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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

倉本聰(くらもと・そう)・著の『疚(やま)しき沈黙 ~富良野風話(五)~』

2010-03-17 15:37:58 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であり、
過日、駅前の本屋に寄って、店の棚から偶然に倉本聰・著『疚(やま)しき沈黙 ~富良野風話(五)~』(理論社)が目に留まり、
購入して、ここ4日ばかりで読みながら、多々教示を受けたのである。

私は氏の書かれたシナリオ、映画の脚本の一部を除き、随筆に関しては殆ど拝読してきたが、
今回の本書は昨年の2009(平成21)年10月に発行されて折、
私が少しボケて気付くのが遅かったのか、氏の意向の中小の出版社であり広告の少なさからしら、と苦笑しながら読みはじめた。

拝読後、氏は1935(昭和10)年生まれで75歳となるが、
世界の人々少なくとも日本の人々に、真摯な警告の数々を認めた遺書のように私は受け止めたのである。
もとより氏は現在でも第一線のテレビドラマのシナリオ、自身の演劇劇団を統括し、
講演などを含めて常に第一線で活躍されている人であり、私は秘かに敬愛しつづけて20年は過ぎている。


http://rironsha.bookmall.co.jp/search/series.php?isbn=D9784652071618
☆ 理論社 倉本聰・富良野風話シリーズ ☆

本書は氏が『富良野風話』の第5集の随筆であり、本に明記されている通り、
《『財界』(財界研究所)2006(平成18)年2月28日号~2009(平成21)年9月8日号に連載された文章に一部加筆した》
と表していて、
この時期の氏の思考されていることや社会の出来事に対しての思いを発露している。

今回も氏が長らく言動してきた環境問題、日本人の昨今の劣化、鈍感さ、そしてテレビのもたらす社会への悪影響を
具体的な出来事に重ねて明確に表現している。

そして組織の中で、いかがわしいことがあっても、それぞれの人々が沈黙すれば保全となり、自己の保身となり、
《疚(やま)しき沈黙》と称して問題の提起をしている。


地球の命として環境問題を命題されている氏であるが、
『石油』の章に於いて、
《・・
46億年の地球の歴史の中で、石油が地中に備蓄され始めたのは、わずかに凡そ2億年前から。
・・
このままのペースで石油を使えば・・2040年には掘りつくして終了、と予測されている。
・・》
と明記された後、近年の人の余りにも利便性のみを追求し、地球の高温化を招こうとしている警告している。

そして『あと、40年』の章では、
私達の生活に欠かせない石油であるが、石油に依存した現状をむやみに続けると、あと40年ぐらいで枯渇する事態に対して、
《・・
そこまでの重大事を判っていながら、メディアも政治も行政も避けて、
見ぬふりをするというなら、人類は今やよくよく脳天気な動物になり下がってしまったという他はない。
あと40年。・・少なくとも我々は今、予測される最悪の事態に、
一人ひとりが智恵を使うべき時ではないか。
・・》

そして環境問題を疎(おろそ)かに放置すれば最悪の場合は、
『うやむや』の章で、地球気象の変化を明記された後、
《・・
この星はかって6億年前、CO2の温室効果による地球高温化によって、
海水温度が45度を超え、数千年に及びハイパーハリケーンの時代を経ている。
この時代に吹き荒れたハリケーンの気圧は実に300ヘクトパスカル。風速300メートルといわれている。
これはSFの世界ではなく、近未来に再発し得る我々の星の世界である。
・・》

このような余りにも利便性に人は頼り過ぎた上、
農作物ひとつにとっても、食料自給率40パーセント弱となり、単に安ければ輸入品に頼る現状に、
『中国ギョーザ』の章に於いて、
《・・
戦後の飢餓の時期、日本の農村には、農の技術と伝承者達がいた。
今もし食糧が輸入できなくなったら、日本の腹はどうなるのだろう。
目先の利に走り体を使うことを避け、人間生活り根源を忘れた日本人。
・・》

或いは道路の新設・拡張などで『道路特定財源』の章に於いては、
《・・
ガソリンで大気を汚している以上、そこから徴収される税金は、
まず環境にこそ使われるのが筋ではないかということである。
汚した上に更に汚染を助長するもののためにその税金が使われるというのはおかしい。

我々人間は酸素を吸って生きている。酸素なしには数分と生きていられない。
歩くことも眠ることも食べることも恋をすることも、
家族のことを考えることも国会で議論することも出来ない。
・・
そして、その酸素を作ってくれるのは植物である。
植物はCO2を吸収し酸素を放出し、それに対して我々動物、特に人類はその酸素を吸収し、CO2を放出している。
中でも人類の行動の中でCO2を放出しているものの一つがガソリンであるとするならば、
そのことのもたらす害毒に対し、償うべき義務が我々にはある。

・・
日本にも不毛の地はいっぱいある。・・
都心がそうである。道路がそうである。
コンクリートやアスファルトに覆われた地面は、作物ができないから不毛の地である。
それでもまだ人々は不毛の地を増やせというのだろうか。

今日の便利のため、明日の選挙のため、
そういう小さすぎる利益のために国会で叫ぶのはいいかげんにして欲しい。
いやしくも選ばれた国会議員であるなら、
少なくとももう少し大きな視野をもって地球というものを考えてほしい。
・・
我々は日本国民である前に、地球の上に生きる生物なのだ。
あなた方は多分自分の家族、子供、孫の孫の暮らしのことなど
どうでも良いと思っているのではあるまいか。
・・》
注)引用した原文にあえて改行を多くした。


このように環境問題のひとつとっても、水のこと、家庭廃棄物などを含めて、提示している。
そして社会の劣化も問題を掘り下げて、私達に提示している。


私は本書を拝読した後、地方の方はもとより都心で生活されている方に読んで頂きたいと思ったりしている。
そして何よりも国家議員、自治体の幹部の諸兄諸姉に、たとえ睡眠時間を削ってもお読み頂きたいと念願している。


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東京郊外も、寒の戻りも『花冷え』と思えば・・!?

2010-03-17 08:00:35 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
今朝、玄関庭の軒下で煙草を喫っていたのであるが、ときおり北風が強く吹き、
少し寒いじゃないの、と感じたりした。

居間に戻り、地元の天気情報を見たりしていると、
朝の6時は5度、昼下がりは12度前後、夕暮れの6時は9度前後となり、
日中は快晴に恵まれますが、北風が冷たく感じますので、
昨日より10度ばかり体感が低下しますので、風邪に注意しましょう、
と私には聴こえたのである。

昨日の16日は雨上がりの朝を迎え、朝の6時は12度、昼下がりは20度となり5月中旬のような陽気となり、
私は冬のスポーツシャツで買物に行き、少し汗ばんで微苦笑したりした。
そして夕暮れの6時でも16度となり、早くも朧月夜(おぼろづきよ)か、と微笑んだりした。

そして一昨日の15日は、朝の6時に6度、昼下がりは17度、夕暮れの6時は15度となり、
穏やかな春の陽気に恵まれて、私は小躍りしながら遊歩道を散策したりした。


我が家の庭は、白玉椿(シラタマ・ツバキ)花も散った今、
藪椿、ラッパ水仙、鈴蘭水仙、ヒアヒンス、クロッカスなどの花の彩(いろど)りを見せてくれている。
私は北風を受けながらテラスに下り立っていると、
花冷えのような日を迎えて、やむえず花持ちよいかしら、と微苦笑したりしている。

私は日中のひととき、いつものように買物と散策をする予定で、
この時節は、相変わらず落葉樹の芽吹き、幼葉を誉(ほめ)ながら、
どの遊歩道を歩こうかしら、とぼんやりと考えている。




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