の長城を思わせる。この日は天気も良く船で渡れば1時間かかる伊是名島(いぜなじま)が見えた。
[豆知識1]
2000年12月に開催されたユネスコの世界遺産委員会で座喜味城跡、勝連城跡、
中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽、今帰仁城跡の九つの遺産が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録された。いずれも琉球国家の基盤形成に欠かすことのできない重要な遺跡である。特に琉球史を代表する今帰仁城跡は県内に現存する三百余といわれるグスクの中でも保存状態もよく周辺には多くの自然景観を保持し、さらに現在も今帰仁上りの重要な聖地として参詣者が絶えない。かつての琉球(沖縄)では、沖縄の英雄として語り継がれる尚巴志【しょうはし】王によって国内が統一される以前の時代を三山【さんざん】時代(1400年前後)と呼び、3つの大きな勢力が争っていた。三山は北山【ほくざん】、中山【ちゅうざん】、南山【なんざん】に分かれ、ここ今帰仁城は北山を支配する按司【あじ:領主】の居城とされた。その大きさは首里城に匹敵すると言われる。
[豆知識2]
国指定史跡(昭和47年5月指定)
築城された年代は明らかになっておらず、発掘調査によって13世紀末頃から築城が始
まったものと推測されている。
城の正殿【せいでん】は残存していないが、標高100mほどにある周囲は川や谷の急
斜面となっており防衛上極めて優れた地勢となっている。
今帰仁城は天然の要塞で難攻不落をイメージさせるが2度の落城を経験している。1度
目は先に述べた中山の尚巴志【しょうはし】王によって滅ぼされ、その後は首里王府か
ら派遣された北山監守の居城となる。2度目は1609年の薩摩軍の琉球侵略によって
落城している。北山監守の制度はその後も続いたそうだが1665年(寛文5年)に廃城となった。
今帰仁城跡を見た後、桜が満開の八重岳へ行った。昨年は葉桜であったが今年は私を待っていたかのように満開であった。八重岳は標高453mありふもとから頂上までの両側沿道に約7千本のひかん桜が植えられている。一番難儀なのは両側から桜の枝が伸びているので所々片側通行しなければ上から下りてくる車と離合できない所がある。休日の日の渋滞を想像すればゾッとする。車を止めて見事な桜の写真を撮りたいのだが停車できる場所がなかなか無い。従ってほとんど撮影しないで車中で桜の花を堪能した。
八重岳中腹の八重岳桜の森公園では、ずらりと並んだ出店が祭りの雰囲気を盛り上げている。運転手さえいればビールを飲むのだが残念だ。