夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京郊外の住む私は、春の嵐の後、お墓参りとなり・・。

2010-03-21 15:21:51 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、南風が強く中、果たして明日の天候はと思いながら、布団にもぐり寝付いた。

深夜の未明に突然に目覚めたのである。
我が家は住宅街の外れの古びた二階建ての家であるが、2階の寝室で横たわっていたのであるが、
風圧のように感じられ、目覚めてしまったのである。
平素の私は、たとえば地震が震度3ぐらいの弱震では、目覚めることのない鈍(に)ぶい人であり、
悠然と熟睡するタイプであるので、瞬間風速も強く強風が吹き荒れていたのである。


今朝の6時過ぎに起きだして、玄関庭の軒下に下り立つと、
風は吹き、ときおり小雨が降ったりしていた。

樹木は雨に濡れ、地面は黒くなっていたので、未明時に激しい雨が降ったと思ったりした。
そして庭の片隅にはビール20本入りのプラスチックのケースが二つばかりあり、
ペットボトルの空き、缶ビールの空き缶が散乱し、
台所の外への出入り口の付近から強風で吹き飛ばされたのか、と苦笑したりした。

私は台所の外への出入り口の指定場所に拾い集めた後、この時節としては暖かさ過ぎると感じたりしたのである。

この後、私は地元の天気情報を視聴し、
朝の6時は16度、南西の風は強く吹き荒れ、ときおり雨も降る午前中となりますが、
午後は急速に回復して20度前後の快晴となります、
と報じていた。

私はどんよりとした暗い雲が急速に流れる空を見つめたりし、
本日の『春分の日』はお墓参りを毎年に午前中にしているので大丈夫かしら、と眺めていたのである。

そして7時半過ぎに陽射しが射し込んできたが、この後は暗い雲があたり一面の空を覆い、
ときおり小雨が降りだしたのである。

私は午後からにお墓参りにしょうかしら、とあきらめかけた後、
8時半頃にふたたび陽射しが射し込み、空は明るく青空が広がってきたのである。


毎年この日の『春分の日』は私達夫婦は長兄宅に行き、長兄夫婦と他愛ない話をした後、お墓参りに行く。

私はお墓参りは生者の死者に対する慰めと思ったりしているが、
生を受け、両親、祖父母、親族、祖先のお陰で私がこうして生きているので、
感謝の意味から墓前にお線香、花をささげて手を合わしている・・。

『春分の日』と称されているが、自然を讃(たた)え、生物を慈(いつく)しむ日、
と制定の時に定義している。

知識人の藤野邦夫氏に寄れば、
《ご先祖を尊(うやま)い、偲(しの)ぶ変りに、生きているものを慈(いつく)しむ日》
と解説されている。

私達夫婦は、それぞれ故人から頂いた心の思い大切にし、何気なく手を合わしている・・。


こうした思いで私はお墓参りをしているが、
いつものようにお寺の境内に行ったが、境内は樹木の枝葉が散乱して折、
快晴の青空の中、ときおり強い風が吹き、
昨夜からの春の嵐のような天上の気候の神々のしわざに苦笑させられたのである。

そして、お墓参りをした後、スーパーで買物し帰宅したのは、午後2時過ぎであった。

先程、私は主庭のテラスに下り立ち、陽射しが燦燦とした中で、
ときおり風が吹き、樹木の枝葉が揺れる情景を眺め、春の嵐は過ぎたと感じたりした。



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