夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには独りぼっちの『おひとりさま』の私、台所で皿洗いをする時は、歌を唄いながら・・。

2016-04-15 18:50:05 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身であるが、
昨夜は深夜2時近くまで、映画の『ダイハード』を鑑賞していたので、今朝は寝坊して7時半に起床した。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったで、たった2人だけ家庭であり、
ときおり家内は家内の母宅に、宿泊しながら介護で行っているので、
我が家は私が独りぼっちの『おひとりさま』となっている。

そして朝食はいつもように前菜として、タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、
ミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。

やがて冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べたりした・・。

この後は、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
本日はコブの佃煮、福神漬け、カブの醤油漬け、焼きノリ、そしてサバ缶のミソ煮であった。

やがて休むと台所が汚くなるので、人生は気合だ、と自身を叱咤激励した・・。
            

そして家内から借りた可愛らしいエプロンを着て、台所で皿洗いを始めた。
食器専用の洗剤液をスポンジにたらし、それぞれの茶碗、皿などに丁重に擦(こすっ)たりした後、
盛大に水道水で洗い清めたりした・・。

こうした時、どうした心情が解からないが、
♪嵐も吹けば 雨も降る・・と大津美子さんの『ここに幸あり』の歌を、かぼそい声で唄っていた。

そして♪・・女の道よ なぜ険(けわ)し  君をたよりに わたしは生きる・・
と唄ったりした。

この数分後、家内や私の妹も団塊世代の人であり、専業主婦が多く、
妻が専守防衛長官ように家庭内を維持管理していたので、もとより発言力も増し、
まして平成の時代になると、共稼せぎの多い時代に変貌してきたので、
この歌の内容は、死語だょねぇ、と苦笑したりしていた。

そして私は微苦笑しながら、確か1956年(昭和31年)の私が小学5年生の時に、
ラジオから盛んに流れていた歌だったので、
俺も古い人間でやはり齢は隠せない・・、と思ったりした。
            

こうした独りぼっちの『おひとりさま』の私が、台所で皿洗いをする時は、
何故かしら歌を唄う時が多いである・・。

しかながら、こうした時に恥ずかしい思いを私は秘めたりしている。

確か7年前の4月下旬に於いて、やはり家内が留守なので、昼食後のひととき、 私は台所に立った。

台所のひとつの戸を開け、そして前掛けをして、腕まくりをした後、皿洗いなどをした・・。
こうした中、CDラジカセを持ち込んで、一枚のCDをセットした・・。

少し山積みとなった皿、丼ぶり、小鉢などを水を盛大に出しながら、
スポンジでこすり洗ったりしながら、心の中は、さぁ~いくぞ・・という心境であった。

私がセットしたCDは、ハードロック・グループの『X JAPAN』のひとつのアルバムであった。
過ぎし1997年(平成9年)の頃に、当時52歳の私でも瞬時に魅了され、
遅ればせながら『X JAPAN』に夢中になり、帰宅するたびに殆ど毎晩、2時間ぐらい聴きこんだりしていた。

こうした体験を秘め、平熱になった定年後の年金生活でも、ときおり余韻のように聴いたりしている。
そして私が唄ったのは、高校野球の応援歌で、演奏されたりしている『紅』であった・・。
            

♪紅に染まったこの俺を慰める奴はもういない
・・・
【『紅』 作詞・作曲 YOSHIKI】

この後、台所専用の洗剤で皿などをこすった後は、水洗いを盛大にしたのであるが、

♪もう二度と届かないこの思い
 閉ざされた愛に向かい
 叫びつづける
・・・
【『紅』 作詞・作曲 YOSHIKI】

この歌に準拠して、ボーカルのTOSHIに負けじと私なりに唄い続けた・・。

私は水洗いをしながら、この歌を『一曲繰り返し』セットし、唄い続けたのであるが、
不思議ながら合致するのである。

もとより余りバラードであると、聴き込んでしまうので、
程々のハード・ロックが心身の波長に合うと、小綺麗になった台所で、独り微苦笑したりした・・。
            

この後、台所の戸を更に大きく開け、煙草を喫いはじめていたら、
玄関のチャイムが、コッキラ・・コ~ン!・・、と鳴り出した・・。

私は玄関が見える窓から、そぉ~と見たら、
30歳前後の麗(うるわ)しいご婦人が幼児の女の子を伴い、立っていた。

私は自治会の役員の御方が、共同募金の収集でお見えになったのだ、と解かったが、
前掛けと腕まくりの60代の小父さんとしては、少しあわてたりした。

そして、私は『はぁ~い』と大声で言いながら、前掛けを取り、応対したりした・・。

もしも私は15分ほど早かったら、『X JAPAN』と共に、大声で唄っていたので、
もとより見せられる格好でなく、今であってよかったよ、と呟(つぶや)いたした苦い体験があったりした。

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