6月8日(水曜日)
枕経は死者に対して初めて行う仏教の儀式である。6時10分前に弟の家に行った。扉を開けると読経の声がする。既に始まっていた。話を聞けば、5時半に和尚さんが見えて面食らったそうだ。弟夫婦の睡眠時間は、たったの1時間ちょいと可哀想。
枕経は40分ほどで終わった。
「9時に山紫苑に迎えに行くよ」と愛妻にメールをしたが、早めに向かった。山紫苑に8時40分に着くと、電話がかかってきた。「駐車場で待ってるよ!」と告げる。
やがて三人が出てきた。会うなり「今日の三徳山登山は止めにするこにしたよ」と言う。「段取りをつけているので登るよ」と返すがラチが開かない。今回の鳥取旅行のメインイベントは三徳山”投入堂”まで登ることだった。
とにかく、まずは弟の家に行った。同行のお二人さんも「仏さんを拝ませてもらえないか」と有り難いことをおっしゃる。
拝んでいると私の親族が次々とやって来て、二人を紹介する。ブログでは、お二人さんを何度も紹介しているので、「ああ!あのケーキや、お料理の上手な方ですか」「あの掃除の大好きな京都の方ですか」と話は通じる。
三徳山登山のことを話せば「供養登山に行って来て」と皆さんが賛成してくれた。愛妻を残し三人で三徳山に向かった。35分ほどで三徳山に到着した。入山するには400円を払い、クツ底のチェックを受けなけれなならない。ちびていればワラジを買って履き替えるか、止めるかのどちらかを選択しなければならない。
坊さんがクツ底をチェックする。Iさんがスケート選手の行うポーズで、前に足を出し高々と靴底を見せた。「ここは仏さんの居るところです。後ろを向いて見せて下さい」とたしなめられた。思わず”クックックック”と笑ってしまった。
これが第一関門で、登山するには第二関門が待ち受けている。ここでも先ほどと同様に、クツ底をチェックする。
数年前まではクツのチェックもなく、一人でも登山出来たが、近年滑落事故が続き厳しくなっている。
無事関門をクリアーし、200円を払って登って行った。三徳山に登るのは、子どもが幼稚園の頃連れて登ったので、30年ぶりになる。山を登れば年齢を感じてしまう。少し登っただけで息が上がる。初めて三徳山に登った山ガールのTさんは、愛妻がこの山に登ったと聞いて、そこらの裏山に登るくらいの感覚だった。どころがギッチョンだ。
キモの小さい方は、思わずすくみそうな所は何箇所もある。
投入堂に行くまでにお堂があるが、昔はその周りを靴のままで歩き、下界の景色を楽しんでいたが今は土足は厳禁になっていた。滑落場所の札がぶら下がっている。
何で落ちるの?と思うが、イチビル者はいつの世にもいる。
クサリをつかみ岩山を登るところもある。
幼稚園の子どももここを登らせたかと思えば、随分と危険なことをやらせたものだ。途中で水を飲み深呼吸をする。誠に清々しい。
楽しみながら歩くこと50分、投入堂に到着した。3年ほど前には、ふもとで双眼鏡で投入堂を拝んだが、やっぱり目の前にしなければ感激しない。
よくぞこんな絶壁に建てたものだ。記念写真を撮った。
Iさんは投入堂まで登ったのは2回目か3回目。私は5回目だ。次に登る時が果たしてあるだろうか。女性が誘ってくれれば喜んで行くのだが・・・。
帰りはやっぱり楽だった。息が上がるようなことは無かった。すれ違いに登ってくる方で、まだ登って数十メートルと言うのに「シンドイ」と言っている。本当のことを言えば登る気が失せることだろう。
下山し上がり口にある茶屋で、三徳山名物の豆腐を食べた。匂いも硬さも昔のままで、これぞ豆腐だった。
お二人に喜んでもらえたのが何よりだった。供養登山はこれにて無事終了した。
【参 考】
千年前に建てられたと言われる県内唯一の国宝建造物。
この投入堂(右写真)は、ふもとで組み立てたお堂を役行者(えんのぎょうじゃ)が法力で投入れたとされ、建立法については、今もなお謎につつまれたままです。
三徳山三佛寺は天台宗修験道の古刹。麓には三院(輪光、正善、皆城)と本堂が位置し、本堂の裏の宿入橋(しくいりはし)を渡ると、背後にそびえる岩山の急勾配を利用して、多数のお堂が建てられています。文殊堂、地蔵堂、納経堂とづつき、一番奥にあるのが投入堂です。
断崖絶壁に建つ、その奇跡のような姿はとても人間技には見えず、役行者伝説が今もなお語られ続けることも、ごく自然のように思われます。
四季折々に美しい姿で見るものを魅了し、一帯は史跡名勝に指定されています。