夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

山口百恵ちゃんの『秋桜(コスモス)』、齢を重ねた私でも、心の中で唄いながら・・。

2011-10-25 09:15:45 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
今朝は曇りの合間、ときおり淡き陽射しが射し込む穏やかな日を迎えている。

先ほど、主庭のテラスに下り立ち、ほんのりと黄色、朱紅色に色づき始めた落葉樹を眺めたりしていた。
私はぼんやりと、時が止まったように静寂なひとときが流れ、
心の中でひとつの歌が流れたのである・・。

♪淡紅(うすべに)の秋桜(コスモス)が秋の日の
 何気ない 陽溜(ひだま)りに揺れている
 
【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】


このような心の中で呟(つぶや)きながら唄ったのであるが、
この後、私は『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃を想いだされたのである・・。


確か『秋桜(コスモス)』が発売されたのは、1977(昭和52)年の秋で、
私は前年の春に家内と結婚し、千葉県市川市のはずれにある国府台に住んでいた。
周辺は住宅街の中で、中学、高校、大学の四校があり、
付近の丘には由緒る寺もあり、表通りから数分奥まると、それなりに静寂な住宅街で、
全般的におちついた文化が香る街並みであった。

こうした中で私たち夫婦は、賃貸マンションを借りて新婚生活を過ごしていた。
そして一年半を過ぎようとした頃、この『秋桜(コスモス)』の歌が商店街の歩道を歩くと流れていた。

私は、音楽業界のあるレコード会社に1970(昭和45)年から勤めていたが、
この歌が流れていた当時の私は、本社のコンピュータ専任として孤軍奮闘し、
前年のシステム改定が終り、何とか乗り切れたと安堵していた頃であった。

そして私は住居のことで、いつまでも狭い2DKの賃貸マンションを住むことなく、
分譲のマンション、或いは私の実家に近くに一戸建てにするが、
家内と話し合った結果、一戸建て用の土地の取得と家の建設会社の選択、
そして住宅ローンの交渉などで多忙となり始めた時てあった。

結果としては、私の若気の至りで家の内部に茶室を設けて、私の実家に近くに一戸建てが完成し、
住みはじめたのは翌年の1978(昭和53)年の春であった。

そして計画していた以上の借金をしたので、それまで専業主婦をして茶事などを学んでいた家内は、
働きに出て、共働きとして私達夫婦は悪戦苦闘が数年続いたのである。


この『秋桜(コスモス)』が街に流れた頃は、今から振り返っても歌の全盛期であり、
名曲が揃った時代だった、と改めて思ったりした。

ピンク・レディの全盛期の中で、
岩崎宏美さんの『思秋期』、中島みゆきさんの『わかれうた』、河島英吾さんの『酒と涙と男と女』等が想い出される。

もとより『秋桜(コスモス)』の名曲は、さだまさし氏の作詞であるが、
良き詞を提供してくれたと思っている。
そして翌年の秋に発売された『いい日旅立ち』は、谷村新司氏が作詞しているが、
この曲も双璧の名曲である。

改めて山口百恵ちゃんは、恵まれたというより、唄いきったこの方も素晴しいが、
何よりも作詞で綴られたこのお二人の感性に、私は脱帽する。


過ぎ去れば時の流れは早いが、その時代に唄われ心に残る名曲は、
その時代のそれぞれの方の思い出を蘇(よみがえ)る力が存在する確かなことである。
私はこのようなことを思いながら、心の中で、

♪こんな小春日和の 穏やかな日は
 あなたの優しさが 浸みて来る

【『秋桜(コスモス)』 作詞・作曲 さだまさし、唄・山口百恵 】

と唄ったりした・・。


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