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ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

風鈴と美人画うちわ展

2016-07-15 00:37:24 | アート・文化

7月14日(木曜日)
「八幡市立松花堂庭園・美術館1階情報コーナーで「風鈴と美人画うちわ展」を7月13日(水)~7月24日(日)までやっているので、お時間があればぜひお越し下さい」。この案内をいただいたのは、八幡市在住の大橋 博司さん(75歳)。
大橋さんは古時計、日本のうちわ等収集が趣味です。2年前には「昭和のうちわ展」で、40数年前から収集し1400点の一部、約300枚展示されていた”うちわ”を見に行きました。
”日本のうちわコレクター”を名乗る大橋さん。よくもこれだけ収集したものだと、それはそれはビックリします。
昨年は「子どもの羽子板展」。今年の正月は「ポチ袋展」。と毎年のように大橋さんは収集した物を公開され、都度拝見に行っています。昨年の9月22日放映の関西ローカル番組「よーいドン!」では、めでたく「隣の人間国宝さん」に認定されました。

プールで泳いだ後、八幡市立松花堂庭園・美術館へ「風鈴と美人画うちわ展」見学に行きましょね。有難いことに駐車場は無料。美術館の「風鈴と美人画うちわ展」をやっている特別展示場も無料です。

”うちわ”は、2年前に見た見覚えのある物が何点か有ります。

昭和の香りに包まれた”うちわ”の数々。今は亡き女優も。
とくとご覧ください。
風鈴は江戸ガラス風鈴。

セルロイド製風鈴。

南部鉄製風鈴。

子どもの喜びそうなキヤラクターの風鈴等が有ります。

近くにお住まいの方は、散歩がてらに足を運ばれたらいかがでしょうか。

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大津絵(おおつえ)知っていますか?

2016-07-13 00:55:22 | アート・文化

7月11日(月曜日)
「鶴喜そば」を出て、お店の窓を見ると ”大津絵(おおつえ)展を2階で開催しています。期間:7月○○~○○ 無料”
の張り紙が目に入りました。
6年前までは、”大津絵 ”なんて聞いたことも見たことも有りません。
6年前に大石神社の境内で、「山科絵(やましなえ)」なるものに出会い、このとき初めて「大津絵」も有ることを知りました。女房は大津絵のことは知っていました。しかしながら「大津絵」は、お互い見たことが有りません。
これは良い機会です。再度お店に入って、 「大津絵展を見たいのですが」と言えば「どうぞ!」の返事が返って来ました。
履物を脱ぎトントントンと2階へ。畳の部屋は、ぐるりと大津絵が並べてあり、番号と絵の値段を書いた紙が、畳の上に置いてあります。値段は、5,000円~15、000円と大きさによって異なります。
順番に見て回ります。どことなくユーモラスな絵が、何点か目につきました。

この絵を描いた方は、大津市在住 ”大津松楓会(おおつしょうふうかい)佐藤 実真”さん 。名刺が置いて有りました。
「大津絵」は、仏画から始まった伝統民画で、江戸時代の初期の頃から今の滋賀県大津市のあたりで、東海道を旅する人たちに土産物として売られていたそうです。
またまた賢くなってしまいました。どうしましょ。 「好きにすれば~(^^♪」の外野の声が聞こえて来ました。

【参  考】
1.「山科絵」復活の経緯
江戸-京都の往来が賑わいを見せたていた江戸・元禄時代には、東海道(旧三条街道)沿いに「山科絵」というのが描かれて、旅行く人たちに売られていました。描いたのは、専門の絵描きではなくて、街道周辺の地元の農家の人たちだと言われています。
近くには「大津絵」というのがあり、これは全国的に有名で、少し東の髭茶屋(ひげちゃや)町というあたりに奈良街道と東海道とが分かれる「追分(おいわけ)」という所があり、江戸時代のはじめ、そこで生まれました。はじめは仏さまに関する絵だったのですが、やがていろいろな絵も描かれるようになります。「十三仏」「鬼の寒念仏」「藤娘」など、いろいろ有名です。これをお土産として売っていて、安い値段でしたので旅の人たちは、これを買って家に持って帰り、おがんだりしたと言います。
そして、「山科絵」は、その50年ほどあとに描かれて、大津絵と良く似ていました。大津絵が売られていた追分の山科側で販売されたため「山科絵」と呼ばれたそうです。「東海道沿いに売られていた」という記録が残っていますので、東海道沿い(旧三条通り)の四ノ宮地域ではないかと推測されています。半紙に神さまや仏さまなどの絵を描いて東海道を行き交う旅人に売られていたものです。その後、「山科絵」はすたれてしまって、今では「大津絵」だけが残っています。
これを知った山科区椥辻(なぎつじ)在住の山本義雄さん(画家・椥辻在住)が、1999年からその復興に取り組まれ「山科絵」として再興された。

2.山坐(さんざ)画廊(山本義雄さんのギャラリー)
・住所:京都市山科区椥辻東浦町61-3
・電話:075-501-7285

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昔のものから今時の「ポチ袋」を見たドー!

2016-01-09 22:37:18 | アート・文化

1月9日(土曜日)
今朝の朝刊に「ポチ袋250点 時代反映 八幡」の記事が掲載されました。

【掲 載 記 事】
正月のお年玉を入れる「ポチ袋」を紹介する展示が京都府八幡市八幡の松花堂美術館ロビーで開かれている。歌舞伎役者の浮世絵やアニメキャラクター入りの華やかなデザインが来館者の目を引いている。40年ほど前から古時計やうちわ、羽子板などの骨董(こっとう)品を趣味で収集する市内在住の大橋博司さん(75)が、コレクションの一部のポチ袋約250点を初公開した。
会場には、舞妓の日本画や歌舞伎役者の浮世絵を印刷した明治・大正時代の図柄、銃を構える兵士を描いた昭和10年代の絵など、時代を反映したポチ袋が展示されている。戦後から現在にかけてはアニメキャラクターの絵やグループアイドルの写真が目立つ。
大橋さんは「親子連れで見に来て、楽しんでほしい」と来場を呼び掛けている。11日まで。無料。

この記事に登場する大橋博司さん(75歳)は、松花堂美術館で展示された、「昭和のうちわ展」と「子どもの羽子板展」で2度お会いしたことが有ります。
お会いしたときいただいた名刺には、「日本古時計クラブ会員」「日本のうちわコレクター」「八幡市人材シルバーセンター会員」と数々の肩書きが付いています。
趣味の収集は、日本古時計から始められたとのこと。それ以降は「うちわ」「羽子板」「ポチ袋」など年々増えているようです。
過去2回大橋さんの収集した「うちわ」「羽子板」を拝見した感想は、よくこもまぁこれだけ収集されたものだと感心したものです。今回もきっと素晴らしいポチ袋に会えるだろうと、11時前に松花堂美術館ロビーに行きました。

展示場には先客が二人お見えでしたが、私と入れ替わりにお帰りになりました。誰もいない展示場は私の貸し切りです。誰にも気兼ねせず、写真を撮りながら見て回ります。

ほとんどのポチ袋は、見たことのないものばかりです。アイドル嵐のメンバーのポチ袋も有ります。

今年の正月に子ども、孫達全員にお年玉をやりましたが、孫には「嵐のメンバー」、息子達には「舞妓」のポチ袋に入れて渡せば、さぞかし皆さんビックリしただろうな・・・。

やはり昔のポチ袋は素晴らしい! 凝っています。
駐車料も拝観料も無料。近くのお方は是非どうぞ!

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琴浦町光(みつ)の鏝絵

2015-10-06 18:36:05 | アート・文化

10月5日(月曜日)
2年前は鏝絵が何で有るか知りませんでした。鳥取へ帰省したとき、食べに入った「遊漁」の隣の部屋で「鏝絵の展覧会」をやっていて見学しました。これが鏝絵か・・・・。
これだったら、我が家の蔵には昔から鏝絵が施して有ります。

鏝絵は、江戸末期から昭和初期にかけて蔵や住居の漆喰壁に、左官職人が鏝で縁起の良い福の神や動物、植物などの浮き彫り模様を漆喰を塗りつけることで造ったものです。
弟が「琴浦町の光(みつ)地区の鏝絵を見に連れていってやる」と言うので、弟夫婦と4人で光地区へ。

スマホは便利です。48戸の集落のうち、24棟に鏝絵が施された蔵や住居があるそうです。この無人の小屋には鏝絵mapが置いて有ります。

鏝絵mapには見学順路と番号1~18が記して有り、これを片手に集落を回ります。
【鏝絵見学上の注意】
・個人邸宅に立ち入る場合は必ず許可を得てください。
・集落内は車の乗り入れは禁止です。
・マナーを守り、ゴミ等はお持ち帰りください。
鏝絵の制作年・左官職人名・図柄は鏝絵mapに明記して有ります。
細い路地を回ります。

全国的にも珍しい集落全体が鏝絵の野外美術館のようですが、見学者は我々4名のみ。もっと大々的に宣伝をしても良さそうですが、沢山の見物客が来ても日常生活に支障をきたします。ゆっくり見てまわりましたが、所要時間は30分ほどで見終えました。

どれも素晴らしい鏝絵で満足満足。弟よ有難う!
我が家の隣の方も左官職人です。やはり鏝絵を制作され、額縁に入れた物を見せていただきました。

見事なものです。手先が器用だから出来るんですね。

【参  考】
.「光の鏝絵」は、鳥取県琴浦町にある光地区集落内が昭和30年ごろの大火で多くの家が消失し、大火にもかかわらず残ったのが漆喰の蔵だったことから、再建にあたって蔵造りの家を建てた際に、施主の願いを込めた鶴、亀、鯉、蕪、打ち出の小槌、波など縁起の良い鏝絵を、琴浦町光集落の吉田貞一氏と吉田勝重氏らが造り上げ、その芸術性の高さから「光(地区)の鏝絵」と注目を浴びたことに因ります。

鏝絵(こてえ)とは
琴浦町光の鏝絵mapから抜粋
鏝絵(こてえ)とは江戸末期から昭和初期に庶民の建築文化として全国的に流行したといわれ、左官職人が漆喰壁(しっくいかべ)に、鏝で福神や動物、植物などの浮き彫り模様を塗り、絵画的、装飾的に付けたものを言います。家紋や文字より華やかで蔵にもよく見られるで、「蔵飾り」とも呼ばれています。
昭和初期頃までに建てられている蔵には、妻壁(側面の壁)に家紋とか文字が付けられているぐらいがよい方で、荒壁で済ませている蔵もあります。戦後、昭和三十年頃から建てられいる蔵には、縁起を祝う意味で、「鶴・亀・鯉・松竹梅・巾着・打ち出の小鎚・瑞雲・立浪」などが、それぞれの家の好みによって取り付けれれており、この頃から荒壁で済ませてきた蔵にも鏝絵を付け始めています。
これらの鏝絵は、琴浦町光(みつ)集落の吉田貞一氏と吉田勝重氏、また吉田貞一氏から指導を受けられた琴浦町中村集落の野口原貞夫氏が丹精を込めて仕上げられた作品です。
このように鏝絵には家内安全や無病息災などを願う家主の思いが込められており、それに左官職人も自慢の技で応えてきました。両者の願いが伝わってくる作品、それが鏝絵です。

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祇園祭山鉾巡行(前祭)

2015-07-18 02:40:30 | アート・文化

7月17日(金曜日)
今日は日本三大祭りの一つ、祇園祭山鉾巡行です。昨年から巡行が、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の二日間に分かれて行われるようになりました。49年ぶりの復活です。前祭は17日で23基。後祭は24日で10基です。京都では京都テレビで巡行のテレビ中継を8時半から11時20分までやってくれます。

天気が良ければ、京都まで出かけて巡行を見学しますが、台風11号の影響でややこしい天気なので、ビールを飲みながら楽しむことにしました。
テレビ中継の良い面は、山鉾をあらゆる角度から写してくれることです。巡行を観に行けば、懸装品は3面しか見れませんが、テレビであれば4面見ることが出来ます。
祇園祭山鉾巡行は、動く美術館と言われているだけあって、懸装品は豪華です。
今年は生憎の雨で、懸装品には保護のビニールが掛かっています。豪華な懸装品を直接見れないのが残念です。
四条通堺町では「くじ改め」があり巡行の順番に、裃姿の正使が古式にのっとりくじを奉行役に示します。

正使は小学生の子どもから、お年寄りまでいろいろです。巡行の順番が書いた紙を入れてある箱には、ふさヒモがかかっています。これを扇子で解き、箱を開け蓋は腰の後ろに持って行き、箱を奉行役に示します。

風のいたずらで箱から紙が飛び出すハプニングが何度もありました。
箱の中からクジを取り出し、奉行役は巡行の順番を読み上げ、間違いないことを確認します。
これが終わって裃姿の正使が山鉾の引き手に、扇子を3回大きく回し終わって、その後動き始めます。

四条河原町交差点では、山鉾巡行の最大の見せ場「辻回し」が行われるので、観光客が沢山見えています。車輪の下に冬に切り取った細い竹が敷き詰められ、その上に水を打ちます。 「ヨーイトセー」の掛け声の後、曳き手が綱を一気に引くと、竹のきしむ音とともに、鉾の角度が変わります。

3回で90度の方向転換するのが、理想の方向転換の仕方です。回数が少なければ、山鉾に無理なチカラが掛かるとのこと。

平成27年(2015年)の巡行順
(平成27年7月2日 くじ取り式による)◎はくじ取らず
7月17日(前祭)
一番 長刀鉾(なぎなたほこ) ◎
 「くじ取らず」として、毎年必ず先頭を行く鉾。 唯一、生稚児が乗る鉾で、五位の位を授かった授かった稚児が正面に乗って巡行。巡行中は町名が変わる度に稚児舞が披露される。鉾頭は、疫病邪悪を祓う大長刀。 三条小鍛冶宗近が鍛えたという長刀を鉾頭高くかざして疫病邪悪を祓いながら厳然と進む。

二番 孟宗山(もうそうやま)
昔の中国で、孟宗という人物が、病気の母が欲しがる筍を真冬の雪の中探し回り、ついに掘り当てて母を喜ばせたという話に因んでいる。そのため、御神木の松や粽には、雪を模した綿が付けられている。別名「筍山」とも呼ばれる。 
 

三番 芦刈山(あしがりやま)
山鉾最古の御神体衣装を保有し、普段は国立博物館に保存される。大和物語の「芦刈」を再現した山で、貧しさのあまり妻に去られ寂しく芦を刈る様子を表している。
四番 伯牙山(はくがやま)
琴の名人であった伯牙が手に斧を持ち、琴を割ろうとしている場面を再現している。このことから明治4年までは「琴破山(ことわりやま)」と呼ばれていた。
五番 函谷鉾 (かんこぼこ)◎
「くじ取らず」で、毎年全体では5番目、鉾では長刀に次いで2番目に行く鉾。 孟嘗君という中国の人物がが函谷関で家来に鶏の鳴声をまねさせて関門を開かせ難を逃れたと言う
故事に因んだ鉾。 鉾頭の三日月と山は、夜中の山並みを表し、真木の上端には孟嘗君、その下に雌雄の鶏が祀られている。
六番 油天神山(あぶらてんじんやま)
社殿の中に天神像(菅原道真)を祀り、油小路通にあることから油天神山と呼ばれている。道真とゆかりがある紅梅が鉾やグッズに付けられている。
七番 四条傘鉾(しじょうかさほこ)
「子供棒振り踊り」は国選択無形民族文化財に指定されている。
八番 占出山(うらでやま)
神功皇后を祀る安産の山。くじ順でこの山の巡行が早い年は、お産が軽いといわれている。唯一、黒松を立てている。
九番 月鉾(つきほこ)
夜と水徳の神であったこの月読尊に因んだ鉾。 鉾頭は、全山鉾中最古の銘が見られる。 稚児人形は「於兎丸(おとまる)」といい、現代的な容貌で明治45年五代目伊東久重作であり、その前年までは生稚児が乗っていた。
十番 蟷螂山(とうろうやま)
全山鉾の中で唯一のからくり仕掛けの「大かまきり」が大人気。カマキリの、自分の力のほどをわきまえず大敵に立ち向かう、その勇猛さを賞した中国の君子の故事に因む。
十一番 木賊山(とくさやま)
木賊とはシダ植物の名前。 御神体は子をさらわれた翁が一人木賊を狩る姿を表現している。
十二番 山伏山(やまぶしやま)
山に飾るご神体が、山伏の姿をしていることから山伏山と呼ばれる。昔、八坂の塔が皇居の方へ傾いたのを畏れ多いとし、終夜塔の前に座って祈祷したところ、翌朝その祈りが聴かれて真っ直ぐになったとの伝説をあらわしたもの。
十三番 菊水鉾(きくすいほこ)
町内の金剛能楽堂内に古くからあった『菊水井』にちなんで名付けらた。 鉾頭は、16弁の金色の菊花を付けている。会所では、7/13~16の4日間、日替わりで表千家・裏千家・遠州流によるお茶会が開催される。
十四番 郭巨山(かっきょやま)
貧困に苦しんだ郭巨が子を捨てようとしたところ土中から黄金がでてきた、という話に因む。 御神体の郭巨は金の釜を発見した驚きの表情で鍬を持ち、童子は右手に唐団扇、左手に紅白の大輪の牡丹を持つ。
十五番 綾傘鉾(あやかさほこ)
応仁の乱以前から出ていた由緒あるもので、鶏の飾りを付けた綾傘と、壬生六斉踊の棒振り囃子が一体となった風流傘の一種。大きな傘と棒振り囃子の行列で構成される。棒振り踊りでは独特のお囃子に合わせ、疫病退散の踊りを踊る。傘の上の御神体の鶏は、金の卵を片足に持っている。
十六番 太子山(たいしやま)
真松ではなく、唯一真杉を立てている。聖徳太子が杉の巨木で六角堂を建てたという故事に因む。
十七番 鶏鉾(にわとりほこ)
暁の世、天下が良く治まり、訴訟の時打つ鼓にも苔がむして鶏がそこに巣を作ったという平和な説話を表したもの。鉾頭は、鶏の卵が諌鼓の中にあることを表しているといわれ
る。真木の『天王座』は船形で、海上の守護神である住吉明神が祀られている。
十八番 白楽天山(はくらくてんやま)
唐の詩人 白楽天が、道林禅師に仏法の大意を問うところを表している。唐冠を付けた人形が白楽天で、帽子をかぶった僧の人形が道林禅師。真松は山の中で一番高い。
十九番 保昌山(ほうしょうやま)
和泉式部の恋物語を題材とした山で、真松には恋愛成就祈願の絵馬を下げる。 縁結びのご利益があり女性やカップルに大人気。
二十番 霰天神山(あられてんじんやま)
昔、京都が大火に遭った時、急に霰が降り火の勢いが収まった。その時に降りてきた天神像を祀ったの霰天神山の始まりとされている。 実際、これまで一度も火難に遭っておらず、このことから「火除け天神」とも呼ばれている。

二十一番 放下鉾 (ほうかほこ)◎
「くじとらず」で、21番目に行く。 鉾頭は、日・月・星の三光を象徴する州浜と光苔を表す2本の棒。鉾上で稚児舞ができる唯一の操り稚児人形「三光丸」を乗せ、人形ならではの愛らしい舞いが披露される。

二十二番 岩戸山(いわとやま) ◎
「くじ取らず」で、22番目に行く。「古事記」「日本書紀」に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を故事に因む曳き山。屋形内に、伊弉諾尊、天照大神、手力男命の3体の人形が飾られる。

二十三番 船鉾(ふねほこ) ◎
「くじ取らず」で、23番目、さきの巡行の最後を行く。「日本書紀」の神功皇后の新羅出船に因んでいる。船頭に「鷁(げき)」と呼ばれる想像上の瑞鳥を飾っている。

【2015年祇園祭】

台風11号の影響で激しい風雨に見舞われた都大路で17日に繰り広げられた祇園祭・前祭(さきまつり)の山鉾巡行。一部では懸想装品や稚児人形などを取り外して巡行に臨んだ山鉾もあったが、迫力ある「辻回し」あお囃子に約6万5,000人(前年約11万人)が魅了された。

7月24日(後祭)
一番 橋弁慶山 ◎
二番 北観音山 ◎
三番 役行者山
四番 八幡山
五番 鈴鹿山
六番 南観音山 ◎
七番 鯉山
八番 黒主山
九番 浄妙山
十番 大船鉾 ◎

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