夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

定年後の年金生活11年を過ごしてきた中、失ったこと、或いは得たことに思い馳せ、やがて微笑んで・・。

2016-04-11 15:33:12 | ささやかな古稀からの思い
私は2004年(平成16年)の秋、ある民間会社に35年近く勤めて定年退職後、
多々の理由で年金生活を始め、早や12年生となっている。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
東京の調布市の片隅みで、雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で幸いにも、私たち夫婦は大病に遭遇せず、今日に至っている。
          

日頃の私は、午前中に平素の買物専任者として、家内から依頼された品を求めて、独りで最寄りのスーパー、
或いは駅前まで利便性ある路線バスも乗車せず、片道20分前後の歩道を歩き、
スーパー、パン屋とかドラッグストアーなど専門店で買い求めたり、ときには本屋に寄ったりしている。

その後は、健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わない、と確信を深めて、
独りで自宅の周辺3キロぐらいの中の住宅街の道、遊歩道、小公園などを
ひたすら歩いたりする中で、 季節のうつろいを享受している。
          
午後より夜の大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

こうした中で、ときには小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか遊学してきた。
          

このように年金生活を過ごしてきたが、午前中のひととき、いつもように散策し、小公園に芽吹きが終わり、
新緑をぼんやりと眺めていた時、定年後の年金生活の中、失ったこと、或いは得たことに思い馳せたりしてしまった・・。


失ったことは、年金生活を始めた60歳の当初より、恥ずかしながら体力の衰えを実感させられたりしている。

或いは親戚の叔父さん4人、叔母さん2人に死去されたり、
私の大切な4人の友人、同世代の知人が不幸にして大病に遭遇して、やがて逝去されたり、
幾たびか冥福をしたりしてきた・・。

そして齢を重ねると、出逢うことより別れることが多い、と古人から伝えに実感させられながらも、
愛惜を深めたりしてきた・・。

或いは貯金は減り続け、年金は実質的に目減りしてきたので、苦笑したりしてきた。
          

やがて得たことは、余りにも多く、私は独りで微笑んだりした・・。

私は亡き母の遺伝を受けたらしく、男の癖におしゃべりとなっている。
朝食とか夕食の時には、それぞれ家内と一時間ぐらいは談笑したりしている。

そして家内は従来通り料理、掃除、洗濯などをしてくれるので、
せめてと私は思いながら 家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、
日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている中で、お待たせ致しました、と言いながら家内に話しかけたりしている。

こうした中で、私は家内と共に月に3回ぐらいは外出している。
駅前に行き、スーパー、ホームセンター、ドラックストアーに、ときには都心に買物に行ったりしているが、
こうした時の私は積極果敢に、家内のボディガード兼お供となり、荷物持ちの重責を果たしながら、
歩いている中で、語り合ったりしている。

そしてときには、国内旅行の旅先で遊学しながら、語り合い、のちの思いを重ねたりしてきた。
          

私はデジカメを定年退職の記念品として買い求めて、今や3台目と買い改めてきたが、
この間に、私が散策したり、家内と国内旅行をしている旅先でも、
一期一会だと思いながら、記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、記憶のかたみとして撮ったりしてきたが、
昨今、9000枚近くになっているので、少し多いかしら、と微笑んだりしている。

そして小庭には、つたない半生を歩んできた私は、
せめてと思いながら、定年後に幼い樹を植えて、今や大きく成長してきたので、
ときおり微笑ながら眺めたりしている。

或いは私は年金生活を過ごしている中で、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          
私は定年後、まもなく偶然にブログの世界を知り、丸11年が過ぎて、早や12年生に進級する中、
パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。
          
      
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時までのつたない人生航路、
そして年金生活の安楽な日々が多い心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
そして数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。    
                                                
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは4年近く前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
       
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
                                                                   
こうした中で、セカンドライフを過ごされる数多くの諸兄諸姉のブログの投稿文を読ませて頂き、
このように日常はお過ごしされている、このような思いを秘めている・・
多々教示させられ、ときには私が励まされるようなこともあったりしている。
          
何よりもこの広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、心の財産となっている。
          

このように私は幸運にも、ささやかに家内と年金生活を過ごす中、
数多く思いが増え、齢を重ねることも良きことだねぇ、と微笑んだりしている。

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コメント (2)
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