夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの投稿文、ときおり老ボーイの私は読みかえして、独り微苦笑を重ねて・・。

2016-04-30 15:24:50 | ささやかな古稀からの思い
私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、早や12年生となっている。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
東京の調布市の片隅みで、雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で幸いにも、私たち夫婦は大病に遭遇せず、今日に至っている。
                       

日頃の私は、午前中に平素の買物専任者として、家内から依頼された品を求めて、独りで最寄りのスーパー、
或いは駅前まで利便性ある路線バスも乗車せず、片道20分前後の歩道を歩き、
スーパー、パン屋とかドラッグストアーなど専門店で買い求めたり、ときには本屋に寄ったりしている。

その後は、健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない、と確信を深めて、
独りで自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
          
午後より夜の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中で、ときには小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか遊学してきた。
                     

そして私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
私は定年後、まもなく偶然にブログの世界を知り、丸11年半が過ぎて、早や12年生に進級する中、
パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
     
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時までのつたない人生航路、
そして年金生活の安楽な日々が多い心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
そして数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
            

先程、ぼんやりと今頃の去年とか一昨年は・・私はどのような心情で過ごしてきたか、
と思いながら、私のブログの投稿文を読み返したりした・・。

昨年の4月30日に於いては、
【世の中は大型連休、働いて下さる諸兄諸姉、ご家族との心身のふれあいを大切に、と願い・・。】
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/m/201504

一昨年の5月2日に於いては、
【風薫る5月は、花菖蒲を愛(め)でる季節かしら、と老兵の69歳の私は微笑んで・・。】
http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/d/20140502

            

こうした私の投稿文を読み返し、私は今の心情と余り変わらないよなぁ、独り微苦笑したりした。

齢ばかり重ねて・・と思ったりしたが、やはりその時の思い、思考していることなど、
あふれた思いを日々投稿文に認(したた)ればこそ、昨年、一昨年の今頃の私に出会えるよなぁ、と微苦笑を重ねたりした。

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