私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、
年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。
元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。
そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。
一番困るのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。
例えば、
賀正
本年もよろしくお願い致します
謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます
私はこうした年賀状を拝読すると、がっかりするのである。
たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、
何か創意工夫が必要である、と思っているのである。
私は小学生の時、『習字』の授業は怠けていたので、毛筆で達筆は夢の世界であり、
『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目である。
或いは、デジカメでその人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが技量がなく、断念しているのである。
やむえず、私なり散文で綴っているが、
独創性のある文体で、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案しているのである。
この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分けているのである。
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、
私なりに工夫した文面を作成している。
古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、粗末にはできないのである。
私の年金生活になると、綴る内容もある程度一定してくるので、
少し困ったなぁ、というのも本心である。
先ほど、このサイトで年賀状に関して、私が投稿した綴りを読んで、
独り微苦笑したのである。
【改めて、『清く貧しく美しく』・・♪】と題して、
本年の2月28日に投稿したが、再掲載する。
【・・
私は2004年(平成16年)の秋に民間会社を定年退職し、
私の趣味の時間が欲しくて、働くことをやめて、年金生活に入った。
私は昭和19年生まれであるので、満62歳にならないと年金は満額を頂けないのであり、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。
程々の貯金を崩しながら、つつましく退職後の生活を過ごす予定で、
私は秘かに人生の信条を掲げた。
このサイトに加入する以前は、
別サイトに2年前にも同じ様な思いを投稿したことがある。
定年退職後・・野に咲く花のように、と生活信条を掲げていますが、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度な目標です。
このようなことも年賀状にも明記したのである。
野に咲く花のようにの発想の語源は、
茶人の利休の『花は野にあるように・・』の名言からヒントを得た言葉である。
『清く貧しく美しく』の発想は、
松山善三・脚本・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年=昭和36年)、
そして宝塚歌劇団の『清く正しく美しく』から、
言葉を重ね合わせ、
何かしら年金生活に相応しいと確信して、明記したのであった。
このような、ささやかな年金生活後の信条で4年目を迎えているが、
昨夜は驚き、ため息を吐(つ)いたのである・・。
嵐山光三郎・著の『人妻魂』(マガジンハウス、2007年に発刊)を読み残した章を読んでいたら、
情熱的な天才俳人と著作者が明記した杉田久女の章で、
【
「清き貧しく美しく」というのは理想の人妻像として広くいきわたっておりますが、
ここのポイントは「貧しい」ところにあって、
どれほど清く美しくても、その人妻が成金であると、
ワンランク落ちてしまうのです。
清純で美しく、「貧しい」人妻であってこそ、
男心はモヤモヤくすぐられる。
どうもそのようです。
しかし、あまりにも貧しいすぎてもいけない。
そのころあいが難しい。・・
】
私の敬愛する作者・嵐山光三郎・氏が綴られていたのであり、
私なりに渾身の言葉として発露し掲げた人生信条は、
既に近世の世情より明示されていたのである。
そして深夜、布団に正座し、私の無知にしばし呆然とため息を吐(つ)いたのである。
・・】
このように私は投稿していたのであるが、
たとえ短じかな文章を綴り、独創性のある文体で、
近況を認めるのも、苦楽を伴うのである。
にほんブログ村
年賀状を頂くのも、ひとつの楽しみとしている。
元旦の朝の10時頃に配達されるのが、毎年の慣(なら)わしとなっている。
そして、知人の近況などが付記されていると、
お元気でお過ごし・・と知り、安堵したりしているのである。
一番困るのは、定例型の挨拶文だけで記載されている場合である。
例えば、
賀正
本年もよろしくお願い致します
謹賀新年
輝かしい新年を迎えまして
皆様のご健康とご多幸を
心よりお祈り申し上げます
私はこうした年賀状を拝読すると、がっかりするのである。
たとえ年賀状の一通でも、少なくとも近況とか、
何か創意工夫が必要である、と思っているのである。
私は小学生の時、『習字』の授業は怠けていたので、毛筆で達筆は夢の世界であり、
『図画』の授業も不得意であったので、イラストで絵を描くのも駄目である。
或いは、デジカメでその人なりの心を込めた情景で表現すれば良いかしら、
と思ったりしたが技量がなく、断念しているのである。
やむえず、私なり散文で綴っているが、
独創性のある文体で、的確に近況の知らせを短い文章で表現しているが、
私は毎年、12月の中旬になると数日思案しているのである。
この近況の知らせを親族、親戚、知人、友人等に数種類書き分けているのである。
現役時代の頃は、上司、同僚なども当然として加わっていたので、
私なりに工夫した文面を作成している。
古人から、文は人なり、という至言があるので、
たった年賀状一枚と云えども、粗末にはできないのである。
私の年金生活になると、綴る内容もある程度一定してくるので、
少し困ったなぁ、というのも本心である。
先ほど、このサイトで年賀状に関して、私が投稿した綴りを読んで、
独り微苦笑したのである。
【改めて、『清く貧しく美しく』・・♪】と題して、
本年の2月28日に投稿したが、再掲載する。
【・・
私は2004年(平成16年)の秋に民間会社を定年退職し、
私の趣味の時間が欲しくて、働くことをやめて、年金生活に入った。
私は昭和19年生まれであるので、満62歳にならないと年金は満額を頂けないのであり、
この間の2年間は満額の6割弱の片翼飛行のような、年金生活を過ごすことになった。
程々の貯金を崩しながら、つつましく退職後の生活を過ごす予定で、
私は秘かに人生の信条を掲げた。
このサイトに加入する以前は、
別サイトに2年前にも同じ様な思いを投稿したことがある。
定年退職後・・野に咲く花のように、と生活信条を掲げていますが、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度な目標です。
このようなことも年賀状にも明記したのである。
野に咲く花のようにの発想の語源は、
茶人の利休の『花は野にあるように・・』の名言からヒントを得た言葉である。
『清く貧しく美しく』の発想は、
松山善三・脚本・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年=昭和36年)、
そして宝塚歌劇団の『清く正しく美しく』から、
言葉を重ね合わせ、
何かしら年金生活に相応しいと確信して、明記したのであった。
このような、ささやかな年金生活後の信条で4年目を迎えているが、
昨夜は驚き、ため息を吐(つ)いたのである・・。
嵐山光三郎・著の『人妻魂』(マガジンハウス、2007年に発刊)を読み残した章を読んでいたら、
情熱的な天才俳人と著作者が明記した杉田久女の章で、
【
「清き貧しく美しく」というのは理想の人妻像として広くいきわたっておりますが、
ここのポイントは「貧しい」ところにあって、
どれほど清く美しくても、その人妻が成金であると、
ワンランク落ちてしまうのです。
清純で美しく、「貧しい」人妻であってこそ、
男心はモヤモヤくすぐられる。
どうもそのようです。
しかし、あまりにも貧しいすぎてもいけない。
そのころあいが難しい。・・
】
私の敬愛する作者・嵐山光三郎・氏が綴られていたのであり、
私なりに渾身の言葉として発露し掲げた人生信条は、
既に近世の世情より明示されていたのである。
そして深夜、布団に正座し、私の無知にしばし呆然とため息を吐(つ)いたのである。
・・】
このように私は投稿していたのであるが、
たとえ短じかな文章を綴り、独創性のある文体で、
近況を認めるのも、苦楽を伴うのである。
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