夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ネットの書き込みは、自宅玄関に貼れる内容が限界と学び、ブログ12年生の私は微苦笑して・・。

2016-04-10 13:02:28 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、インターネットに関して、私が定年退職した2004年(平成16年)の秋に迎る前の夏に、
遅ればせながら我が家にインターネット回線を導入した。

これ以来、固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
据え置き型のパソコン、予備機としてノートパソコンを設置して、今日に至っている。

ここ11年、据え置き型のパソコンに関しては、故障とか新製品に戸惑いながら、
やむなく3回ばかり新機種を買い改めたりしてきた。
                                       

こうした中で私は、ガラケーと称される携帯電話に興味がなく、今日まで至っているが、
6年前の頃から、私たち夫婦のどちらかが、ボケる前には携帯電話が必要と思ったりした。

過ぎし昨年の3月中旬、家内用に携帯電話の入門者に最適と思われる『らくらくホン』コースを一台ばかり買い求めたが、
メールとか写真などを利用できず、単なる移動できる電話機として使用している。
そして私は相変わらず、『ひかり電話』を使用している。
         
このような状況であり、ましてスマホと省略されているスマートフォンも使えないのである。
そしてスマホは、ここ7年急速に普及して、2012年(平成24年)には世帯保有状況が40%となり、
最近は60%になった、と私は学んだりしてきた。

そして私は、フェイスブック、ツイッター、そしてモバイルパソコンにも無縁であり、
やむなくインターネットは固定回線の光ファイバーの『フレッツ』を頼りに、
せめてと思いながら据え置き型のパソコンとノートパソコンを利用し、ブログを日々投稿している。

このように私は、無線のモバイル情報機器に遠い世界の出来事のような思いながら、
稀(まれ)な時代遅れの国民のひとりとなっている・・。
            

私は年金生活を始め、まもなくブログの世界を知り、丸11年が過ぎて、早や12年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。
                                                   
こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
         
私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。
       
従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。   
            

昨夕のひととき、愛読している『東洋経済オンライン』を読んでいたら、
【 その書き込み、玄関に貼っても大丈夫ですか 】と見出しを見て、
ネットに関しての書き込みに関して内容と思い、具体的にどのようなことですか、とクリックして精読してしまった・・。

やがてこの記事を寄稿された御方は、小木曽健(おぎそ・けん)氏であり、
グリー株式会社で政策企画室・安心安全チームマネジャーされる中、インターネット啓発に関する全国での講演し、
講演を基に作成した無料教材「事例に学ぶ情報モラル」を普及されている方と知ったりした。

こうした御方であって、私は多々学びながら、微苦笑を重ねたりした・・。
無断ながら主要な部分を転載させて頂く。

《・・投稿をするとき、その文章を実際に自宅玄関へ貼り出している状態を想像してみませんか
            

■ネットで絶対に失敗しない方法

そもそもネットの中にいる人って、どんな人達でしょう? 

答えは簡単、私たちです。
現実世界で暮らしている普通の私たち、これがネットの中にいる人達です。

ではネットの中での人間の感情、面白いと思う気持ちや怒る理由、ルール、マナー、文化はどうでしょう? 
これだって現実世界と同じですよ。すべて一緒です。

ネットの中でも罪を犯せば、現実の牢屋に放り込まれます。

つまり、日常とネットは同じもの、日常はネット、ネットは日常。
わざわざ『日常』と『ネット』を分けて考えるから、ややこしくなるのです。

日常とネットを同じものだと考えた瞬間、こう言えませんか? 

日常でやっていいことは、ネットでもOK。

日常でやらないことは、ネットでもやらない。
            

■家の外側で、身元が確実にバレる場所

”インターネットというものは、実はすべて玄関の外側なのです。
パソコンもスマホもLINEもメールも、ネットにつながっているモノは、すべて家の外側です。

しかも、その『外側』には特徴があります。
アホなことをやらかせば、確実に炎上し身元がバレる、ネットはそんな場所です。

家の外側で、身元が確実にバレる場所ってどこですか? 自宅玄関ですよ。
これがネットの正体なのです”

ネットにモノを書くということは、自宅玄関にベタベタものを貼っていくのと同じ作業なのです。
だから玄関ドアに貼れるものは、ネットに貼っても全く問題なし。

そしてドアに貼れないものは、ネットに書かない方が良い、のではなく・・書けないのです。

● 暴言を投稿し続けた会社員。個人特定され降格・懲戒
● 車内で他人を撮影、誹謗中傷した学生。個人特定され停学
● タレント来店を投稿。個人特定され会社HPで謝罪文

どれも決して玄関に貼らないものでしょう。
これまでに起きた数多くのネットの事件、トラブル投稿で、「自宅玄関に貼れたであろうモノ」は、ほぼありません。

逆に「玄関に貼れるモノ」なのに、それが原因でトラブルになったケースも見つけられませんでした。

自宅玄関に貼れるものがネットの限界。
だから、自宅ドアを基準に判断すればOK。
これがネットで絶対に失敗しない方法です。
            

■賛否両論も、年齢層でくっきりと

皆さんの反応は、反対・賛成に大きく分かれます。

反対意見(主に若年層)
 ・玄関に貼れないものを載せるからネットは、面白いんだよ
 ・現実では言えないこと、だからネットに書くのです
 ・「おはよー!」だって玄関に貼ったら変じゃない? 

賛成意見(主に成人層)
 ・わかりやすい良い例え
 ・子供に情報リテラシーを教える時に使える
 ・これに否定している人たち、いつかネットで失敗しそう

「そのツイート玄関に貼れますか?」とネットで検索すると、今でも当時の議論がたくさん見つかります。
そして面白かったのが、皆さんの賛否が、見事に「年齢層」で分かれたという点です。

若年層であれば、炎上しない程度の「アホな投稿だな」「書かなければいいのに」は許されます。
でも大人はそうはいきません。
社会的な評価・信用に直結し、失われたモノは取り返せないのです。
            

「玄関に貼れないから面白いんだ」とか「現実では言えないからネットに書くんだ」と言えるのは、
実は人生のシガラミ、抱えているモノがまだ少ない、身軽だという証でもあるのです(ちょっと羨ましい)。

ちなみに私がネットに書かないモノ(=玄関に貼らないモノ)は、

政治の話
外交問題
宗教の話(一般論は書きます)
下ネタ(程度による)

だいたいこのあたりです。
あくまで私の基準であって、社会的な立場や職業、主義によっても変わってくるでしょう。
人それぞれですね。
            

■自宅玄関に貼れるものがネットの限界

でも皆さんだって、初対面の方々と会話する立食パーティーでは、こういう話題を無意識のうちに避けているハズです。
ネット=現実だと考えれば、これくらいの感覚が丁度いいのかもしれません。

とにかく、自宅玄関に貼れるものがネットの限界です。
これがネットで絶対に失敗しない方法!・・》
注)記事を抜粋し、主要な部分をあえて改行を多くした。
            

今回の記事を読みながら、私は微苦笑を重ねて、確かにそうですよねぇ、と思い重ねたりした・・。

私の投稿文は、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを綴ってきたので、
幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情、ときには社会問題も綴ったりしてきた。

或いは政治にも疎(うと)い私でも、余りにも心の節度が欠けた時の政治家には、
いたたまれず投稿文に認(したた)めたことがあったりした。

国際主要国は、歴史観、それぞれ国益に基づいて言動をされるが、
民主党政権下で鳩山首相が、いずれも欠如して、園児のようなふるまいだ、と非難文を投稿したりした。

或いは管首相の時代となったが、党内の権力闘争で、唐突な言動が多く、もとより肝要な閣僚の方たちに戸惑いをさせたりし、
私は無力ながら非難文を3通ぐらい書き、発信したりしてきた。

しかしながら、うすぎたない文章は私の人格を問われるので避け、たとえ痛烈な内容であっても、
義務教育で習った日本文を認(したた)めてきた。
            

こうした中で、私が体験してきたことは、コメント上で私は卑劣なコメントを幾たびも受けたりしてきた。
この時、私はこれには、困ったなぁ、と感じたりした。
私は大学中退の身であるが、書き込みをされた方は、たとえ大学、大学院などを卒業されても、
心の貧しい人と思っている。
          
このようにネットの世界は、なんでもありの不思議な世界である。
            

人誰しも、この人生航路を歩み中で、光と影を有しているが、
つたない私でも光と影があり、特に暗く影のことも、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しも、
このサイトにためらいながら、マイナスと称される影も私は描写してきた。
          
しかしながら私は、どうしても表現できないこともあったりした。
このことは私の人格さえも問題視されることであり、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては、綴れなかったことがある。

たとえば、皇室の問題であり、天皇陛下、皇后陛下には限りなく敬愛を深めているが、
肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻の言動に、ときおり憂(うれ)いを感じたりしている。

或いは私の勤めた音楽業界のあるレコード会社に35年近くの中で、秘めたる事柄は数多くあるが、
守秘義務もないが、退職後の丸11年を過ぎた今でも、心の礼節として綴れない。

やはり社会人として、遅ればせながら25歳で中途入社できた時から、
何かと上司、先輩、同僚、後輩、知人のたゆまぬ激励と支援の中で、定年退職時まで、
奮闘できたことであり、今でも感謝している。

このような思いで、もとより社員と経営者、株主の結晶である会社にも感謝しているので、
秘めたる悪しきことは、心の礼節としてできない。

そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈している現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。

或いは社会を震撼させる卑劣な悪質な犯行する方は、もとより非国民の言動あり、
たとえ日本は法治国家であっても、性善説を捨てて性悪説の基で、
法務大臣の特例で、絞首刑が妥当と思っている。
          
このようなことを思いを秘めているが、こうしたことを綿密に投稿文で綴れば、
もとより私の人格さえも問題視されることであり、小心者の私は書けないでいる。
            

こうして私はブログを殆ど毎日投稿してきたが、3年半前の頃から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。
                    
しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多く、苦笑している。
 
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コメント (2)
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