ゆみちゃんの365日

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蟹満寺 ”寒かろう 地蔵に毛糸帽 ”拝んで来たドー!

2017-01-18 18:02:59 | 国際・政治

1月18日(水曜日)
木津川市山城町綺田(かばた)の蟹満寺は、娘が助けた蟹が、蛇から求婚されて困っている娘を救うため、蛇を噛み殺して恩返しをしたという、「蟹の恩返し」の縁起で有名なお寺さんです。この伝説は、「今昔物語」や「古今著聞集」などにも見られ、広く伝わっています。また普門山と号し、かっては「紙幡寺」「加波多寺」ともいわれ、白鳳期の末期(690年代)に、秦氏によって建立されたと伝えられています。
昨日、本日と朝刊に、「あったか おそろい 木津川市の蟹満寺」と「”寒かろう” 地蔵に毛糸帽 蟹満寺」の報道が有りました。
【1月18日朝刊】
本堂北側の立て札には「いとけなき童(わらび)のために父母となり あわれみぞ給うぞ有難き 南無や大慈の地蔵尊」とある。赤い帽子をかぶった本尊の石像(高さ約1メートル)と小さな石像62体(いずれも高さ約30センチ)は他界した童を弔い続けている。毎年12月ごろ、信徒らが「お地蔵さんは寒かろう」と手編みの毛糸帽をかぶせる。中野泰孝長老(78)は「帽子をかぶせるのも心のこもった水子供養。寺が用意したかざぐるまを供える人もおられます」。境内を吹き抜ける寒風が像前に供えられたかざぐるまを回した。地蔵尊が回して童を遊ばせているかもしれない。2日前、山城地域にも降った雪は温かそうな赤い帽子を白い帽子に変えたという。

蟹満寺には、今まで2度ほど参拝したことが有ります。あの水子供養の、たくさんある地蔵さんに、赤い帽子をかぶせているのか。プールで泳いだ後、道草しましょうね。
駐車場の横から入ると、赤い毛糸帽をかぶった小さな石像が目に入ります。

どの石像も穏やかな顔をしています。

「寒いかな?」と聞けば「赤い帽子が温かく、寒くないよ~(^^♪」。

真横には、7年前に本堂を建て替えたときの檀家の皆さんが寄進した金額が。
元同僚の森本君の名前が出ています。150万円と50万円寄進しています。
これが5軒や10軒であれば目立ちますが、何十軒も有ります。田舎の皆さんは、信仰心がとてつもなく厚いようです。
我が家も東京から建て替えの寄進依頼が来ますが、それこそ森本君から見れば目糞鼻糞の金額で、とてもじゃないが恥ずかしくて言えません。

【参  考】
1.晋門山 蟹満寺(真言宗)
当寺は奈良朝以前、秦氏の一族秦和賀によって建立され、後に行基菩薩の関与により民衆のあつい信仰を集めた。
また今昔物語集巻十六第十六話等数多の古書に創建にまつわる有名な”蟹満寺縁起”が記され、仏教説話として広く世間に紹介されている。
本堂中央に祭祀されている国宝釈迦如来像は今から一千三百年の昔 白鳳時代の名作で金銅座像、八尺八寸(二m四〇)重量(二、二屯)、と称する初唐様式を直模する堂々たる尊像で、しかも殆んど完全に近い原形のまま今日にいたり薄衣を透して美の重量性を発揮した豊満な肉体を刻出して要望は荘重であり端麗である。
螺髪(ラホツ)と白毫(ビャクゴウ)をつけず人間味を帯びた相好で親しみを覚える。また手の指間には水掻(ミズカキ)の如き曼網相(マンモウソウ)を具え生きとし生けるものをすべて悟りの世界へ救い上げるという形相が尊い。(以上蟹満寺発行のリーフレットより転記)

2.「蟹満寺縁起」
太古、このあたりに善良で慈悲深い夫婦と一人の娘が住んでいました。娘は幼い頃から特に慈しみ深く、常に観音経の普門品を読諭して観音さまを信仰していました。
ある日のこと、村人が蟹をたくさん捕えて食べようとしているのをみて蟹を買い求め草むらへ逃がしてやります。 また娘の父が田を耕していると蛇が蛙を呑もうとしています。何とか蛙を助けてやりたい父は蛇に向かって「もしおまえがその蛙を放してやってくれたら娘の婿にしよう」と言ったのです。すると不思議にも蛇は蛙を放し、何処へともなく姿を消したのでした。
突然のこととはいえ大変なことを言った父は、仕事も手につかず家に帰ると、ことの次第を娘に語り不本意を悔いたのでした。
案にたがわずその夜、衣冠をつけた紳士が門前に現れ昼間の約束を迫ってきました。困りはてた父は嫁入りの支度を理由に、三日後に来るようにと男を帰したもののどうすることも出来ません。遂に約束の日が来ました。雨戸を堅く閉して約束を守ろうとしない父娘に腹を立てた男は、本性を現し蛇の姿となって荒れ狂います。
娘はひたすら観音経の普門品を誦え、娘の父母は恐ろしさのあまり身を縮めているその時、いかにも麗しい温顔に輝く観音さまが現れ「決して恐れることなかれ、汝らの娘は慈悲の心深く常に善良なおこないをされ、又我を信じて疑わず、我を念ずる観音力はことごとくこの危難を除くべし」と告げ姿を消しました。
間もなくどうしたことか雨戸を打つ暴音は消え、夜が明けてみると戸外には、ハサミで寸々に切られた大蛇と無数の蟹の死骸が残されていました。
親子は観音さまの御守護を感謝し、娘の身代わりとなった、たくさんの蟹と蛇の霊を弔うため御堂を建て観音さまを祀りました。
たくさんの蟹が満ち満ち恐ろしい災難が救われた因縁で建てられたので蟹満寺と名づけられ観音経の普門品を読誦していたので普門山と号せられたのです。
毎年四月十八日、この縁起にちなんで蟹供養放生会が修行されています。
(蟹の身代り観音と称し厄除、災難除けの御本尊として、古より人々の篤い信仰をあつめ本堂に祭祀されている。)
(以上蟹満寺発行のリーフレットより転記)

【メ  モ】
晋門山 蟹満寺(真言宗)
・拝観時間:8時00~16時00・休み5/8
・拝観料:一般500円 
・車椅子拝観不可(境内可・介添え人要・堂内背負って可)
・住所:〒619-0201 京都府木津川市山城町綺田(カバタ)浜36番地
・電話:0774-86-2577


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