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ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

ひな祭り

2015-03-03 11:09:07 | アート・文化

3月3日(火曜日) (ひな祭り)
今日は3月3日 桃の節句です。雛祭りは、女の子のすこやかな成長を祈る年中行事です。70歳を過ぎれば、すこやかな成長は望めませんが、おひな様は飾りましょうね。この雛さんは古嫁が和歌山へ旅行したとき、お土産に買って帰った紀州雛。江戸時代には、紀州公が漆器のまちである黒江の中言(なかごと)神社に参拝された折に紀州雛を献上したそうです。 この紀州雛が昭和の初め、海南市黒江で蘇りました。

歌いましょう! ”うれしいひな祭り” の歌を

うれしいひな祭り 
【歌  詞】
(1) あかりをつけましょ ぼんぼりに
   お花をあげましょ 桃の花
   五人ばやしの 笛太鼓
   今日はたのしい ひな祭り

(2) お内裏様と おひな様
   二人ならんで すまし顔
   お嫁にいらした ねえさまに
   よく似た官女の 白い顔

(3) 金のびょうぶに うつる灯を
   かすかにゆする 春の風
   すこし白酒 めされたか
   赤いお顔の 右大臣

(4) 着物をきかえて 帯しめて
   今日はわたしも はれ姿
   春のやよいの このよき日
   なによりうれしい ひな祭り

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子どもの羽子板展

2015-01-07 00:28:32 | アート・文化

1月6日(火曜日)
9月に八幡市立 松花堂庭園・美術館で「昭和のうちわ展」が有り、ブログにアップしたところ、このうちわを収集された八幡市在住の大橋博司さん(73歳)からコメントがありビックリしました。その大橋さんが、今度は「子供の羽子板展」を松花堂庭園・美術館情報コーナーで1月15日までやっているので、一度お暇な時に覗いて下さいのコメントを頂きました。年末は忙しくて暇が有りません。新春初泳ぎをした後、行くことにしました。

美術館情報コーナーに入ると、数々の羽子板が所狭しと展示されています。

順番にカメラに収めていると、横から男性二人の会話が聞こえて来ました。

どうやらこの羽子板を収集された大橋さんのようです。
頃を見計らって挨拶をすると、予想どおり大橋さんでした。大橋さんから名詞を頂だいすると、「日本古時計クラブ会員」「日本のうちわコレクター」「八幡市人材シルバーセンター会員」と色々の肩書きが印刷されています。羽子板の肩書きは有りません。話をすると、元々は日本古時計の収集から始められたとのこと。
「これが珍しい羽子板です」と指を差されたのは、「モガ人形顔 布貼り付け羽子板」。

昭和初期に流行した(1930年)モダン・ガールを略しモガ。流行の最先端を行く女性のこと。高級羽子板は三越、伊勢丹等で売られていたようです。戦争中は物資が不足して、板に紙を貼った簡素な羽子板。

時代が反映しています。
夫の中原 淳一さんが描かれた、元宝塚スター 葦原邦子さんの羽子板も有ります。

今まで見たことも無いような、4センチほどのミニ羽子板から、80センチもある大きな飾り羽子板。

羽根は昔見た3枚のものしか知りませんでしたが、花のような美しい5弁の羽根も有ります。

羽根についている黒い玉は「無患子 (むくろじ)」と言います。
昔は正月と言えば、男の子は凧を揚げたりコマを回したり、女の子は羽子板で羽根突きをやったものです。今時は、こんな風景はめったに見ることが出来ません。

明治から平成まで、懐かしい羽子板約100枚を見を終わると、無性に羽根突きをしたくなります。帰宅し、女房にこのことを話すと、「正月に60数年前に母から誕生プレゼントの羽子板を飾るのを忘れていた・・・」と言っています。明日、どんな羽子板か出してみましょう。大橋さん展示案内有難うございました。お陰様で勉強になりました。
何と深夜テレビ”ごぶごぶ”で浜ちゃんと淳が羽子板で遊んでいるでは有りませんか。偶然にしても出来過ぎです。

羽根を落とせば顔に墨を塗られるのは、今も昔もルールは同じです。

【参  考】
子供の羽子板展
 八幡市在住の大橋博司氏が所有する羽子板の数々から、選りすぐりの羽子板約100点を展示します。
 【会期】平成26年12月20日(土)~平成27年1月15日(木)
      午前9時~午後5時※入館は午後4時30分まで
【場所】松花堂美術館1階情報コーナー
【観覧料】無料

【元宝塚スター 葦原邦子(あしはらくにこ)】
1912年12月16日-1997年3月13日。兵庫県神戸市生まれ。女優。宝塚歌劇団17期生。在団中は「アニキ」の愛称で人気を呼び、男役トップスターとして活躍した。
夫は中原淳一。
中原 淳一(なかはら じゅんいち、1913年(大正2年)2月16日 - 1983年(昭和58年)4月19日)は、画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家。1989年、勲四等瑞宝章受章。

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祇園祭山鉾巡行(後祭)

2014-07-25 00:20:38 | アート・文化

7月24日(木曜日)
祇園祭の山鉾巡行が今年大きく変わりました。約半世紀ぶりに17日と24日の2日間に分けられ、150年ぶりに大船鉾の復帰です。戦火や幾多の変遷を経てきた山鉾巡行の歴史の中でも特別な年となりました。
記念すべき特別な年の祇園祭山鉾巡行(後祭)は、暑くとも生で観なければと出かけました。後祭の巡行は前祭の逆をたどります。
四条河原町に先頭の山鉾が通過する時間は10時50分の予定なので、少し早めに行き来るのを待ちました。
京都四条河原町は人であふれ返って、熱気ムンムンです。団扇なくして、とてもじゃないがじっとしてはおれません。四条河原町に多くの人が集まるのは、豪快な「辻回し」を見るためです。山鉾が来る前に「花笠巡行」がやって来ましたが、見物人が多くチラッとしか観れず汗が吹き出て来ます。

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こりゃたまらんと、早々に見学場所を三条側に100メートルほど移動しました。少しの移動で写真も楽に撮れ、約1時間巡行を楽しみました。現地で楽しむのも今年が最後になるでしょう。京都では後祭も9時から2時間テレビ中継が有ります。家でビール片手に巡行を見るのが、私には合っているようです。

平成26年(2014年)の巡行順
後祭(24日)の巡行
1.橋弁慶山(くじ取らず)
「くじ取らず」で、あとの巡行の1番目に行く。(2012年よりくじ取らず)弁慶と牛若丸が五条大橋で対面する場面を現している。弁慶の手足にまかれた縄は心身壮健の願いを込め、宵山に授与される。

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2.北観音山(くじ取らず)
「くじ取らず」で、あとの巡行では橋弁慶山に次いで2番目を行く。 真木の代わりに立てる松の木は、毎年鳴滝から2本届けられ、南観音山と北観音山の代表がクジを引いて良い方の松を選ぶ。今年は松の選択権は北観音山が得た。真松に、今年新調した木彫りのハトとオナガドリが松にとまっている。

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3.八幡山
八坂のお祭に八幡宮を山に祭っているのは不思議だが、当時から八幡宮信仰が厚かったということが伺える。 夫婦円満を象徴する雌雄の鳩が向かい合って鳥居に止まっている。

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4.浄妙山
平家物語の宇治川の合戦に因んだ山。筒井浄妙が橋を渡って一番乗りをしようとした時、後から一来法師がその頭上を飛び越えて先陣をとってしまった様子を表している。

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5.鈴鹿山
伊勢の国・鈴鹿山で人々を苦しめた悪鬼を退治した説話に因んだ山。真松には沢山の絵馬がつけられ、巡行後、盗難除けのお守りとして授与される。

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6.南観音山(くじ取らず)
「くじ取らず」。真木の代わりに立てる松の木は、毎年鳴滝から2本届けられ、北観音山と南観音山の代表がクジを引いて良い方の松を選ぶ。真松の下枝には「尾長鳥」が止まっている。

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7.鯉山
龍門の滝を登った鯉は龍になるという中国の伝説の、立身出世を意味する「登龍門」の言葉を表している山。御神体の木彫りの鯉は全長1.5mもある。

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8.役行者(えんのぎょうじゃ)山
日本に古くからある修験道を主題にした山。修験道の大本山聖護院から約50名の僧侶を招き、会所前で護摩木が執り行われる。 今年は聖護院から招いた本物の山伏が初めて巡行に参加した。写真は聖護院の中村執事長(56歳)

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9.黒主山
謡曲「志賀」に因み、大伴黒主が桜花を仰ぎ眺める姿が表されている。山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になる。

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10.大船鉾(くじ取らず)
「くじ取らず」で、後祭では唯一の鉾。2012年に142年ぶりに唐櫃巡行。今年150年ぶりに鉾で巡行復帰。全長7.47m、幅3.25m、高さ6.25m 。車輪は菊水鉾の古い車輪を寄贈されたものです。

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祇園祭山鉾巡行(前祭)

2014-07-18 00:06:23 | アート・文化

7月17日(木曜日)
今日は日本三大祭りの一つ、祇園祭山鉾巡行です。今年は49年ぶりに、巡行が前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の二日間に分かれて行われます。
前祭は17日で23基。後祭は24日で10基です。京都では巡行のテレビ中継があるので、ビールを飲みながら楽しむことが出来ます。
山鉾巡行をナマで見たことが無ければ京都まで出かけますが、何回も行ったので今年もビール片手に楽しみました。

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この特別席のお二人さん。知る人は知っていますが、知らない私は知りません。9月公開の映画「舞妓はレディ」の周防監督と、主演女優の白石萌音さんです。萌音さんは16歳の女子高生。初々しい娘さんです。

テレビ中継の良い面は、山鉾をあらゆる角度から写してくれることです。巡行を観に行けば、懸装品は3面しか見れませんが、テレビであれば4面見ることが出来ます。今年も昨年と同様に雨の心配が無く、懸装品にはビニールが掛かっていないのが何よりです。動く美術館と言われているだけあって、懸装品は豪華です。

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四条通堺町では「くじ改め」があり巡行の順番に、裃姿の正使が古式にのっとりくじを奉行役に示します。正使は小学1年生の子どもから、お年寄りまでいろいろです。巡行の順番が書いた紙を入れてある箱には、ふさヒモがかかっています。これを扇子で解き、箱を開け蓋は腰の後ろに持って行き、箱を奉行役に示します。

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箱の中からクジを取り出し、奉行役は巡行の順番を読み上げ、間違いないことを確認します。
これが終わって裃姿の正使が山鉾の引き手に、扇子を3回大きく回し終わって、その後動き始めます。
四条河原町交差点では、山鉾巡行の最大の見せ場「辻回し」が行われるので、観光客が沢山見えています。車輪の下に冬に切り取った細い竹が敷き詰められ、その上に水を打ちます。 「ヨーイトセー」の掛け声の後、曳き手が綱を一気に引くと、竹のきしむ音とともに、鉾の角度が変わります。

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3回で90度の方向転換するのが、理想の方向転換の仕方です。回数が少なければ、山鉾に無理なチカラが掛かるとのこと。
興味をひきつけるのは蟷螂山(とうろうやま)。
御所車の屋根上に大蟷螂(かまきり)が乗る珍しい組合わせの蟷螂山(とうろうやま)は、中国の古典の物語に由来して作られました。
山鉾の中で唯一「からくり」を巡行中に披露して、沿道の観衆から大喝采を浴びる山です。御所車の屋根の上のかまきりが、鎌や首をもちあげ羽を大きく広げます。

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動きも滑らかでまるで生きたカマキリのようです。私の好きな山の一つです。

平成26年(2014年)の巡行順
前祭(17日)の巡行
1. 長刀鉾(なぎなたほこ)くじ取らず
「くじ取らず」として、毎年必ず先頭を行く鉾。 唯一、生稚児が乗る鉾で、五位の位を授かった授かった稚児が正面に乗って巡行。巡行中は町名が変わる度に稚児舞が披露される。鉾頭は、疫病邪悪を祓う大長刀。 三条小鍛冶宗近が鍛えたという長刀を鉾頭高くかざして疫病邪悪を祓いながら厳然と進む。

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2. 占出山(うらでやま)
神功皇后を祀る安産の山。くじ順でこの山の巡行が早い年は、お産が軽いといわれている。唯一、黒松を立てている。

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3. 芦刈山(あしかりやま)
山鉾最古の御神体衣装を保有し、普段は国立博物館に保存される。大和物語の「芦刈」を再現した山で、貧しさのあまり妻に去られ寂しく芦を刈る様子を表している。

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4. 孟宗山(もうそうやま)
昔の中国で、孟宗という人物が、病気の母が欲しがる筍を真冬の雪の中探し回り、ついに掘り当てて母を喜ばせたという話に因んでいる。そのため、御神木の松や粽には、雪を模した綿が付けられている。別名「筍山」とも呼ばれる。 

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5. 函谷鉾(かんこほこ)くじ取らず
「くじ取らず」で、毎年全体では5番目、鉾では長刀に次いで2番目に行く鉾。 孟嘗君という中国の人物がが函谷関で家来に鶏の鳴声をまねさせて関門を開かせ難を逃れたと言う故事に因んだ鉾。 鉾頭の三日月と山は、夜中の山並みを表し、真木の上端には孟嘗君、その下に雌雄の鶏が祀られている。

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6. 山伏山(やまぶしやま)
山に飾るご神体が、山伏の姿をしていることから山伏山と呼ばれる。昔、八坂の塔が皇居の方へ傾いたのを畏れ多いとし、終夜塔の前に座って祈祷したところ、翌朝その祈りが聴かれて真っ直ぐになったとの伝説をあらわしたもの。

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7. 綾傘鉾(あやかさほこ)
応仁の乱以前から出ていた由緒あるもので、鶏の飾りを付けた綾傘と、壬生六斉踊の棒振り囃子が一体となった風流傘の一種。大きな傘と棒振り囃子の行列で構成される。棒振り踊りでは独特のお囃子に合わせ、疫病退散の踊りを踊る。傘の上の御神体の鶏は、金の卵を片足に持っている。

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8.伯牙山(はくがやま)
琴の名人であった伯牙が手に斧を持ち、琴を割ろうとしている場面を再現している。このことから明治4年までは「琴破山(ことわりやま)」と呼ばれていた。

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9. 菊水鉾(きくすいぼこ)
町内の金剛能楽堂内に古くからあった『菊水井』にちなんで名付けらた。 鉾頭は、16弁の金色の菊花を付けている。会所では、7/13~16の4日間、日替わりで表千家・裏千家・遠州流によるお茶会が開催される。

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10. 太子山(たいしやま)
真松ではなく、唯一真杉を立てている。聖徳太子が杉の巨木で六角堂を建てたという故事に因む。

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11. 霰天神山(あられてんじんやま)
昔、京都が大火に遭った時、急に霰が降り火の勢いが収まった。その時に降りてきた天神像を祀ったの霰天神山の始まりとされている。 実際、これまで一度も火難に遭っておらず、このことから「火除け天神」とも呼ばれている。

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12. 油天神山(あぶらてんじんやま)
社殿の中に天神像(菅原道真)を祀り、油小路通にあることから油天神山と呼ばれている。道真とゆかりがある紅梅が鉾やグッズに付けられている。

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13. 鶏鉾(にわとりほこ)
暁の世、天下が良く治まり、訴訟の時打つ鼓にも苔がむして鶏がそこに巣を作ったという平和な説話を表したもの。鉾頭は、鶏の卵が諌鼓の中にあることを表しているといわれる。真木の『天王座』は船形で、海上の守護神である住吉明神が祀られている。

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14.木賊山(とくさやま)
木賊とはシダ植物の名前。 御神体は子をさらわれた翁が一人木賊を狩る姿を表現している。

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15. 四条傘鉾(しじょうかさほこ)
「子供棒振り踊り」は国選択無形民族文化財に指定されている。

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16. 蟷螂山(とうろうやま)
全山鉾の中で唯一のからくり仕掛けの「大かまきり」が大人気。カマキリの、自分の力のほどをわきまえず大敵に立ち向かう、その勇猛さを賞した中国の君子の故事に因む。

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17.月鉾(つきほこ)
夜と水徳の神であったこの月読尊に因んだ鉾。 鉾頭は、全山鉾中最古の銘が見られる。 稚児人形は「於兎丸(おとまる)」といい、現代的な容貌で明治45年五代目伊東久重作であり、その前年までは生稚児が乗っていた。

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18.白楽天山(はくらくてんやま)
唐の詩人 白楽天が、道林禅師に仏法の大意を問うところを表している。唐冠を付けた人形が白楽天で、帽子をかぶった僧の人形が道林禅師。真松は山の中で一番高い。

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19.保昌山(ほうしょうやま)
和泉式部の恋物語を題材とした山で、真松には恋愛成就祈願の絵馬を下げる。 縁結びのご利益があり女性やカップルに大人気。

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20. 郭巨山(かっきょやま)
貧困に苦しんだ郭巨が子を捨てようとしたところ土中から黄金がでてきた、という話に因む。 御神体の郭巨は金の釜を発見した驚きの表情で鍬を持ち、童子は右手に唐団扇、左手に紅白の大輪の牡丹を持つ。

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21. 放下鉾(ほうかほこ)くじ取らず
「くじとらず」で、21番目に行く。 鉾頭は、日・月・星の三光を象徴する州浜と光苔を表す2本の棒。鉾上で稚児舞ができる唯一の操り稚児人形「三光丸」を乗せ、人形ならではの愛らしい舞いが披露される。

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22. 岩戸山(いわとやま)くじ取らず
「くじ取らず」で、22番目に行く。「古事記」「日本書紀」に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事に因む曳き山。屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の3体の人形が飾られる。

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23. 船鉾(ふねほこくじ取らず
「くじ取らず」で、23番目、さきの巡行の最後を行く。「日本書紀」の神功皇后の新羅出船に因んでいる。船頭に「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾っている。

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日本の伝統文化”鏝絵(こてえ)”

2013-12-13 21:55:52 | アート・文化

12月13日(金曜日)
家の蔵に漆喰で、模様やネズミが施してあるが、これが何たるか知りませんでした。

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昨年鳥取へ帰省したとき、たまたま「鏝絵(こてえ)」の数々を展示しているのを見て、漆喰アートの世界を知りました。鳥取県琴浦町でも、「鏝絵(こてえ)」を見ることが出来る集落があるようです。
10日前のことです。農作業をしていると、隣のおじさんが額縁をフェンスに立てかけました。

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何だろうと傍に行って見れば「鏝絵(こてえ)」でした。龍が見事です。何をするのかと聞けば、これを写真に撮るとのこと。私も便乗して写させてもらいました。

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隣りのオジサンは現役の左官職人(77歳)です。左官職で名工で表彰されたことがある、腕の確かな方です。「どこかに奉納されるのですか?」と聞けば、「龍福寺に奉納します」の返事が返ってきました。龍福寺は家のそばのお寺さんです。
最近の建築では土壁の家が少なくなり、漆喰のコテ作業はほとんど無いそうです。数年前に母屋を改修したとき、壁に楽しそうに模様を入れていた姿が思い出されます。

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その時、手に持って使い分けていたコテの多さにはビックリしました。やっぱりプロの職人は違います。
日本古来から伝わる「鏝絵(こてえ)」の技術伝承は、これから先どうなることでしょう。すたれてしまうのか。

【参  考】
鏝絵(こてえ)とは、江戸時代末期から全国的に流行した庶民の建築文化です。左官職人が漆喰壁に浮き彫り模様を塗り、絵画的に装飾したものを言います。

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