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ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

供養登山に”投入堂”へ登った

2011-06-12 03:04:06 | 旅行記

6月8日(水曜日)
枕経は死者に対して初めて行う仏教の儀式である。6時10分前に弟の家に行った。扉を開けると読経の声がする。既に始まっていた。話を聞けば、5時半に和尚さんが見えて面食らったそうだ。弟夫婦の睡眠時間は、たったの1時間ちょいと可哀想。
枕経は40分ほどで終わった。
「9時に山紫苑に迎えに行くよ」と愛妻にメールをしたが、早めに向かった。山紫苑に8時40分に着くと、電話がかかってきた。「駐車場で待ってるよ!」と告げる。
やがて三人が出てきた。会うなり「今日の三徳山登山は止めにするこにしたよ」と言う。「段取りをつけているので登るよ」と返すがラチが開かない。今回の鳥取旅行のメインイベントは三徳山”投入堂”まで登ることだった。
とにかく、まずは弟の家に行った。同行のお二人さんも「仏さんを拝ませてもらえないか」と有り難いことをおっしゃる。
拝んでいると私の親族が次々とやって来て、二人を紹介する。ブログでは、お二人さんを何度も紹介しているので、「ああ!あのケーキや、お料理の上手な方ですか」「あの掃除の大好きな京都の方ですか」と話は通じる。
三徳山登山のことを話せば「供養登山に行って来て」と皆さんが賛成してくれた。愛妻を残し三人で三徳山に向かった。35分ほどで三徳山に到着した。入山するには400円を払い、クツ底のチェックを受けなけれなならない。ちびていればワラジを買って履き替えるか、止めるかのどちらかを選択しなければならない。

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坊さんがクツ底をチェックする。Iさんがスケート選手の行うポーズで、前に足を出し高々と靴底を見せた。「ここは仏さんの居るところです。後ろを向いて見せて下さい」とたしなめられた。思わず”クックックック”と笑ってしまった。
これが第一関門で、登山するには第二関門が待ち受けている。ここでも先ほどと同様に、クツ底をチェックする。
数年前まではクツのチェックもなく、一人でも登山出来たが、近年滑落事故が続き厳しくなっている。
無事関門をクリアーし、200円を払って登って行った。三徳山に登るのは、子どもが幼稚園の頃連れて登ったので、30年ぶりになる。山を登れば年齢を感じてしまう。少し登っただけで息が上がる。初めて三徳山に登った山ガールのTさんは、愛妻がこの山に登ったと聞いて、そこらの裏山に登るくらいの感覚だった。どころがギッチョンだ。
キモの小さい方は、思わずすくみそうな所は何箇所もある。

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投入堂に行くまでにお堂があるが、昔はその周りを靴のままで歩き、下界の景色を楽しんでいたが今は土足は厳禁になっていた。滑落場所の札がぶら下がっている。

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何で落ちるの?と思うが、イチビル者はいつの世にもいる。
クサリをつかみ岩山を登るところもある。

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幼稚園の子どももここを登らせたかと思えば、随分と危険なことをやらせたものだ。途中で水を飲み深呼吸をする。誠に清々しい。
楽しみながら歩くこと50分、投入堂に到着した。3年ほど前には、ふもとで双眼鏡で投入堂を拝んだが、やっぱり目の前にしなければ感激しない。
よくぞこんな絶壁に建てたものだ。記念写真を撮った。

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Iさんは投入堂まで登ったのは2回目か3回目。私は5回目だ。次に登る時が果たしてあるだろうか。女性が誘ってくれれば喜んで行くのだが・・・。
帰りはやっぱり楽だった。息が上がるようなことは無かった。すれ違いに登ってくる方で、まだ登って数十メートルと言うのに「シンドイ」と言っている。本当のことを言えば登る気が失せることだろう。

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下山し上がり口にある茶屋で、三徳山名物の豆腐を食べた。匂いも硬さも昔のままで、これぞ豆腐だった。
お二人に喜んでもらえたのが何よりだった。供養登山はこれにて無事終了した。

【参  考】
千年前に建てられたと言われる県内唯一の国宝建造物。
この投入堂(右写真)は、ふもとで組み立てたお堂を役行者(えんのぎょうじゃ)が法力で投入れたとされ、建立法については、今もなお謎につつまれたままです。
三徳山三佛寺は天台宗修験道の古刹。麓には三院(輪光、正善、皆城)と本堂が位置し、本堂の裏の宿入橋(しくいりはし)を渡ると、背後にそびえる岩山の急勾配を利用して、多数のお堂が建てられています。文殊堂、地蔵堂、納経堂とづつき、一番奥にあるのが投入堂です。
断崖絶壁に建つ、その奇跡のような姿はとても人間技には見えず、役行者伝説が今もなお語られ続けることも、ごく自然のように思われます。
四季折々に美しい姿で見るものを魅了し、一帯は史跡名勝に指定されています。

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この玉、何の玉?

2011-06-11 21:58:52 | 旅行記

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6月7日(火曜日)


石谷家住宅の周りの古い家の軒先には、スズメ蜂の巣の様な大きな丸い玉がぶら下がっている。

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大抵の方が、この大きな玉を、造り酒屋や街の酒屋の軒先で見たことがあるだろう。この玉は“杉玉(すぎたま)”とか”酒林 (さかばやし)”とか”さかぼうき”などと呼ばれている。
杉玉(酒林ともいう)は酒造りのお守りとして、また新酒が出来た目印として、蔵元が毎年新酒の仕込みと共に真新しい杉玉を酒蔵に吊るし、感謝と安全醸造を願っている。

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しかしながら智頭町の杉玉が飾ってある家は、造り酒屋では無い。住民による「智頭宿まちづくり協議会」が、2001年4月石谷家住宅公開前に、智頭町特産の杉を使って何か出来ないかと考え、住民に呼びかけて杉玉を制作したそうだ。智頭町は”杉の町”なので杉の葉には困らない。特色ある町並みで観光客を迎えようと、約100軒の軒先に杉玉を吊るしてあるとのことだ。
石谷家住宅から200メートルくらい離れたところに無料駐車場がある。駐車場の入り口に「杉玉道場」があり、女性の皆さんが興味を示し覗いた。

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店主は杉玉制作に勤しんでいた。手を休め親切丁寧に、あれやこれや説明してくれる。店にぶら下がっている杉玉の値段を聞けば、これは2,500円、これは3,000円、これは15,000円。

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大きな杉玉があったので、「これは何日くらい制作にかかりましたか?」と聞けば、「20日ほどかかりました」。20日もかかれば20万円くらいするかなと思ったが15万円だった。
針金で作った球状の芯に、杉の葉を差し込んでいくのだが、これが大変な作業だ。余り日数をかけると、納品するとき色が変わってしまう。青々とした杉の葉でなければ、造り酒屋に納品出来ない。

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杉の葉の差し込みが終われば、最後は植木屋さんの要領で球状に刈り込む。焼杉の板で作った屋根と焼板の短冊を付ければ完成だ。
我が家の玄関にインテリアとして、小さいやつを飾ることにした。2,500円と言っていた杉玉が、オバサンパワーに寄り切られ1,700円に。お気の毒・・・。
この店では体験制作も出来、注文制作もやってくれる。

6月9日どこに飾ろうかと迷う。時間がないので取りあえず玄関にぶら下げて見た。

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【参  考】
歴史的には、日本最古の神社と云われる奈良の大神神社(おおみわじんじゃ、三輪神社とも云う)で、毎年11月に行われる酒まつりの神事で、御神体(三輪山)の杉の木から「しるしの杉玉」が作られ拝殿に祭られる。また、その日に参列した酒造関係者には直系30cmぐらいの「杉玉」が広く授けられ、これが各地の蔵元でお守りとして吊るされる様になったのが始まり。

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腰を抜かした”石谷家住宅”

2011-06-09 06:52:28 | 旅行記

6月7日(火曜日)
三年前、鳥取へ帰省するとき八頭郡智頭町を探索した。そのとき 「石谷家住宅(いしたにけじゅうたく)」 に立ち寄った。屋敷内見学をするには入場料が500円がいる。個人の家に金を払って見るには勿体無いと思い、外から眺めるだけにした。その時は「大きい立派な家だなぁ。敷地面積が3,000坪もあるのか」の印象しか無かった。
爺さんの生前中、大変お世話になった愛妻の友人二人を連れて鳥取へ旅をしたが、鳥取道を走ったので再度立ち寄った。
今回は「外から眺めるだけ」なんて、ケチなことはしませんよ~。

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玄関を入れば広い土間だ。

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上を見上げれば太い梁が、いやがうえにも目に付く。

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一同腰を抜かす。それはそれは個人の家で、こんな太い梁のある家は、お目にかかった事はない。

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部屋の中を見て回ったが、入る部屋がどれもこれも素晴らしい。

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部屋の小窓も部屋によって異なる。

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広い庭には池もあり、これまた素晴らしい。

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二階に上がれば、これまた立派な手摺だ。

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二階から屋敷全体を眺める。ここにもあそこにも蔵がある。

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7つもあるそうだ。庭も二種類あり、芝生の庭もある。

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神棚の大きさも半端じゃない。ウヒョー!

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これだけの家を建てるには、どれだけのお金を使ったのだろうか。いつの時代にも大金持ちはいるもんだ。
この石谷家住宅は、国登録有形文化財でもあり、智頭町指定文化財でもある。江戸時代には、鳥取藩最大の宿場町として栄えた智頭宿の中でも、ひときわ大きかったそうだ。
機会があれば一度見学して下さい。見なければ、この家の凄さは理解出来ない。一同「凄かったねぇ」と言って、石谷家を後にした。

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鳥取砂丘”砂の美術館”へ是非どうぞ!

2010-06-23 01:11:59 | 旅行記

6月21日(月曜日)
先日姪っ子の温子さんが家に来たとき、鳥取砂丘にある 「砂の美術館」 で撮った携帯の写真を見せてくれた。砂像を初めて見たのは、白兎と大国主の命が砂像になっていた白兎海岸だった。

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鳥取砂丘にある「砂の美術館」は、4年前からオープンされているが、今まで行ったことは無かった。これは素晴らしい。今度帰省したときは行かねばと思っていたので、今回の帰省の楽しみの一つにしていた。

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砂丘へ到着すると「砂の美術館」はこちらの標識が出ているので、直に分かった。

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入り口にはアフリカ大陸の砂像がお出迎え。

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今回は第4期展示で、「砂で世界旅行・アフリカ~偉大なる大陸の歩みを訪ねて~」がテーマだった。
4月29日~来年の1月10日が第4期の展示期間だ。入場料金500円を払い見学をした。
札幌の雪像も良くぞ造ったと褒めるくらい素晴らしいが、砂像もこれに負けず劣らずで、「ホントに砂だけでできているのか」と疑いたくなるくらいの出来映えだ。
ゴリラ

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ネルソン・マンデラ

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サンベジ川の探検

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先住民と茅葺き家の村

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アフリカの野生動物

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アフリカのアート文化

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ゴリラの森

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アフリカの風景

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サファリ

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鉱山の様子

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FIFA WORLDCUP

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今回の砂像彫刻家は11人の方で、イタリア、ベルギー、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ロシア、ラトビアと色々な国の方が来ていた。
館内に常駐している説明をされている方に色々尋ねてみた。

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全員がよ~いドン!で砂像彫刻を始め、10日ではいさようなら~。
どの方も世界トップレベルの砂像彫刻なので、長居は無用とばかりに次へ行く。何と言っても驚きは、砂を接着剤で固めててはいない。砂に水を撒きながら型枠の中でドンドンと圧縮する。

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これは小さい像の場合だが、大きな物はこれが比例して大きくなるだけだ。接着剤は砂が飛ばないように、表面をスプレーでサ~ッとやるくらいなもので、時には崩れたりするそうだ。
とくと砂像を堪能してちょ。夜が好きな方は、7時半までに入場すれば8時まで見れます。関西にお住みの貴女。鳥取砂丘なんて3時間のドライブだよ。”ねぇ連れてって”とおねだりしてはいかがかな。夜間はライトアップされ、昼間とはまた違った幻想的な光景が広がるとのことよ。

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私を育ててくれた湯梨浜町(旧泊村)

2010-06-22 23:27:20 | 旅行記

6月21日(月曜日)
復路は、まずは病院の婆さんにサイナラを言い、国道9号線沿いにある爺さんの墓に参った。帰省すれば一度は行く 「潮風の丘とまり」。「潮風の丘とまり」には、グランドゴルフコース、恐竜の屋外展示物、スーパースライダーなど、家族みんなで過ごせる施設がある。また鳥取県第1号の大型風力発電機(風車)が、威風堂々とぐるりぐるりと回っている。

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グランドゴルフ

は今では全国で認知されているが、1982年に当時の泊村教育委員会が生涯スポーツ活動推進事業の位置づけで考案したスポーツで、我が村はグランドゴルフ発祥の地だ。
ここへ行けば日本海を見下ろすことが出来る。

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眼下には泊漁港があるが、私が住んでいる頃は灯台のある手前の小さな波止場だけだった。中学時代の水泳部の練習は、5月から防波堤の外側を泳ぐ。ワカメが取りが解禁になれば、水泳部の全員でワカメ取りに励み、これを村民の方に買ってもらった。この金で防波堤の内側に、4コースほどの25メートルのターン台を水泳部の皆で作り練習をしたものだ。5月の日本海はそれこそ縮み上がるくらい寒かった。練習後のクチビルは全員紫色で、あそこは縮み上がって息子はいずこへ。
泳いだ後は銭湯に入るのが楽しみだった。昔の銭湯は男湯と女湯の壁に半月の窓があり、そこが水汲み場になっていた。ここで石鹸の受け渡しを大人はやっていた。水泳部の男子中学生はこの穴から女湯がチラ~ッと見えるので銭湯が楽しみでしょうがなかった。こらスケベ!
この丘に立てば、走馬灯のように昔が思い出される。冬の怒涛渦巻く日本海も良し、穏やかな日本海も良し。とまり村万歳!!

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