夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

衣替えの時節、私もブログのテンプレートを活用して、ブログの表示を一新・・?!

2011-10-04 16:34:45 | 定年後の思い
この【gooブログ】の私のサイトに於いては、
確か2008〈平成20〉年の春から、【gooブログ】の基準デザインを活用させて頂き、
この中のテンプートのひとつを利用させてもらい、
長らく愛用してきた。

昨日、私のブログのタイトル名を改定し、下記の通りした。

サイト名称・・【 年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~ 】
                   ==>変更後【 夢逢人たわむれ記 ~かりそめ草紙~ 】

このことについては、昨日に明記したが、再掲載をすれば、

【・・
名称『年金たわむれ記 ~かりそめ草紙~』は、
2008(平成20)年5月より命名してきましたが、
このたびより、改称させて頂きます。

理由と致しましては、私も10月20日を過ぎますと、
年金生活8年生となり、高齢者3年生の身でありますので、
【年金青年・・】は無念ながら体力も感性も衰え、いつまでも【青年】の名称は厚かましく感じ、
改称を決意した次第です。
・・】

この後、この変更に伴い、各関連の部分を修正をしたりしたが、
ブログの基準デザインも改訂しよう、と思ったりしたのである。

この10月の初めは、夏服さようなら、冬服こんにちは、の衣替えの時期でもあるので、
これに準じて、とぼんやりと考えたりした。


もとより私はブログなどのWeb技量はないので、
加入している【gooブログ】の基準デザインを活用させて頂き、
この中のテンプートのひとつを選定するだけであるが、
いろいろと魅了されるデザインがあるので、昼前後に迷ったりした。

従来、利用していたのは、【ベーシック】系の『ブラック』であり、
【緑のgoo】系のシンプルで優しさが感じられ、
【自然】系の『星空』、『サンセット・ピーチ』などの美麗、
【グルメ】系の『赤ワイン』のシンプルさ、
このように迷いながら、結果としては【インテリア】系の『書斎』にした。

私は写真も掲載しないタイプのひとりなので、
文字だけの表現方法としているので、これで良いだろう、と決定した。


服と違い、ブログの基準デザインの改定は、
その季節で何回も替えるのは、読んで頂ける方たちに戸惑いをもたらすし、
もとより書き込む当人の私でも迷いが生じるので、
果たして何年ぐらい保持できるかしら、と微笑んだりしている。

そして、従来の表示は角ばった太文字のゴシック字体、
改定は明朝体の優しい字体となっている。

このような変貌は、ともすれば独断と偏見がある私の一面が、
齢ばかり重ねて、何とか少し丸くなった性格の表れかしら、
と微苦笑したりしている。


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黒澤 明・監督の『悪い奴ほどよく眠る』を観た後、昭和35年(1960年)の頃を思い馳せて・・。

2011-10-04 10:02:57 | 定年後の思い
私は昨日の深夜、ぼんやりと居間に映画棚から、ひとつのビデオ・テープを抜き取り、
テレビを通して、鑑賞した。
たまたま黒澤 明・監督の『悪い奴ほどよく眠る』を選定したのであるが、
昭和35年(1960年)に公開された映画であり、黒澤プロダクションの第1作とも知られている。

私はこの映画を昭和39年(1964年)前後に、
遅ればせながら名画を上映する映画館で観たりし、3年前に自宅の居間で鑑賞したりしてきた。

改めて観た映画であったが、当時はテレビが普及しはじめたといえ、
まだまだ映画界は数多くの映画が上映され、
多くの日本人は映画館に出かけて、入場料を払い、鑑賞した時代でもあった・・。

この映画を観るたびに、何よりも驚き、そしてため息をさられるのは、
出演される俳優の豪華さであった。


私は昨今、映画を鑑賞後、ひとつの本を開くことが多いのである。
映画専門誌の『キネマ旬報』の増刊号で、
『1946~1996 キネマ旬報 ベスト・テン全史』であり、
通算70回記念出版として、平成9年(1997年)2月22日に発刊された書物である。

昨夜もテレビであったが、観賞を終えた後、
深夜にこの本を開き、この映画が上映された頃の昭和35年のページを読み、
この当時の頃の私に思い馳せたのである・・。



東京郊外の調布市で育った私が、地元の中学校を卒業したのは、
昭和35年(1960年)の春であった。

その直後、都心の私立高校の普通科に入学し、
都心育ちの多い学友と初めて接し、こうした影響もあり、
生まれた初めて勉学の楽しさを知り、そして文学にも目覚めた。

しかし、『安保新条約』に伴う反対デモで社会全体が喧騒し、
6月の初日は都心の治安が不安定となり、学校が臨時休校となったが、
この頃の私は、恥ずかしながら『安保新条約』は無知であり、
無邪気に明治時代からの小説を読み耽(ふけ)っていた。

そして、『安保新条約』反対デモで、東大生の女子大生が亡くなったり、
その後、街には西田佐知子の『アカシヤの雨がやむとき』の歌が流れていた・・。

秋になると、浅沼・社会党の委員長が演説中、
右翼の少年に刺殺されるという惨事があり、
私は衝撃を受け、時事の世界に関心を持つようになった。


日常生活に於いては、テレビのドラマ『ガン・スモーク』、『ローハイド』、
『ララミー牧場』、『ボナンザ』、『ライフルマン』等を視聴していたが、
相変わらず小学4年頃から映画館に独りで通ったりし、映画を観たりしていた。
この頃の私は、洋画一辺倒であり、
『ベン・ハー』、『アラモ』、『太陽がいっぱい』、『渚にて』等と、
明るいアメリカの青春映画であった。

その後、まもなくリバイバル・ブームとなり、私は下校の時に、
有楽町に行き、
『風と共に去りぬ』、『禁じられた遊び』、『駅馬車』などの名作を
日比谷の映画館で、観たりした。

この後、高校二年の冬休みのひととき、
黒澤 明・監督の『椿 三十郎』と『用心棒』の2本立てを、
二流の映画館で観たのであるが、『用心棒』に感銘し、
私は日本映画も捨てたもんじゃない、と強く感じて邦画も再び熱狂したのである。

そして、昭和39年(1964年)『東京オリンピック』が開催される頃まで、
『悪い奴ほどよく眠る』が封切られた昭和35年当時の映画も、
名画を上映してくれる映画館に通いつめて、鑑賞した。

改めて昭和35年の上映された作品を思い浮かべると、
邦画は『おとうと』、『黒い画集 あるサラリーマンの証言』、『笛吹川』、『秋日和』、『裸の島』等、
洋画も『チャップリンの独裁者』、『甘い生活』、『大人は判ってくれない』、
『勝手にしゃがれ』、『スリ』、そして『人間の運命』、『誓いの休暇』など、
後年の昭和39年(1964年)に大学を中退し、映画青年の真似事をした時に、
遅ればせながら鑑賞したりした。

あの当時の昭和35年の映画は、テレビが普及し始めた頃であっても、
数多くの人は、映画館で入場料を払い、鑑賞していた時代であった。
この当時の作品は、まさに満天の星空の中で、キラキラ星のような名画が多々上映されて、
ため息するほど、映画界も幸福な時代であった。


このような思いを馳せながらも、
私にとっては多感な少年が青年へと変貌する時代であり、
貴重な心身の日々を重ね、今の私にとっては、何よりの心の財産と思っている。


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