夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

たとえ年賀状でも、創意工夫で認(したた)め・・♪

2008-12-08 17:55:37 | 時事【社会】
私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、
年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。

元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。

そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。

一番困るのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。

例えば、

 賀正
本年もよろしくお願い致します


  謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます

 
私はこうした年賀状を拝読すると、がっかりするのである。

たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、
何か創意工夫が必要である、と思っているのである。


私は小学生の時、『習字』の授業は怠けていたので、毛筆で達筆は夢の世界であり、
『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目である。
或いは、デジカメでその人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが技量がなく、断念しているのである。

やむえず、私なり散文で綴っているが、
独創性のある文体で、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案しているのである。

この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分けているのである。
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、
私なりに工夫した文面を作成している。

古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、粗末にはできないのである。


私の年金生活になると、綴る内容もある程度一定してくるので、
少し困ったなぁ、というのも本心である。
先ほど、このサイトで年賀状に関して、私が投稿した綴りを読んで、
独り微苦笑したのである。


【改めて、『清く貧しく美しく』・・♪】と題して、
本年の2月28日に投稿したが、再掲載する。

【・・
私は2004年(平成16年)の秋に民間会社を定年退職し、
私の趣味の時間が欲しくて、働くことをやめて、年金生活に入った。

私は昭和19年生まれであるので、満62歳にならないと年金は満額を頂けないのであり、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。

程々の貯金を崩しながら、つつましく退職後の生活を過ごす予定で、
私は秘かに人生の信条を掲げた。

このサイトに加入する以前は、
別サイトに2年前にも同じ様な思いを投稿したことがある。


定年退職後・・野に咲く花のように、と生活信条を掲げていますが、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度な目標です。

このようなことも年賀状にも明記したのである。

野に咲く花のようにの発想の語源は、
茶人の利休の『花は野にあるように・・』の名言からヒントを得た言葉である。

『清く貧しく美しく』の発想は、
松山善三・脚本・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年=昭和36年)、
そして宝塚歌劇団の『清く正しく美しく』から、
言葉を重ね合わせ、
何かしら年金生活に相応しいと確信して、明記したのであった。



このような、ささやかな年金生活後の信条で4年目を迎えているが、
昨夜は驚き、ため息を吐(つ)いたのである・・。

嵐山光三郎・著の『人妻魂』(マガジンハウス、2007年に発刊)を読み残した章を読んでいたら、
情熱的な天才俳人と著作者が明記した杉田久女の章で、


「清き貧しく美しく」というのは理想の人妻像として広くいきわたっておりますが、
ここのポイントは「貧しい」ところにあって、
どれほど清く美しくても、その人妻が成金であると、
ワンランク落ちてしまうのです。

清純で美しく、「貧しい」人妻であってこそ、
男心はモヤモヤくすぐられる。
どうもそのようです。
しかし、あまりにも貧しいすぎてもいけない。
そのころあいが難しい。・・



私の敬愛する作者・嵐山光三郎・氏が綴られていたのであり、
私なりに渾身の言葉として発露し掲げた人生信条は、
既に近世の世情より明示されていたのである。

そして深夜、布団に正座し、私の無知にしばし呆然とため息を吐(つ)いたのである。

・・】

このように私は投稿していたのであるが、
たとえ短じかな文章を綴り、独創性のある文体で、
近況を認めるのも、苦楽を伴うのである。



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『大雪(たいせつ)』の時節も過ぎれば・・♪

2008-12-08 07:54:55 | 定年後の思い
東京郊外に住む私は、先ほどの7時過ぎから
朝の陽射しが射し込んで、眩しげに私は見つめたりしている。

先ほど、地元の天気情報を報じていたが、
朝の6時過ぎは2度、午前中は冬晴れとなるが、
午後は曇り空となり、日中の最高気温は11度前後であり、
夜の6時は9度前後が予測されているので、
この時節としては平年並みかしら、と私は感じていた。

暦の上では、『大雪』の時節を迎えてるが、
知識人の方は、山岳ばかりでなく平野にも雪が降り積もる季節ということからついた呼び名で、
街はクリスマスの飾りでにぎやかになる頃です、
と明示されたりしている。

そして私は、昨年の今頃は、このサイトを於いては・・
と思いながら読み返していたのである。


【今年も、あと三週間ばかりとなり・・♪】と題して、
昨年の12月10日に投稿している。

【・・
東京の郊外は、初冬の陽射しに恵まれ、
風なく、穏やかな朝を迎えている。

私は主庭に下り立ち、昨夜の風で、
朱紅色のモミジのたわわな葉が散りはじめたのを知った・・。

この1週間、白梅の淡い黄色、花梨(カリン)の樹木も昨日から散りはじめ、
樹木の周辺に落葉の彩(いろど)りとなっている。

先程、居間で見たカレンダーで、
今年も残すところ三週間ばかりとなったことを知った・・。

私は年金生活の4年生の身であるが、
昨今はともすれば曜日の感覚が薄れたりしている。


現役のこの時節であった時は、
サラリーマンの中小業に勤めていたので、
日曜日を除いて、朝は4時半過ぎに起床し、帰宅が10時過ぎが多く、業務に追われていた。
歳末の仕事納めの日まで、あと何日と心に言いきかせ、奮闘していた時期であった。
今年のカレンダーで表現すれば、
あと三週間頑張れば、ということである。

日曜日は平日通りに起きて、午前中に庭の手入れをして、
昼過ぎに酒を呑みながら、注文した寿司をつまみながら食べたりしたのが、
定年前の10年の実態であった。

家内は大掃除を少しづつ進めながら、
年末・年始の料理の献立を思案、素材の購入しはじめる時期も加わっていたので、
家内なりに平常月より何かと多忙であった。

私は昼食後、寝室の布団で本を少し読んだ後、昼寝をした。

そして夕暮れ4時前後に目覚め、
1週間が終わった、と心身実感していたのである。

このような繰り返しをしながら、歳末を迎えていた。


私は庭の淡い黄色、朱紅色の落ち葉をいつ掃き清めるか、
と考えあぐねている・・。

落ち葉の彩(いろど)りを享受するのもよいが、
風が強く吹くと、庭の外れに吹き寄せとなったりし、困るのである。

かといって、落ち葉を掃き清め、黒土となった地表も少し淋しいのである。

現役の時代であったならば、
疲れ切った身体で日曜日の午前中に、待ったなしで掃き清めていた、
と微苦笑している。

このような思いで、私は庭に佇(たたず)んで、
白梅の残り少なくなった淡い黄色、
朱紅色に染まったモミジを眺めたり、
朝の陽射しを受けている庭を見つめたりしている。

・・】

このように綴っていた・・。


一昨年、昨年、そして本年も同じように思いであるが、
私は確かに齢を重ねている・・。


こんな思いで何を綴ろうか、と思案していたら、
唐の初期時代の詩人の1作が脳裏をかすめた・・。

年々歳々花相似たり
歳々年々人同じからず

私なりに解釈すると、
数多くの花は、毎年この時節に花を咲かせ、変らないように咲いている。
私は毎年歳を重ね、そして歳と共に老けていく。

このように解釈をしているが、
私自身は歳を重ね身体は確かに老化しているが、
心の思いは深化し続けたい、と思ったりしている。

このようなとりとめのないことを思索していたら、
主庭の白梅の枝は夜露をたたえているが、朝の陽射しを受けて、
光を帯びていた。




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