夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ときには、家内のお供(とも)の買物となり・・♪

2008-12-11 17:09:11 | 定年後の思い
東京郊外の調布市は、11月上旬のような暖かさに恵まれて、
私は11時過ぎに家内と買物に出かけた。

私は年金生活の5年生の64歳の身であり、
日常の買物を担当しているので、殆ど独りで食料品などの買い求めている。

そして家内とは、ときおり衣料品などの購入の際などで、
お供をつかまわって、ときおり買物をしたりしている。

今回は、部屋のドア・ノブと日用雑貨を買い求めに、
家内と2人で、最寄のホームセンターの『ユニディ』に出かけたのである。

このホームセンターで買物に訪れたのは初めてであり、
店内の広さと販売している対象商品が多く、
ひとつの商品さえ多彩な種類が置いてあった。

家内は、『購入してから、あとで後悔したくないわ・・』という性格なので、
ひとつの商品さえ、時間をかけて選定するので、
私は客用の休憩室で、たびたび待機ひと休みをしたりしたのである。


帰路、私は重い買物品を提げて、家内と談笑をしながら歩道を歩き、
3時半過ぎに帰宅したのである。

この後、私は煎茶を飲みながら、少し疲れを感じながら、
古来より、お供とは従者として従うこと、
名言を思い出し、独りで苦笑している。




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『年賀状』の由来、そして元旦に配達は・・♪

2008-12-11 03:51:37 | 時事【社会】
昨日私は、日中に郵便局に立ち寄り、
25日までに支払う『固定資産税』、『国民健康保険』の手続きをしていた。

待機している間、郵便局の客用マガジン・ラックでひとつの小雑誌を手に取り、
読んだりしたのである。

郵便局ではじまる季節の情報マガジンと称された『モヨリノ』(2008冬用)であり、
この中のひとつの記事を読んで、少し笑ってしまったのである。

【まごころ込めた、新年のごあいさつ】と題され、
年賀状の由来が綴られていた・・。

【・・
年賀状の起源には、いろいろな説があります。
古くは、11世紀中ごろ(平安時代後期)に書かれた手紙模範集『雲州消息』に、
すでに年始の挨拶を含む例文が収められています。

また、江戸時代中期(18世紀はじめ)以降、寺小屋の教科書は、
年始状の例文が多く取り上げられていました。

現代のお年玉付年賀はがきが生まれたのは、
いまから約60年前、昭和24年(1949年)のこと。
戦後の混乱のなかで、
「年賀状が復活すれば、お互いの消息がわかる。
お年玉が付けば夢も広がる」
という思いが込められていました。

いまでこそ、12月中に年賀状を書くのが当たり前ですが、
その習慣が生まれたのは、明治32年(1899年)以降のことです。
当時はまだ、「回礼」といって、
元旦に直接、知人や親戚のお宅に訪問して年始の挨拶を交わすことが中心で、
回礼をすませた後に、直接うかがえない方に、年賀状を書いていました。

それが、同年に、「年賀郵便物の特別取り扱」が開始され、
年内に出した年賀状が1月1日に配達されるようになると、
ごく普通に12月に年賀状を書くようになっていったのです。
・・】

このように綴られていたのである。
注)記事の原文より、あえて改行を多くた。


私は齢ばかり重ね無知なことが多く、
こうしたひとときに、『年賀状』にまつわる由来、そして元旦に配達などを
たまたま学べたのでのである。



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