先程、ときおり愛読している公式サイトの【 AERA dot. 】を見ている中、
『 人づきあいが下手な人に共通する10のクセ 天動説型は友だちが少ない?』、
と題された見出しを見たりした。
私は東京の調布市に住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住んで、ささやかな生活を過ごしている。
こうした中、
このような午前中の過ごし方を定例事項のように過ごしてきた・・。
例外として、家内のボディガード、お供そして荷物持ちで、3週間に一度ぐらい駅前で買物、
或いは年に3回ぐらい都心の新宿にある伊勢丹、小田急、京王などのデパートに買物、
そして庭の手入れ、国内旅行、懇親会、冠婚葬祭などで小用がない限り、定年後の丸15年を過ごしてきた。
こうした散策することは、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、或いは足早に歩くことが多くなっている。

今回、《・・人づきあいが下手な人に共通する10のクセ・・天動説型は友だちが少ない?・・》、
特に《・・天動説型・・》って・・どのようなことなの、と思いながら、
好奇心に負けて記事を読んでしまった。
この記事は、公式サイトの【 AERA dot. 】に2019年11月6日に配信され、
無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。
最近、生命寿命、健康寿命、資産寿命に加えて、
第4の寿命を長くすることが大事だといわれている。
第4の寿命とは、生涯現役、生涯学び続けるなどの意欲を失わず、
心楽しい人間関係をもキープし続ける「つながり寿命」。
これを長くするのも短くするのも、自分次第。
定年後、自分の居場所をつくれるかどうかは、努力次第だ。
ここでは、大人の振る舞いについての指南書で定評がある作家の菅原圭さんが、
自著『ほどよい“居場所”のつくりかた――60歳からの人づきあいの知恵』でも紹介した、
つながり寿命を縮めかねない悪いクセを紹介する。
今日も1日が終わった。
夜、床につくとき、心から「ああ、いい1日だった」といえるだろうか。
私の場合は、必ずしもそんな日ばかりとは、いい切れない。
仕事をし、あるいは「下手の横好き」を地でいく英語と格闘した日も、
充実感は味わいながら、どこかにうっすらとさびしさ、ものたりなさを感じている。
「ひとり暮らし」のこのうえない自由を満喫しながら、
人とのつながりが希薄だった1日は、何か大事なものが足りない、という気持ちを抑えきれないのだ。
「最近、年賀状の数が、めっきり減ってきた」と感じることはないだろうか。
私など、ピーク時から半分近くまで減ってきている。
故人になった人もあれば、メールの賀状に換えた人もいる。
だが、総体的に、人とのつながりが細ってきていることが、大きな要因であることは否定できない。
シニア期の大きな課題は、あらためての人間関係づくりだ。
私自身、シニア期を意識して、ここ2、3年は「友だちづくり」と格闘してきた。
だが、そう簡単にはいかず、正直、人間関係はなかなか広がらない。
結局は、学生時代からの友だちとご飯を食べたり、かつての仕事仲間と集まってビールでも飲む、
そんな日々を重ねている。
こうした自分自身の苦戦もあって、まわりのシニアで人づきあいのうまい人を
それとなく観察しているうちに、人づきあいのうまい人に共通するいくつかの共通点があることに気がついた。
人づきあいが、うまいか下手か。
その違いをひと言でいうと、天動説と地動説だ。
天動説とは、世の中は自分中心にまわっていると考えている人。
地動説は反対に、相手を中心に考えたり、行動したり、ができる人だ。
天動説タイプの人、つまり、人間関係が広がらない、
友だちがなかなかできないという人に共通する具体的な行動特徴を10項目にまとめてみた。
実をいえば、一つでも当てはまるものがあったら致命的だ。
人間関係は、築くには時間がかかるが、壊れるのは一瞬だから。
厳しいいい方をすれば、わずかなことでも、相手を傷つけてしまったら、それで終わり。
そんなことにならないように、一項目、一項目を心に刻み込んでおき、
言葉づかいや立ち居振る舞いに気をつけよう。
そうすれば、やがて、まわりとの人間関係が変わってくるはずだ。
人間関係がうまく回り始めれば、つながり寿命もぐんと延びていくだろう。
<天動説タイプの人の行動特徴>
1.自己紹介で「元」の肩書きを伝える
2.いつも、誰にでも、同じ話をしてしまう
3.気づかぬうちに、自慢話のオンパレード
4.よく昔話・古い話を語っている
5.あっちが痛い、こっちが悪いと不健康ネタを出す
6.「年金が少なくて」など、つい貧乏話をしてしまう
7.人の陰口が多い
8.やたらに怒りっぽく、すぐにイラだつ
9.身なりに気を配らなくなる
10.「もう年だから」などと高齢をマイナスにとらえている ・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
今回、心楽しい人間関係をもキープし続ける『つながり寿命』を学び、多々教示されながら、
独り微苦笑をしてしまった。
私は年金生活を丸15年なる中、逢えばお話相手は数多く恵まれているが、
しかしながら友人は3人だけとなったりし、 私は心友と明言できる人は、たったひとりかなぁ・・
と思い馳せたりしている・・。
私の心友と称している御方は、高校時代に知り合った人で、定年後に毎年一度だけ逢っている。
過ぎし1962年(昭和37年)の当時、私は高校3年生で、
私は彼の実家に50回ぐらいは泊まったり、 彼も私の実家に少なくとも20回は泊まったりし、
こうした中、お互いの家族とも懇親していた。
こうした間柄でも、私が20歳を誕生日を迎えた時に、
私は大学を中退して映画・文学青年の真似事に邁進する中、 疎遠になったりし、
その後は、彼の結婚式の披露宴に列席したぐらいとなった。
そして私は民間会社で35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職後になるまでは、
お互いに年賀状を交わす程度で、数年毎に電話をする程度となった。
やがて私が2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、 多々の理由で年金生活を始めて以来、
毎年12月の時節に、 お互いの住まいの中間点の『吉祥寺』の居酒屋で、懇親を重ね丸14年が過ぎ、 15年目となっている。
こうした会合は、お互いに好きなビールとかワインなどの酒を呑み、
食べたい料理を食べながら、 少なくとも4時間前後は談笑を重ねてきた。
話し合う内容は、昨今の過ごし方・・病気、親の介護、葬儀、お墓などの時もあれば、 相続でこじれている、
或いは性の衰えまで、 あらゆる人生の360度のことをお互いに打ち明けて、 苦笑したり、ときには微笑んだりしている。
今回の記事、私はいささか差異があると思われるが、
誰しも同じ人生航路を歩んできた軌跡には違いがあるように、それぞれ御方なりに違うよなぁ・・
と微苦笑を重ねたりしている。
しかし違いがあればこそ、相手の秘めている深情が私は学ぶことが多々あり、
独り微笑みを重ねたりしている。